Temple

東本願寺

下京区烏丸七条

04/9/14

近場を責めてみる。


御影堂門。
東本願寺の中央。

お東さんのスケールがちっとも出ていないひどい写真(>_<)

バックは今修復中の御影堂。
このように、鉄骨で建物をすっぽり包んで、瓦の葺き替えを行うのだとか。

 

東本願寺は、京都駅のすぐそばにあるのだけれども、普通、観光客からはまったく無視され、顧みられることはありません。
しかし、真宗大谷派の総本山であるので、参拝客というか、門徒さんは多いので、おまいりに来る人の数はとても多いのです。

しかし、お東さんを侮ってはいけない。その気になれば興味深い事実が次から次へと沸き出て来るのです。

 

今、本願寺は西・東とも、2011年の、親鸞聖人の750回忌法要に向けて大改修中です。
なのでかなり見苦しい姿になっていますが、門徒の寄付等で巨大な屋根の瓦を葺き替え、7年後の完成を目指しているのです。
つまり改修には7年かかるらしいのです(@_@)スケールが違うや。

私の遊び場でもあったお東さん。今回は、満を持しての、お東さんの大公開だ!

 


噴水。
御影堂門の前にある。烏丸通のまん真ん中です。

画面右側が本願寺、その前に車がいっぱい止まっている。

ハスの形をした、いかにもありがたそうな噴水です。
この水は、琵琶湖疎水の水をひっぱって来ているという。

デザインは竹内栖鳳の図から取って来ているそうだ。

 

烏丸通は東本願寺の前だけ、広場風に広くなっています。こんなふうに↓

明治時代に烏丸通を整備した時、市がお東さんに気兼ねして通りを広げた、という話があるが、どうせお東さんから圧力があったのだろう。
ウチはエライ。だから通りを広げろ、と強制的に広げさせられた、と聞いたが。

 


お堀の蓮

本願寺の烏丸側に巡らされている堀(通称お堀)です。
お堀にはハスの花がいっぱい。今の時期、きれいに咲いています
でかい葉っぱだ(>_<)

お堀の水も、琵琶湖疎水の水を引っ張って来ているのです。
いざという時(火事)は、この水で本願寺を守るため

本願寺は、これまで何度か焼失しています。
その最後のものが幕末の禁門の変(蛤御門の変)
これに懲りて、いざという時のため、水を確保することにしたのだとか。

お堀ひとつにも歴史があるんです〜

 

こちらは本願寺北側、花屋町通に面しているお堀。

こちらは、睡蓮の葉っぱで埋まっています。
松が植わっていたり、なかなかな景観でしょ。

幸いお堀の水が消火に使われたことはないそうですが、
本願寺だけでなく、市内が火事になった時にはこの水を活用するのだという。
相互助け合いシステムになっているのだなあ。

でも、お堀には自転車や衣服、傘、ペットボトルなど
心無い人がいろいろなものを捨てて行くそうです。
そういうことはぜひやめて欲しいです。

 

東本願寺の東北かどに鬼門が…。
確かに鬼門だよねえこれ。
お寺に鬼門?まあいいか。


菊の門

これは、正面の御影堂門よりひとつ北側にある門です。

まずい写真ですが(>_<)菊の御紋が扉に。

これは、母に言わせると、天皇陛下が入られるために、
ただ一度のその時のために作ったのだという。
当然、一度使っただけであとは放置(>_<)

 


御影堂

御影堂門を入ると、御影堂があります。
現在修復中で、このようなありさま。

11月になると、右側の巨大なプレハブ(?)が西本願寺同様、
御影堂をすっぽりと完全に覆うのだそうです。

瓦が何万枚も使われているので、全部焼くだけで数年かかるそうです(>_<)

 


