Temple

西本願寺

下京区堀川七条上ル

04/10/26

東本願寺を取り上げたので、公平に今度はお西さんも探訪してみた。


多分、御影堂門。
東本願寺のものほど大きくない
後ろに修復中の御影堂の屋根が見える。

 

東本願寺が烏丸通りに面しているように、西本願寺は堀川通りに面していて、
場所はちょうどお東さんを西にずらしただけの同じところに、同じ敷地面積(多分)で建っている。

やはり京都駅から歩いて行ける便利な場所(約15分)。
私の家からも歩いて行けるが、いつもお東さんでおまいりしているので、お西さんにはめったに行かない。

でも、文化財的には西本願寺はかなり重要な物件で、東本願寺にはかなり水をあけていると思う。
前に言ったように、東本願寺は何度も焼失したため、明治時代の再建だが、西本願寺は江戸時代の建物。本堂である御影堂、阿弥陀堂ともに指定が入っている。
また書院・能舞台、飛雲閣などは国宝でさえある(桃山時代)。
ただ、観光的には、東本願寺とさほど変わらない。飛雲閣などは通常非公開なので目立たないし、スルーされる率多し。沢山の門徒を抱えながら、文化財的実力はなかなか正当に評価されない、ある意味不運なお寺だ。

 


阿弥陀堂門

西本願寺の門は、それほど大きくない。
お東さんの御影堂門ほど大規模なものはなくて、控え目。

私が行く時はいつも夕方か、曇り空なのではっきり写らない(>_<)
すいません。

 


阿弥陀堂

現在、御影堂(ごえいどう)が平成の大修復に入っているので、完全にシャットアウトされており、今参拝に使われているのは、この阿弥陀堂。これは、御影堂の北側にあり、東本願寺とは逆の配置。492畳敷き。
現在ここに黒塗りの親鸞聖人像がいらっしゃいます。
金ぴかの祭壇の中にブラックフェイスの親鸞。浮きまくりですが。

 


太鼓楼

ここが今話題の、太鼓楼。これは新撰組が西本願寺を屯所としていた跡地なので急に有名になった。西本願寺の東北の角にあります。
案内板が設置されており、太鼓楼のパンフレットまで備えられているから驚いた。
建物的には、木材の格子縞が迫力があって、すてき。貫禄のある建物だ。見張り櫓みたいな感じだけど、太鼓などを鳴らしていたのかなあ。

西本願寺での新選組の所業はいろいろ言い伝えられており、それはかなり傍若無人なもので、お西さんにはかなり迷惑だったことがよく分かる。
出て行った時には、お坊さんたちが喜んだそうだ。


瓦の形の宣伝看板。何気におしゃれ。

このように、平成の大修復をアピール。
瓦なんかをディスプレイして、協力を呼びかけています。

瓦を何千円かで買うと、そこに名前を入れて、屋根の上に置いてくれる。
修復費用捻出のため。


書院 通常非公開
本願寺の南の方。お参りする御影堂などの南側にある。

 

国宝の書院(と飛雲閣)は通常は非公開ですが、事前に予約すれば、無料で案内してくれる。
それと、特別な行事がある時は、特別に公開したりもする。私は特別拝観というのに行って来た。

まず、廊下を歩いているとお庭が見えて来ます。枯れ山水の見立て庭で、いろいろ説明してもらえる。小さいものですが凝っています。
それから向いの部屋を覗く。

この書院というのは、噂どおりすごいです。
天井から襖から、欄間から仕切りの戸板から、隙間があればびっしり絵が描いてある。

しかもその絵の色がはげてはげて、黒ずんで、もうボロボロ。
書院全体が薄暗いので、どんな色だかほとんどさっぱり。
狩野派によって描かれたらしい、当初は金ぴかのパリパリだったのでしょうが、今はこのありさま。その汚さが、何というか、もうただごとではない。趣きどころではない。
趣きがありすぎて、異様な迫力がある。

わりと狭いところで、そこをぐるぐると目まぐるしく回りながら見るわけですが、どの部屋も、襖や天井が、そんな汚い絵ににびっしりと覆い尽くされている。

そこに人間の栄耀栄華の、万物流転を感じざるを得ないわけです(意味不明)。つわものどもが夢のあと、を見た気がしました。

でも、絵自体はとても素晴らしい。すてきです。天井に扇が散っているさま。
廊下の天井には和綴じ本や色紙などの紙物が描かれている。そこに一箇所だけ猫が描かれていて、鼠が紙をかじるのを見張っているという、粋。
襖には、襖全体でひとつの絵になるという墨絵の風景画が描かれ、その空間の使い方に感心しきり。
欄間の彫り物といい、優雅で、粋で、日本人の美に対する繊細な感覚が堪能出来ます。


