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Gustav Moreau

モロー 

死せる詩人を運ぶケンタウロス

2017/05renew

この絵がとても好きなのだけれども、(もったいなくて)あまり見せたくないのでごく小さな画像だけ載せました〜。

三島由紀夫が著書で触れ、中井英夫も再三この絵について言及しているように、なぜか文学者がこの絵を好むようだ。

とくに私は「蘇るオルフェウス」という中井英夫の小説がとても思い出深い。

この「ケンタウロス」が作品の重要なモチーフとして登場しているのだけれども、私が始めて読んだ中井英夫であり、
彼の幻想的な作品群のとりこになったその因となった小説だったからだ。

小説の題からも分かるとおり、ケンタウロスに運ばれている死せる詩人とはオルフェウスのことであり、
その女と見まごう白い身体はなにやら妙になまめかしくて、どきどきする。

これをしもアンドロギュヌス(両性具有)というのだろうか。

 


ヘロデ王の前で踊るサロメ

サロメの中で私がもっとも好きなもの

 

モローはサロメの画家として有名だ。

サロメというキャラクターは、ファム・ファタル(宿命の女)として世紀末を席巻した、魔性の女の代名詞となった女性像である。


覚えているだけでリヒャルト・シュトラウス、オスカー・ワイルド、フランツ・フォン・シュトゥック、
ビアズレイなどがサロメを取り上げた。

その、原型を作ったのがモローだった。

ルネサンス絵画にも、サロメの図像はユディットなどと同じテーマとして取り上げられたこともある。

姦計によって、男の首を取り上げる残酷な女、としての官能的な女性像だ。
クリムトは、ユディットを画題にしている。

世紀末に再びサロメ=ユディットのテーマが浮上したのは、その世紀末という時代のゆえだったのだろうか。

 

聖書のサロメは、姦女という感じではない。罪深き女というほどのキャラクターを与えられてはいない。

ただ母ヘロデアの言うとおりにした、というくらいの扱いにしか過ぎない。
モローは、この性格付けの薄かったサロメを、ルネサンスの図像を借りながら、自分の、独自の女性像を完成させた。

それは、ファム・ファタル、男を追い詰め、誘惑し、惑わし、堕落させる魔性の女である。

なぜ女性をそのようなマイナス要素として描いたのか、それは、ひとつの研究テーマとなるくらいのことだから、
こんなところで簡単に結論付けられないだろう。

 

   

 

ただモローの描く男性像は、女性像とはまったく逆に、弱き善の象徴である。

彼の描く男性はオルフェウスだけでなく、一様になよなよしていて、妙になまめかしく、中性的である。

左はキリストのようで間違いそうだけれども、「聖セバスティアヌス」、右の素描は「ヘシオドスとムーサ」

彼らは一様に無力で、なすすべもなく疲れ、破れ、滅びてゆく。

男と女、モローの中ではそのふたつは単にシンボルであって、さしたる意味はなかったのかもしれない、
とさえ今は思うようにもなった。


少なくとも、区別はなかったのだろう、と。

ただ描きたいものだけを具象化したら、あり得ぬ夢の世界と、官能の世界を展開することになっただけのことかもしれない、
と。

モローの生きた時代は、モネや、その他の印象派と同じ時代。活躍した時期は完全に重なる。

にもかかわらず、モローが一人世紀末、といわれる所以である。

 

 
「オルフェウスの首を持つトラキアの娘」1865年 154×99.4

詳細はこちら

 

妻エウリディケを黄泉の国へと追い求めるエピソードがよく知られているオルフェウス。

モローはオルフェウスを、いろいろなパターンで多く描いた。

 

もうひとつ、有名な作品を。

 
「オイディプスとスフィンクス」

異形の生き物のエロティシズムが目を引く。そして、男と女の視線の対決。

*オイディプスのテーマへ

 

********

 

もっと素敵な絵がいろいろあるけれど、もったいないので、これだけ。

と、いう風に思っていたけれど、私のオンリー・ワンの画家の絵を自分のサイトに置いておかないのは駄目だ!
と思い直し、以下、どんどん代表作を。

 


 


出現

 

「出現」と題されたサロメの絵はいくつかあって、それの代表的なもの。

背景のエキゾチックな寺院が細い線描で縁取られており、華麗な画面になっている。

踊るサロメの前に、血を滴らせたヨハネの首が忽然と現れる…
それは罪に慄くサロメの見た幻、おのれの罪の深さが見た幻なのだろうか

 


 

 


ピエタ

 

モローの描くピエタ。

ヴァリアントが幾つかある。

母マリアのほかには誰もいないように一見見える。
(実際には右に二人の嘆く人がいる)

寒々とした荒野にただ母マリアの嘆きが静かに響く。

 

この絵のイエスを見て、微妙な気持ちになるのは私だけだろうか。

細い体をくねらせてマリアに身をゆだねる死せるキリスト、
そこに非常によこしまな感情を持ってしまう罪な自分を感じ、
何か見てはいけないものを見たような気になってしまう。

たしかにモローにはこの、こういう危ない、なんとなく危険な部分があるような気がする。

それが惹きつけられて止まない部分、どきりとする部分、
ふっと自分のリビドーを試されているように感じる部分、
宗教画にそんなことを思っていいのか。その罪悪感。

だからモローから離れられない。 

 

 

 


