景観を歩く京都ガイド とっておきの1日コース 清水泰博 岩波アクティブ新書 2004年 05/3/30 |
この本は、大変よい本だ。
書いたのは京都生まれの建築家らしい。
子供のころ、祖父に連れられて円山公園をよく散歩した、という記述があるから、京都で育ったことも確かのようだ。
つまり、著者は京都生まれ、京都育ちの京都人だと言っていいだろう。それがために、京都生まれの私が読んでも納得、そうだ、そのとおり、と思わず拍手したくなる内容なのだった。
つまり、京都は歩くべきである。
京都は狭いのだから、最低でも自転車で巡るのにちょうど良い大きさだ、京都は「点」で見るべきではない、歩くことによって連続して変化してゆく風景こそが、京都の見るべき姿なのだ、という指摘には、まず溜飲が下がる。
京都で見るものといえば、主に寺である。
京都の寺は、ただお堂があるだけではない。お堂があり、庭がある。池があり、木がある。
庭を歩きながら寺の建物が木々の間から見え隠れする情景を、愛でる。山門からお堂、そして方丈と、歩きながら見ることによって景観が変化してゆく。木に隠れたり、木の間から少しずつ現れたり、池に映るお堂の影が、見る方向によって違って見える。
しかも、それは時間(季節)的な変化を伴う。常に変わる風景、季節によって違う味わいを見せる風景、それが京都の醍醐味である。
時間と、パースペクティブによる変化。変化を楽しまなければ、京都を楽しんだことにはならない。
寺の中だけではない。京都という街の楽しみ方は、歩くことによって変化してゆく景色を愛でることにこそある。著者は、京都の良さ、楽しみ方を痒い所に手が届くような細かさで紹介するとともに、記述の中に、京都が抱えている問題も、そこはかとなく吐露する。でも、嫌味ではない。
今では〜〜なのが残念だ、という程度にとどめていてくれる。京都の景観破壊がいかに進行しているか、それが逆に炙り出されているようでもあり、とても残念だ。
けれども、それでも、この著者のように「景観を歩いて」みれば、まだまだこんなにも京都を楽しめるのだと心強くもなる。
これを立ち読みで、前書きだけでも読んで欲しい。
ピンポイント観光では決して京都の魅力は辿れない。私の言いたいことが凝縮して書いてある。
そして、コアな京都ファンか、或いは私たち地元の人間でない限り実行しようとは思わないだろう、「鴨川を自転車で走る」という一章は我が意を得たり、という思いだ。
京都人は鴨川が好きだ。三条大橋、四条大橋、五条大橋、七条大橋、どこの橋から見てもそれぞれの風景がある鴨川は、いつ見ても心が和み、気持ちをほっこりさせてくれる。
さらに、下京区に点在しているお地蔵さんの祠(写真)を列挙した一章は圧巻だ。
お地蔵さんの祠。
これこそが、京都という町を象徴する物件かもしれない。