Book Maniacs

私説三国志
天の華・地の風
2 ストーリーと各論 04/2/27

(1総論 3ミーハー向け豆知識へ)

1巻1、2部 赤壁

7巻 第二次北伐

2巻3部 益洲取り

8巻 第三、四次北伐

3、4巻4部 漢中取り

9巻 第五次北伐

5巻5部 南蛮征討

総括

6巻6部 第一次北伐

短編・外伝


1巻(第1部、第2部)

北に曹操の魏の国があり、南に孫権の呉、中央に荊洲、西に益洲。

日の出の勢いの魏の曹操が呉を滅ぼすべく、大水軍を擁して長江を下り、呉に帰順を迫った。

荊洲に間借りしていた劉備は、このままでは自分たちはたちまち曹操に滅ぼされると危機感を強め、ぜひ呉に開戦を説く必要があった。
そこで劉備は軍師、諸葛亮(孔明)を呉に派遣し、孫権に開戦を迫った。

有名な赤壁の戦いの序章だ。

 

「江森三国志」第一巻は、周瑜編というべきもの。

呉の国に開戦を説きにいった孔明が呉の水軍都督(海軍総司令官のようなもの)の周瑜に囚われ、呉の臣下にするため無理やり犯され…という話が展開する。

孔明に無理やり関係を迫った周瑜は次第に情熱的に孔明を愛するようになり、孔明も応えてやがて周瑜を愛するようになる。
しかし、孔明は主君に忠誠を誓っており、また自分の手で漢王朝を復興する、という野心を抱いていた。主君を取るか、愛する周瑜を取るか…

曹操軍の船団を鎖で繋ぐ連環の計、東南の風を呼び火計、という三国志お馴染みの場面を描きつつ、愛欲シーンをからませる。しかもセックスを駆け引きの道具にしつつ、それに溺れてゆくというかなりエロティックな展開なので、きっと好き嫌いがはっきり出るだろう。
私も実は、この第1巻は好きじゃない。オーバーな文章表現が気持ち悪い。

周瑜は、頭は悪いがそれなりに納得のいくキャラクターに描かれているが、孔明の心情がどうしても分からない。マゾヒストだということを鑑みても分からない。

ここでの孔明は、「不幸な自分」にただ酔いしれているだけの痴れ者である。周瑜を殺す理由が分からない。いや、自分の野望の邪魔だから殺すというのは分かる。
殺してから、後悔するのではなく、周瑜を恋しいと偲んでいる。それが分からない。
違うだろう、孔明?偲ぶよりまず、殺したという罪悪感が来るだろう、先に。違うか?まず謝らないといけないだろう、お前。(これは最終巻の姜維の心情とも同じだ。人を殺したという、罪悪感がまるでないのだ。)

と、私には納得のいかない1巻だった。
フェイメイという女細作(しのび)の扱いもどうも私にはしっくり来ない。

なおやおい、JUNE的に見ると(ボーイズラブという用語はまだなかった)、カラダだけの関係からやがて愛に…というのは、やおいの典型的なパターンだ。
この1巻を最初に読んでいたら、私は絶対読み進まなかったと思う。


2巻(第3部)

鳳統(字が出ないので代用)編ともいえる。

赤壁のどさくさで荊洲の南部を手に入れた劉備。次は西の益洲攻略を練る。西を手に入れることで、天下三分が成るのだ。

呉の周瑜に抱えられていた軍師鳳統が、劉備陣に加わる。
しかし、鳳統は、赤壁で孔明と周瑜のことを目撃していた。孔明の弱みを握った鳳統は、孔明の野望の前に立ちふさがる。孔明を荊洲に閉じ込め、自分が益洲攻略に乗り出す。鳳統は攻略の途中孔明の策で殺される。

この巻は濡れ場なし。わずかに周瑜の亡霊との交歓がある。でも「欲張りめ」とか、私にはちょっと気持ち悪い…。鳳統は呉の手先だと書かれている。辻褄があって来るので不思議。作者はこういう、相手の手の読み合いとか、馬鹿し合いというか、深読みが好きみたいだ。純粋な私にはついていけない(^_^;)。

1巻に引き続きフェイメイという女細作(しのび)の扱いがどうも…。
もともと孔明の心情のナレーションの役割かと思ったら、孔明と肉体関係を持ったりする。
このナレーションがいただけないし(1巻のときから説明過多)、孔明にとって都合よすぎるキャラ。