これは、本に載っていた書院の対面所を、デジカメで撮ったもの。
秀吉が各大名と面会した場所と伝えられる

このように、天井が黒塗りの梁で四角く仕切ってあり、
その四角にそれぞれ絵が描いてある。
ここはすべて同じ絵ですが、廊下は全部違う絵。

 

そのほか、ふたつの能舞台があります。書院を歩いていると見えて来ます。

この能舞台はすごい(これも国宝)。周囲の地面に砂利が敷き詰めてあり(鴨川の濡れ石だという)、それが音響効果をもたらしているという。

事実、後日私が西本願寺の外の南側を通り過ぎた時、ちょうど何かの催しがあったらしく、お能を舞う声が聞こえて来た。
本願寺の塀の外側からも聞こえるくらい、よく響くのだ。

***

さて書院を見たあと、飛雲閣も見ることが出来ました。

しかし、写真撮影は禁止されていたので、画像なし(>_<)
多分、写真に撮ったらぼろっと壊れてしまうのだろう。いや多分、事情があるのだろう。

飛雲閣というのは不思議な建物で、国宝に指定されているが、左右非対称で、左側が唐破風作り、右側が普通の入り母屋作り(ほんとか。謎)の屋根というアンバランス。三層立てで、一番上は、物見櫓か、天守閣と化している。
一階は障子で覆われ、張り替えたばかりの障子が真っ白。
一般観光客は中には入れず、外側を見るだけ。
でもこの間、この中で茶会が開かれた、という新聞記事があったので、ちゃんと使用されているようです。


飛雲閣の写真。
本に載っていたのをデジカメどり。左右不均等が特徴。

 

変なのは、周りを取り囲んでいるはずの池に、水が全然なかったこと。なぜか水が抜かれていたのだった。
別に枯れ山水でもなんでもない。あるはずの水がないのは、奇妙というより、ちょいと情けなかった。
池の底にホースがほったらかしだったりね。
写真に撮れなかったのはそのせい?

本来は、飛雲閣の周りは池が取り囲み、小船で行き来するのだそうだ。

 


唐門。

さてそんなわけで、いよいよ唐門に辿りついた。

西本願寺の西南にある国宝の門。
秀吉ゆかりの門で、伏見稲荷城の門を移築して来た、と伝えられるもの。

「伏見稲荷城の門」というのは、京都市内各寺社に散在しています。

まあどちらかというと、お寺にはあまり似つかわしくないので浮いている。
京都そのものに似つかわしくないケバケバぶりなので、一般京都人には評判はよくない。

 


お西さんでは誇らしげに案内してます。

 

どれだけ見ていても飽きないので、見ているうちに日が暮れてしまうというので、日暮門とも言う、と。

やはり目の当たりにすると、"いやー、どうえー"、という言葉が思わず出ました(実話)。
で思わず、何枚も写してしまったのです。

お姉さんたち、邪魔ですよ。(男とはえらい待遇が違う)

 

若干日光東照宮が入っているか。
でもあそこまでひどくないかな。

 

反対側、というか外側から見た唐門。龍谷大学の側から。
スケッチする若いお姉さんがいた。

 

付録 興小寺


興正寺

興正寺は、何度説明を聞いても理解出来ない。
西本願寺の横に建っている。というか、本願寺の境内の中。
というか、本願寺の塀の中。

なのでどう見ても本願寺の一部にしか見えない。コバンザメ寺か?

母が一生懸命説明してくれるのだが、分からない(>_<)
とにかく、西本願寺の一角に、興正寺というお寺が建っている、と思っておこう。

 

 

んー。ちゃんと興正寺と書いてある。

それにしても立派な門だ。門だけなら西本願寺以上だ。
でも、お西さんの隣だからどう見ても西本願寺の門だと思ってしまうのよね。

というわけで、奥の深い西本願寺探訪でした。

 

<ワンポイント観光>

★さて西本願寺を観光しようという場合、近所には風俗博物館があり(地味)、周辺ではさらに西へ行くと「角屋もてなしの文化美術館」があり(JR山陰線、中央卸売市場あたり)、その南には梅小路蒸気機関車館がある。ここはつい最近、重要文化財指定を受けた車庫がある。SLを動体保存していることで全国的に有名。その南には東寺があるが、むしろ北の壬生寺の方が新選組つながりでいいかも。

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