大田神社のかきつばた
京都市北区上賀茂
注意、40KBちかくある画像もあります
05/5/27
大田神社は上賀茂神社の分家というか分社というか、摂社というのだそうだ。上賀茂神社のそばにひっそりと佇んでいて、神社の横はもう山だ。
さほど大きくない神社だが、初夏に咲く、池に自生しているかきつばたが有名であり、歌にも詠まれている。
神山の 大田ノ沢のかきつばた ふかきたのみは いろにみゆらむ(藤原俊成)
見ごろは5月中旬頃、神社を入ってすぐに池があるから、まるで前菜なしのメインディッシュ、フォアプレイなしの本番みたいな感じだ(下品ですいません)。
私が行ったのは5月中旬を過ぎてからで、すでに盛りを過ぎていたようだ。けれどもまだ、ご覧のとおりの沢山のかきつばたを見ることが出来た。
何とうつくしい…。それが、最初の感想だ
大田神社は上賀茂にあるので、上賀茂神社行きのバスに乗る。京都駅からだと市バス4番。「上賀茂豊田町」というところで降りた。
上賀茂という所へは滅多に行かない。それどころか、私は上賀茂神社へは一度も行ったことがない。
私のようなダウンタウン(下京)に住んでいる者にとっては、上賀茂はあまりにも遠い。北の北の北の端、という感じがするのだ。
行動範囲のあまりの狭さがバレバレだ。方向音痴だから、初めてのところでは迷わないかとどきどきしながら「豊田町」から歩いた。
地図によると、そこからかなり歩かなくてはならない。でも、私の方向音痴はかなり改善されたようだ。一度も間違うことなく、迷うことなく辿りつけた。歩きながら思う。風景が違うと。
ここはどこだろう。京都ではない。
畑があり、田んぼがある。ローソンなどはあるが、家々の背が低い。平屋が多い。このあたりは、開発の毒牙から免れているのだ。空気がきれいだ。より湿っていると感じるが、それでもきれいだ。
となりは小さい公園で、青いのはすべり台
近くまで来ると、大田神社の矢印が出ていて、大きく案内されているので、迷うことがなく行きつけた。神社というより、森の中を入って行くという感じだ。
そして、神社の入り口のすぐ右側に、池があった。池の入り口に志納金として300円納めて下さい、と看板が出ていて、賽銭箱が備えてあった。
かきつばたの保護と育成にお金がかかるのだ。私は細かいお金がなくて、200円だけ入れた。すまん。でも、ほかには女の人は入れていたようだが、男の人でお金を入れている人はいなかったような気がした。
それにしても何の心の準備もなくすぐにかきつばただ。かきつばたに覆い尽くされているが、ここは池だ。自生しているというから、誰かが植えたのではなく、自然に生えて来たのだろう。
池だから、それほど大きくはない。だけども、その美しさには迫力があった。いろどりの美しさだ。
ちょっとしぼみ始めているのが残念
みどりと紫。この取り合わせのなんともいえない美しさ。自然が作り上げた色とはこんなにも美しいものか。
この色と色の調和のしかた。造化の神の何というセンス。
いにしえの平安の頃、はるか上賀茂へおまいりにやって来たみやこびとも、このひっそりとした神社に人知れず群生している花を見て、心を打たれたのに違いない。それが、ごく自然のこととして納得出来る。
そして、数々の有名な画家がかきつばたを描いたことも。画家ならば、描かずにはいられまい。天が創り描いたこの色の奇跡に、己れも挑戦せずにはいられまい。
ボツ気味だけど 感激してやたらに写した。
周囲は普通の住宅。池ごしに住宅が見える。でもやっぱりうちの近所とはちょっと違う。静かで、音というものがない。
田舎、といえるかもしれないが、それもちょっと違うかもしれない。何か神聖な雰囲気がする。ここは京都ではないのだ。
垣根を入れて、写してみました。
大田神社をあとにして、上賀茂神社へ行こうと、ガイドブックをかばんから出し、うろうろしていたら、うしろから「だいぶ少なかったですね」と声がした。
ふりかえると、わりと年を召したおじさんが(またおじさんかよ)、かきつばたが、少なかったと言っているのだった。時機が少し遅く、花がいつもより少ない。もう少し早く来ていれば、池じゅう満開だったらしい。
しぼみ始めてはいたけれど、私は満足していた。色の取り合わせの美しさに夢心地になっていたのだ。でも満開の状態だったらどんなだったろう。頭の中に描いた。
おじさんは観光の方ですか、と聞く。私は気まずい思いをしながら、「いえ、京都の者ですが、見たことがないので一度来たいと思って…」としどろもどろになりながら答えた。
こういう時、地元の者だとバラすのは限りなく恥ずかしい。いっそ東京からわざわざ来ましたなどと言ったらきっと感激してくれ、ますます親切にごはんなど奢ってもらえるかもしれない。けれども、あまりにもネイティブな発音なので、そんな嘘はすぐばれるだろう。
こんな時のために、標準語を学んでおかないといけないなとつくづく思うのだった(思うなよ)。
神社の参道 とっても小さい神社。
おじさんは、上賀茂神社の方向を教えてくれて、これから友達と会いますので…、と去っていった。
ほら見ろ、地元だとばらした途端このありさま。でも、京都の人は親切だ。京都めぐりを始めてから、本当につくづくそう思う。
写真を撮っている最中に車が来ると止まってくれる。自転車の人が来ると、撮ってあげましょうかと声をかけてくれる。地図を持ってうろうろしていると、こちらですよと案内してくれる。恐縮するばかりだ。
京都の人は、観光客にはこんなに親切なのだ。しかも、声のかけ方がうまい。うーん、おじさんたち、テク抜群。
その代わり、自分のとこの人には冷たい。地元の者のことはシカトだ。まあ、当然かもしれないね。
41KBかきつばたは、写真で見えるほど無数ではない。こじんまりした池で、向こうには近所の住宅も見えているし、むしろちっぽけと言っていいかもしれない。最初に見た時は、何だこんなもん?という感じだった。でも、なぜか私はご機嫌になっていた。
写真に撮っている人は多かった。相変わらずおじさんカメラマンが接写したりしている。このあと、上賀茂神社へ向かった。お天気は曇り。でもすがすがしい。