あと、孔明が関羽になびきそうだったのは、どういうことだろう。意味があったのだろうか。あとの巻では関羽のことを軽蔑し、あっさり見捨てるのだが(多分、魏延というセフレが出来たら、関羽がつまらない武将に見えて来たのではないか。と勘ぐるが


 
第4巻(光風社出版)の表紙。帯つきだ。
表は孔明。右の裏表紙、中央が魏延だ。その左のアップが周瑜、右が劉備

3、4巻(第4部)

益洲(蜀)を無理やり奪取し、ようやく天下三分がなった劉備が今度は魏の領内の漢中を攻め落とし漢中王へ(やがて皇帝となる)。しかし荊洲を守っていた関羽の油断で関羽は死に、荊洲を手放すことに。劉備は関羽を殺された復讐に呉を攻めるが、逆に破れ、失意のうちに死ぬ。

この3、4巻は過去と現在が入り乱れるカットバック手法で書かれており、最初に劉備が、余命いくばくもない…というシーンから始まる。
さまざまな出来事があった時であるから、ここをじっくり書いて欲しい所だが、非常に複雑な書き方をしている事もあり、1、2巻に比べれば事柄はかなりすっ飛ばしてある(孔明に関連のないこと。例えば馬超のくだり、夷陵の戦いなどは書いてない)。それでも難解で、私にはなかなか理解出来なかった。

 

孔明が殺した鳳統の一派だった法正が劉備の気に入るところとなり、孔明のライバルとして浮上する。孔明は、この法正と熾烈な政権争いを繰り広げることになる。
法正一派の武将、魏延に目をつけた孔明は、彼をたぶらかして自分の思い通りに操ろうとするが、逆に弱みを握られ、言うなりになる。
しかし、法正派を徐々に粛清、法正も死に、関羽が死ぬと、荊洲は失ったものの、孔明の望む形がほぼ出来上がる。が、主君・劉備とは決定的に決裂する。

カラダだけの関係のつもりがやがて愛に…というやおいパターンは、ここでも踏襲されているが、結局孔明は、野望もあるが、人間的な愛には飢えていたのだ。
鳳統の時に色仕掛けで誘惑するのに失敗したので、孔明は絶対失敗しない方法を考え、魏延にしかけたのだが…。

4巻に加筆訂正があり、魏延のパートが増えている。ラストでの魏延の独白は殆どが加筆。「そこまで、かれの心と肉体を捉えている」とか、「かなしい、と思った」とかは連載時にはなかった。


5巻(第5部)

第5巻は南蛮征伐編で、「演義」の中でも独立した編なので三国志の中では最も分かりやすいエピソードだ。孔明が南蛮の猛穫という武将を従わせた、というわりと他愛のない手柄話だ。すっ飛ばすかなと思ったけれど、丁寧に描いている。

蜀は無理やり漢と名乗り(蜀漢)、孔明は漢丞相となる。北伐の前に、後方の憂いを除くため反乱の起こった南蛮に兵を進める。事実上、孔明が蜀漢の最高権力者である。

魏延は殺さなかった。殺せないのである。弱みを握られているため。そう思いたい。気持ちを持て余す孔明。
行方不明だったフェイメイが南蛮で猛穫の妾になっていた。孔明は、彼女と肉体関係を結び、スパイとする。そのおかげで南蛮は平定なるが、フェイメイは見破られ不具になる。
ここでもフェイメイの扱いが…。やはり残酷方面に逃げる。

魏延には、肉体では屈服させられていて、勝てない。その代わり、フェイメイを使って彼をしっとさせ、精神的に追い詰めようとする。
しかし魏延は基本的には常識人である。フェイメイに対して同情しているように、そして孔明を理解する心も持っているのだ。

この巻にも加筆・訂正があり、連載では、最後の方で、フェイメイの存念など、このさいどうでもよいのだ、とか、(フェイメイの娘、朝薫を)本当に自分の子かどうか…と孔明自身が言っているのを、孔明の弟・均と養子・喬との対話に変えている。孔明自身が発言したとするのはあまりにひどいと判断したからか。私としては孔明自身の発言である方が、正鵠を得ているように思うが…


6巻(第6部)

第6巻から最終巻(9巻)までは、北伐編ですべて書き下ろし。
有名な「出師の表」をあらわして、悲願の漢王室の再興のため、孔明が魏の国に戦いを挑む。
6巻は第1次北伐。街亭での失敗、泣いて馬謖を斬るところまで。

