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興福寺のスターたち

Star in Kofukuji

04/10/8

さて興福寺は、藤原不比等の発願で藤原氏の氏寺として建立された(起源はもっと古いが略す)。
平安時代に平重衡によって「南都焼き討ち」に合い、かなりの建物と、仏像が破壊された。それをいわゆる鎌倉仏師が再建に努力し、それによって興福寺には奈良・白鳳時代と鎌倉時代の双方の優品が残ることになったのだった。

 

 

興福寺は日本でも有数の国宝所有率の高いお寺だ(多分)。

そのブツも、正統派からひねり技あり、異形、荒ぶるバサラ系ありとバラエティに富んでいて楽しい。

仏を楽しいと言ってはいけないが、楽しいのだからしょうがない。興福寺は本当にコストパフォーマンスの高いお寺だ。

国宝館や、東金堂などではもちろん撮影厳禁である。写真集などに掲載されている仏像写真は、特別に許可されて、有名撮影家が撮影したものだろう。
以下の写真は興福寺で売っていた写真集や、その他の写真集のものをデジカメで撮ったものだ。

 

興福寺には仏頭という、仏さまの頭だけが、いらっしゃる。もちろん、もともとは体もちゃんとあったのだろうが、失われてしまい、今では顔だけが飾られている。
みうらじゅんが、「加藤登紀子」と命名したことでも知られる、あのカシラである。


仏頭

これは、完全なお笑い狙いと言っていいだろう。
もちろん興福寺側はそんな意図はさらさらないのだろうけれど、あの頭だけがぽんと置いてあると、どうしてもぷっと吹き出さずにはいられないのだ。私は不謹慎なのだろうか。
でも笑うと同時に心が和む。お笑い癒し系だ。

 

阿修羅像は、常に人々を魅了して来た。数ある文筆家や写真家が、この像に魅せられて来た。

実際は、ガラスケースの中に、この像だけ一体、特別という風に飾られている。両脇は壁なので、3面ある顔の、ふたつを見ることは出来ない。
またケースの奥の方に立っているので、間近に見られないのが残念だ。

でも、細いあの体で、すっと立っているのを見ると覚束ない気がして胸が締めつけられる。

ほんの少し前かがみ。
三面六臂の異形であるが、それを感じさせない清冽さがある。前で手を合わせているのがいじらしい。
興福寺で売っている写真集には、見ることの出来ない2面の顔も写っている。
両方とも、全面のお顔に負けないりりしさと、精々しさがある。

奈良に地震があると、思わず心配してしまう。阿修羅像は大丈夫だろうか。あの覚束ない様子で、地震に耐えて立っていられるのだろうか、と。

 


他の八部衆たち

阿修羅は八部衆という者たちの仲間だ。八部衆というのはよく知らない。
だが、興福寺に来てみると、いろんな八部衆がいて面白い。よく分からなくてもいいのだ。

八部衆の名前には、けんだっぱとか、ひばからとか、きんならとか、かなり魔術的な名前がついている。インドから来ているのだろう。みんな中華風の甲冑をつけているが、いろんな相貌をしていて楽しい。

 

 
 八部衆のうち カルラ像とサカラ像

カルラというのは、ガルーダという鳥のこと。鳥の顔をしているのだ。いっとう面白い像だ。
サカラは、頭に蛇を乗せていて、阿修羅よりも若い少年のような顔。蛇をまるで帽子のようにしてかぶっているのが可愛い。


五部浄像という。

八部衆の中には損傷して、このように頭だけのものもある。でも、この五部浄像は、頭部だけでもりりしく実在感がある。阿修羅像と同じように眉をひそめている。

 

 
十大弟子 釈迦の弟子だということだ。

この十大弟子の像は感動的だ。ちょっと歯抜けがあったと思うが、右側の写真、一番若い、お地蔵さんのような風貌の方(須菩提像)はいらっしゃった。まっすぐに前を向いた目が、一途だ。

どの像も同じようなポーズで同じ背、同じような衣なのだが、一人ずつ、その性格が浮き出るように個性的に作ってあり、特に少し年配の、腰をやや斜めにひねって遠くを見る像(フルナ像)には心を打たれる。

それぞれに趣向を凝らした着物の造形は見事で、素晴らしい見ものだった。
人間の背丈よりやや小さい。でも、台の上に乗っているので見学は見上げる感じだ。

 


南円堂に鎮座されているお坊さんたち みなさん国宝級

興福寺の法相宗の興隆に貢献したひとたち、ということだ。これも国宝館で見ることが出来る。

このような写実的な彫刻が発達していたことに驚く。と思ったら鎌倉時代の作像である。
鎌倉時代は、写実彫刻の時代だ。技法がきわまった時代と言っていいだろう。

 

 
金剛力士像 仁王様

さてこの仁王様は国宝館に安置されている。とてもかっこいいポーズで、肉体もかっこいい。
これは間違いなく、興福寺のもうひとつのウリであろう。
でも、右の仁王様は不在、出張中。左側の吽形のお方だけ在宅。
吽形の仁王様のビーチクが取れているのが残念である(^_^;)。

鎌倉時代の作で、鎌倉時代らしいアクティブな造形だ。それほど大きいものではなく、人間よりやや小さめと言うところ。

そのほか、天燈鬼、龍燈鬼という、燈篭を担いだ邪鬼のようなお笑い系の鬼がいるのだが、これも不在だった。四天王も同様。


伐折羅大将

東金堂に飾られている十二神将のうちの一人、バサラ大将。このドラマティックで、演劇的なポーズは鎌倉時代独特のもの。なんか三国志の周瑜を思い出しちゃうな〜

十二神将にもかなり歯抜けがあったと思うが、この有名な像はあった。わりと小さくて、前に置いてある菩薩さまなどに隠れがちだ。
薬師を中心に、周りに守護する仏がたくさん取り巻いているのだが、うっかりしていると見過ごしてしまうのだ。
見仏者として、私はまだまだだと思うのだった。

 

ともあれ出張者が多いにも関わらず、まだこれだけのものが見られた。嬉しいことである。

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