阿弥陀堂

なので現在、御影堂ではおまいりができません。
現在は、御影堂の南の横にある、この阿弥陀堂を使っています。

親鸞聖人の像も引越しして来て、今はここに安置されています。

お東さんは今でも鳩がいっぱいいる。
鳩をフィーチャーして記念撮影したぞ。

この写真を写すときも鳩がそばにいっぱいいて、踏み潰しそうになりました(>_<)

*

奈良のお寺などを見ると、いかにもお寺!、とか伽藍ですっ、と主張しているような気がして、私は落ち着かないんです。てっぺんに金のホコがついていたりね。
でも、本願寺はそういう建築としての自己主張は捨て、人々が拝む、という便宜のための建物として徹している。そこに気持ちが落ち着く。
装飾はないし、無駄なデザインもない。
見るための建物でなくて、使うためのものなんです。それでいて、木造。
雑念を捨て去った余裕というか、静けさのようなものがある。それが、お東さんとか、お西さんの良さだと思うんですよね。

 


東本願寺前の烏丸東側 北より南を写す

仏具屋・法衣店・数珠屋さん、旅館などが並ぶ
南に京都タワーを臨む

 

さて東本願寺は、家康が本願寺を東西二つに分けたので出来たという。

なぜ二つに分けたか。
それは、本願寺の勢力が大きくなるのを家康が嫌がったからだと(母談)。
たったそれだけの理由で分けたの?本願寺さん同士がけんかしたんではなくて?
と、さらに問いただすと、うん、と母はきっぱり答えたので、多分それが正しい答えなのだ。

 

御影堂・阿弥陀堂が併設されているのが東西両本願寺の特徴だという。

多分、今回のように修復などで使えなくなった時のスペアとして二つ建てられたのではないだろうか。
西本願寺とは、二つの位置が逆になっているが、通常は御影堂には親鸞聖人の像が、阿弥陀堂には阿弥陀さまの像が安置されているのは同じだと思う。
(本願寺では御影堂の方が本堂として扱われる)

そのほか鐘つき堂があり、さらに北側には書院(白書院・黒書院など)や能舞台などがある(すべて非公開)。書院はお坊さんがそこで生活しているのではないだろうか(?)。
能舞台はお西さん同様、実際に使われるようだ。

親鸞聖人の像は「真っ黒け」で、これは黒ずんでいるのではなく、最初から黒い材料(?)を用いているようだ。
説明はないので、重文とか、文化財の指定などはされていなくて、まあ大したものでは(美術的には)ないようだ。もちろん門徒さんはありがたくこの像を拝むのだ。

 


御影堂門を斜めから

これが精一杯の写真。

 

西本願寺は、書院や唐門など国宝指定があるが、お東さんには指定が一切ない。そういう意味からも、観光的には無視されているゆえんだろう。

 

詳しく言うと、親鸞聖人直筆の何とかという書き物*を所有しており、それは国宝に指定されている。けれども当然ながら公開はされていない。

*「教行信証」である

この間、この書き物のページをばらしての修復が終わり、その法要が行われたとのニュースが京都新聞に出ていた。お東さんもお宝の維持には気を使っているのだ。

 

東本願寺は創建以来、何度か火災等で焼失していて、今のものは明治時代の再建だ。

再建に際しては、門徒の寄付、協力・尽力があったそうです。
資材や資金不足を助けるため、女性の門徒が髪の毛を切って縄とし、それで建築資材を運んだのだという。

その寄進された髪の毛で出来た長大な縄が、御影堂には飾られていた。小さい時、何だか気味悪かったのを覚えている。
御影堂に入るたび、その黒ずんだ縄を見ていました。修復の済んだ御影堂に、また飾られることだろう。

 

何十年か前、相続(?)を巡ってごたごたを起こしたことがイメージダウンになっているかもしれない。でも、今のお東さんはそんなことはまるでなかったかのように、平然としておられる。こういう、肝の座った所が巨大宗教施設のおおらかな所かもしれない。

おまいりのあと、ちょっと回りを散歩して、お東さんの歴史を想ってみるのもまた一興では。

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