プロメテウス

モローがなよっちい男性像ばかり描いていると思ったら大間違いだ。
このような、男性的で逞しい男も描いていた。

プロメテウスは人類に火を与えた代わりに神の罰を受け、永遠に禿鷹に肝臓を蝕まれる身となった。

そんな男の、苦痛を身に受けているにもかかわらず、屹然と雄々しく気高い男性像が、
ルネサンス的肉体を通して描かれている。

とても好きな作品のひとつだ。

プロメテウスを扱ったいくつかの他の作品もある。

 


イアソン

 

これも神話から題材が取られている。

魔法を使う王女メディアはイアソンにひとめぼれするが、イアソンはやがてほかの女性に心を移し、
そのために悲劇が起こる。

メディアが盲愛するほどに若々しく輝かしい肉体を持ったイアソン。

怪物を倒して金毛羊皮を手に入れ、勝利を高らかに宣言するイアソンに、
そっと後ろから寄り添い、まるで、この英雄は私のもの、とでも言いたげなメディア。

メディアの妖艶な姿に、これもファム・ファタルの影がちらつく。

 

青年の美しい裸体を描くのは、ルネサンスをよく研究していたモローならでは。

 


若者と死

 

私淑していたシャセリオーが早死にした時、それを嘆いてこの作品を描いたことは有名だ。
制作に9年ほどかかったということだが、イアソン同様、若い美しい男性の肉体を理想的に描いて、
シャセリオーに捧げたものか。

そのみずみずしい若い肉体も、死の誘惑には勝てないのか。
モローの、師への追悼と嘆きが表されているのだろう。

いくつかのヴァリアントがあり、水彩でも描いている。

 

 


ガラテア 1880-81年 85.5 × 66 cm

こちらへ

海のニンフ、ガラテアに横恋慕をした3つ目の巨人ポリュフェモスの苦悩を描く

ガラテアの透き通るような白い素肌に視線を注ぐ巨人…視線のドラマと
ガラテアを取り巻く鮮やかな海の底の海藻の輝き

 

 


聖ゲオルギウスと龍

 

モローは聖人もいくつか題材に選んでいる。

聖ゲオルギウスはルネサンス時代にも良く描かれた。

英語ではセント・ジョージ・アンド・ザ・ドラゴン(そのままや)として有名。

聖人には珍しく、ドラゴン退治の英雄として、古来より甲冑姿で描かれて来た。
神話のペルセウスとアンドロメダなどとほぼ同じ図像で、混同されることもある。


モローのゲオルギウスは例によって若々しく、美しい若者として描かれている。

これも水彩あり。

 


ヘラクレスとレルネのヒドラ

 

やはり神話の英雄ヘラクレスを描いたもの、これもいくつかのヴァリアントがあり、
これが代表的なもの

この画面そっくりのシーンがハリーハウゼンの映画に出て来たことがあり、嬉しかった。

ヒュドラは縦長の、まるで蛇が鎌首を立てたかのような描写になっていて、
ヘラクレスは英雄らしい美しい肉体を持ち、
ヒュドラの下には若者たちの悩まし気な肢体が…

 


ユピテルとセメレ

 

モロー晩年の大作のひとつ。

神話の神、ユピテル(ジュピター/ゼウス)のエピソードを大画面に描いた。

モローにはこのような人物が入り乱れる大作もいくつかある。

ユピテルは人間の姿を借りて美しいセメレのもとに通うが、
セメレはユピテルの妻ヘラの嫉妬により、讒言を受け入れ、ユピテルに真の姿を現してほしいと懇願し、
ユピテルはその本来の雷神の姿を見せ、炎に焼かれてセメレは命を落とす。

 

モローは独自の解釈でこの場面を壮大な絵巻に仕立てた。

カメラ目線のユピテルの無表情が不気味。

ルネサンス的人体表現と、独自の神秘性が詰め込まれている。

小さな画面では迫力が伝わらぬだろう。

ヴァリアントも多数ある。

 

*

モローの油彩作品はディテールまで細かく描き込まれていて、見るのが楽しい。


 


一角獣

 

クリュニー美術館にあるタピスリーの「一角獣」に想を得て描かれたと思われる華麗な作品。

ユニコーンを手なずける婦人の華麗な衣装、帽子を被った白い裸体のエロティシズム、
フェティッシュな部分も感じさせる美しい作品。

一角獣をタイトルにした他作品もある。

 


夕べの声

 

水彩の名手でもあったモローの、これも見事な色彩の作品。

さっと無造作に描かれたと思われる天使の羽根の、鮮やかなブルーが目にまぶしい。

 

 


夕べと苦しみ

 

ロマンチックな美しい水彩作品。

夕べと苦しみを擬人化して、どちらが夕べでどちらが苦しみなのだろう。

そして、どちらも性別も分からない。

青い衣装に身を包んだ女性らしき人物が苦しみ、
そしてその背後に羽根をはやした天使らしき存在が彼女にそっと寄り添い、
彼女を慰めているのだろうか。

この天使が夕べなのだろうか。

夕べが来ると、苦しみも和らぎ、やがて苦しみは眠りにつくのだろうか。

 


ナルシス

 

水彩が多いモロー、描写は次第に抽象に近づき、色彩とフォルムの追及へと帰結してゆく

 

モローが描くナルシス。

それはこのようなものだった。

もはや自然と一体化したかのような、荒い筆致の、しかしなんと華麗なナルシスの姿だろうか。

ナルシスは花冠を冠っているようでもあり、その肢体を自然の中に横たえる。

そしてやがて彼は自然そのものに還るのだろう…

 


もっともっと一杯名作があるのに。もっと紹介したいけれど、またいずれのおん時にか… NEXT

 


自画像

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