孔明が、漢王室というものに囚われている、という概念が出て来る。もう少し初めからそれが出てくればもっと統一感があったのではないか(10年以上にわたり書きつがれていたものなのでしょうがないかも)。

いずれ孔明が敵となるだろうとふんだ魏の国の軍師、司馬仲達が、孔明の身辺を徹底的に調査する。それでだんだん、仲達は孔明の秘密に辿り着く。皮肉なのは、敵であるのに、孔明の理解者となっていくことだ。

若い武将姜維が魏の国から孔明の策により恭順して来る。彼はかつての周瑜そっくりで、というだけで孔明は喜んで彼を重用し始める。
実は姜維は赤眉という結社の者なのだが、孔明はまったく気づかない。彼は、のち孔明を除こうとして、蜀の皇帝などと結ぶことになる。
それを孔明はまったく気がつかないという都合のよい設定。姜維の設定も複雑過ぎて、内面を描写し切れていない。

魏延とはすでにセフレ。離れることが出来ない。肉体だけでなく、誇り高い魏延の精神も、突き崩すことが出来ない。

孔明の策はすべてからめ手で、周囲を固め、万全と思える体制にしてから目的の戦いに挑む。それだけに、策が破れるともろい。街亭ではことごとくその策が破れる。へこむ孔明を慰める魏延。魏延もまた、孔明を愛していたのだ。


7巻(第6部つづき)

第二次北伐、陳倉攻め。武都、陰平の平定から趙雲の死まで。

街亭で馬謖を起用したのは、姜維との軋轢があったから、そして馬謖の死は姜維の策略だったことになっているが、この姜維の策略など(どう考えても)なくても良かったのではないか。姜維はそんなことをする必要が本当にあったのだろうか。あまりひどすぎるような気がするが…。

街亭での失敗で丞相から軍師将軍に自ら降格した孔明。孔明の軍費の乱用を快く思わない孔明の反対派たちと皇帝その人に煙たがられ、彼らとの対立が始まる。

陳倉攻めも失敗、蜀軍の士気が落ちる。孔明は、攻めやすい武都、陰平を平定、成功して丞相位に戻る。しかし蜀軍の要、武将趙雲が死に、孔明は病に倒れる。

相変わらず仲達が孔明の身辺を探っている。孔明の過去の知り合いは今は魏の国にいるため、聞きに回る。徐庶が仲達の軍師となる。徐庶は、かつて鳳統から、孔明と周瑜のことを聞き、孔明の性を知っていた…。

孔明の敵は、孔明を疎む皇帝そのもの(劉備の息子、劉禅)と側近たち。孤立してゆく孔明。
孔明は、魏延を失うことを恐れている。たびたび魏延を前線から遠ざけ、魏延を怒らせる。魏延の長安急襲策も退ける。理由は、死んで欲しくないから。それは公私混同だ。二人の仲は、秘密であるべきはずなのに、孔明は、少しずつ公私を混同させてゆく…


8巻(第6部つづき)

第3次・第4次北伐。

今度は魏の国が先制して出た。長安など三方向から漢中に攻め入る。しかし長雨のため魏軍が撤退、孔明の蜀軍は危ういところを助かる。孔明は直ちに反撃に出るが、孔明謀反の噂があり、宮廷から退去命令が。

成都で皇帝を説得し、孔明は再び祁山(きざん・代字)に陣を張る。4次北伐。…魏からは、司馬仲達が総司令として出る。孔明と仲達、初めての激突―。
しかし、それも後方からのデマにより、撤退を余儀なくされる。せっかくの勝ち戦さだったのだが…。

皇帝の宮廷と、孔明の対立がいっそう大きくなる。兵糧が来ないなどいやがらせも。
孔明は、すべてを捨てて、逃げようかとも思う。しかし、そんな負け犬を、魏延はどう思うだろうか。すでに、孔明は、魏延なしには成り立たなくなっている自分を知る。

孔明は執政官としての勉強をし、行政に関しては才能があるかもしれないが、軍師としての才能はあまりないのではないか。
北伐は結局、五度くらい行なっている。勝てないからだ。もちろん兵法の勉強などはしたのだが、机上の論と、実際の兵を動かすのとでは違う。孔明は、奇策や、からめ手などには才能を示すが、戦場で戦っている兵士の気持ちが分からない。臨機応変の対応も出来ない。だから勝てないのだ。
実際に前線に立つ魏延にはそれが分かり、孔明の指導力に疑問を持つ。それでも孔明に従う。孔明の目的は勝つことではない、挑むことなのだから…。


