Art Maniacs

高瀬川の桜・1

05/4/19

あの人の姿なつかしい、黄昏の高瀬川…♪
だっけ?(うろ覚え)
しばし高瀬川を散歩する気分を味わって下さい。

(重い画像にはサイズを書いています。)


40KB

 

京都は、歩いて見て回ることにその真髄がある、と「景観を歩く京都ガイド」が書いているけれど、まったくそのとおりで、京都の桜もまた、見て歩く、というタイプの桜だと思う。

花見にはいろんなやり方があり、多くの人にとっては、桜の木の下で食べたり飲んだり歌ったり、宴会をすることが花見だろう。
こういうスタイルの花見は江戸時代からあり、もちろん京都でもその種の花見はある。

円山公園では、どの地方にもあるおなじみの場所取りが行われ、桜の木の下でカラオケをしたりなどする。
けれども、京都でそういうことをするのはやはり、円山公園など限られた場所だ。
ヨソから京都へ来て住んでいる人のために、そういう花見の場所も設けてあるのだ。

京都で生まれ、育った人間は、でも花見と言えば、やはり歩くのではないか。

寺の庭を歩く。川沿いの桜を見ながら歩く。散歩道の桜並木を歩く。

歩いて桜を見ることが、花見だ。

京都では、人が主ではなく、花が主人公だ。

それは桜が風景だからだ。と思う。


42KB

高瀬川沿いには桜並木が続く。角倉了以が掘った高瀬川は歴史的な役割を終えたが、京都の景観に興趣を添えている

人工のものをやがて、歴史という時間が、それをあたかももとからある自然物であったかのように丸く、ソフトに変えてゆく


42KB

果てしのない並木をそぞろ歩きながら、桜を愛でる。桜は、いつ尽きるともなく続く。ただ続き、えんえんと連なる。

その桜、時には川底にまで枝を伸ばし、川の水に愛らしい花びらを落し、時には空を隠すまで枝をはり、モダンな建物と意外な調和を見せる。

過ぎ行く通りによって異なる姿を見せる桜たち。それらをひとつひとつ確認しながら、木や、川の流れや、背景を見つつ歩く、その贅沢な時間を過ごすのが、高瀬川の桜の花見。


42KB

風雅と言うべし。京都の桜は、濡れている。というのが、私の思い。

しっとりと、露を含んで湿っている。媚を売って、こちらにしなだれて来る。あでやか。でも、確かに媚びがある。

美しいでしょう、きれいでしょう。きれいだと言ってね…。そう言わんばかりの、湿った桜。

 


木屋町ではこういうまつりもしています。

木屋町通りは、京都の繁華街のまん真ん中。というか、繁華街(メインストリート)の真裏。

横には一方通行の車がブーブーと平気で通っているし、道の横は飲食街がずらりと並んでいる。数歩歩けば、ビルが林立する繁華街に出てしまう。
狭い京都の中でも、ひときわ狭さを感じる空間。ビルと川と桜が隣り合わせ。

そんなところに場違いな桜。

私はお酒が飲めないので、普段はまったく木屋町には縁がない。フーゾク系もあることだし、コワくてとても近寄れない。
けれども、桜が咲くと、雑然とした飲み街がいきなりクラシックな風景にすり変わり、市民にゆったりとした空間を提供する。ビルの裏の、雑然とした通りが。

市民は、ぞろぞろと歩く。若い人たちも、カップルも、カメラマンのおじさんも歩いている。やっぱりみんな歩くのだ。桜に感嘆しながら、最高やねとつぶやきながら、狭い道を歩き続ける。


42KB

五条通から高瀬川・一之船入まで約2キロくらいか。その間、桜は途絶えることがない。
ぶらぶら歩きながらだと、あまり歩いたという気がしない。

そして、船入りまで来ると、おのずと歴史を偲ばせる。こうやって、船で荷物を運んでいたんだな…。

いやあ、どうどしたか?今年の桜は。…よろしおしたえ。

つづく

  inserted by FC2 system