9巻(第6部つづき)
一部ネタばれあり

死して後已む。第5次北伐、五丈原…。再び仲達との直接対決が。

向こう3年間は北伐はせぬと発表、宮廷の引き締めにかかる孔明。
呉の不遜な動きを気にかけ、微行で姜維をともない、呉に赴く。その途上、孔明の娘、朝薫と姜維が接近するのを期待してである。期待通り姜維は朝薫を愛するようになるが、姜維は、孔明と魏延の情交を目撃してしまう…。

周到に張られたさまざまな伏線が最終巻にすべて収斂してゆくあたりは、見事なのだが、それゆえにご都合的な部分もあるのはしょうがないか。

先も言ったように、姜維の感情に矛盾点があり、ラストの姜維には同調出来ない。

魏の国にとって、第一の敵は呉、と書かれてあるのがいい。魏は呉の動きを一番気にしている。蜀(漢)などは、二の次なのだ。孔明は呉と、魏の北にある鮮卑、(さらに句麗など)との同時決起を常に狙っている。三方向からかかればさしもの魏の国も疲弊するはず。しかしそれも机上の論。実戦は、常に孔明の期待を裏切ってゆくのである。果して孔明は、本気で魏を打つことが出来ると考えていたのだろうか。

呉で、周瑜の墓に参った時、孔明は自分の心が魏延にあることを知った。

孔明の肉体は、普段それを押し殺している分、さらに肉欲が高まってゆく。それにともない、魏延との情交も戻ることの出来ない激しさに、エスカレートしていく。そのさなかで魏延の愛を知り、自分の愛を確める孔明。「おまえのためなら、命も惜しまぬ」。このあたりはすぐれたポルノと言ってもいいくらいだ。「愛の嵐」とか、「愛のコリーダ」を思わせる。
どれだけいびつで、グロテスクであろうと、それが愛の一つの到達点なのだ。

しかし、いくら孔明がこの愛を至高の愛と思い定めても、それが他人から見た時、グロテスクなものであることには変わりがない。ここから物語りは核心に至る。
呪われた性に歓喜する孔明は、罰せられなくてはならないのだ。

五丈原…。仲達と対陣。そして。仲達との不思議な縁が…。


総括

この物語では元来の「三国志」での劉備・関羽・張飛、または孔明のように、善玉で主人公とされている者はよく書かれておらず、仲達や魏延と言った悪しざまに書かれていたものにスポットを当てるという形になっている。

「三国志演義」に、魏延という武将は出て来るが、関羽、張飛、趙雲などに比べ、さほど有名ではない。
「演義」では、後半に登場し、孔明に反目し、孔明の死後謀反を起し、斬られたとなっている。
蜀の国の中での悪役という扱いだ。必要以上に悪く書かれてあり、損な役回りという印象だった。

その魏延という武将を、この作品は実は孔明に最も近しい人物であったとして、クローズアップさせているが、実にうまいところに目をつけたと思った。
孔明が魏延の長安急襲策を退けたのは、魏延を死なせたくなかったからだ、とするこの作品のへろへろな説は(しかも房事の最中にその話を持ち出す)、しかしかえって生々しくて、リアリティがあると思うのは、私だけだろうか。理屈などではなくて、もう感覚的にそうに違いない、と。
そこから逆に、恋人たちの道行、とでも言うべき物語が紡ぎ出されたのではないか。

ここでの孔明は、ドロドロした情念の持ち主である。天才(だとすると)にありがちな、どこかが決定的に破綻した人間である。こうした人間像、人間の描き方、がいいにせよ、悪いにせよ、ともかくここまで描き切ったことには、敬服せざるを得ない。


短編

なお、前章として「桃始笑」という短編があり、孔明27歳の時、赤壁の前、劉備と出会い、仕官する経緯を書いている。内容は忘れてしまった(>_<)。

そして、外伝として「死者たちの昏き迷宮」がある。こちらは、孔明と魏延の死後、黄泉の国で孔明が裁きを受けるというもの。これは95年に発表されていて、つまり、第9巻の完結編が書かれる前に先に書かれたようだ。どちらもあまりどうというものではないと思うが、外伝で、魏延が(孔明とのことを)恥とは思っておらぬ、と叫ぶ所がちょっとかっこいい。先に書かれたが違和感はないようだ。


参考 歴史群像シリーズ 三国志 下巻


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