Temple

興福寺
Kofuku-ji

invited on 04.9

04/10/8

さて仏(ブツ)初心者なら、興福寺。何はともあれ、興福寺に行くのが仏初心者の心得と言うものであろう。

 

興福寺は、何と言っても近鉄奈良駅から歩いてすぐ、というコンビニエントな場所柄がポイント高く、「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されていることもさることながら、とにかく併設されている宝物館が国宝館というだけあって、国宝がごろごろしている。

行きやすさといい、所有する仏(ブツ)の質の高さといい、初心者には願ってもいないコンビニ寺と言えるだろう。何と言っても、駅からすぐの場所に日本有数の上玉ブツがあるのだ(失礼)。
初心者だけでなく、ツウの人が行っても満足感確実の高ポイント寺でもある。

国宝がごろごろという点では京都の東寺などもそうなのだが、東寺がマニアックなのに比べ、興福寺のそれは分かり易く、誰にでも理解しやすい魅力があるのであり、所有している仏が、仏界のアイドルあり、お笑い狙いあり、感動系ありと、バラエティに富んでいるのもその魅力のひとつであるだろう。

 


寺の前の看板。
国宝展のポスターが貼られている。
阿修羅は常時見学出来ます、と書いてある。

 

東京をかわきりに、この秋から約半年から1年くらいかけて、「興福寺国宝展」が日本全国で巡回するようである。
そうなると、興福寺そのもので興福寺所有のお宝がしばらく見られなくなるかもしれない、と、私は大変な危機感を持ち、9月のはじめ、慌てて行くことにしたのだった。

しかし時既に遅し、お宝のいくつかは既に梱包作業に入っているようであり、展示されていないものが多数あった。非常に悲しかったが、ムチャク、セシンなどは秘宝なので常時展示されていたわけではないから、いつ行っても見られないのには変わりない。
それでも、例年秋に公開される特別展示は、今年はありませんと言う注意書きを見て、悲しみはいや増した。何とタイミングの悪かったことだろう。
その代わり、全国でムチャク、セシン像を見ることの出来る人は幸福である。

ただ、興福寺最大のスーパースターである阿修羅像は貸し出しされないらしく、ここで見学出来ますの書き付けが貼り出されていた。
さすがに阿修羅像だけは持ちだししないようである。

 


境内を入るとすぐ東金堂と五重塔がある。
あまりにも立派でどきまぎ

 

さて近鉄奈良駅からてくてくとまっすぐ歩いて5分くらい行くと、すぐに看板が出ているので、そこの横の細道から興福寺へ入る。

興福寺は複雑な歴史がある。

神仏習合の思想により、以前は神と仏が一緒に祭られていたので、春日大社と同化し、昔はその境内は広大な面積を持っていたようだ。
今、鹿がのんびり昼寝をしている奈良公園となっている部分も興福寺の境内だったそうだ。

今でもどこからどこまでが興福寺の境内なのか、判然としない。しかも今整備中とかで、境内をブルドーザーが平気でゴーゴー行き交う。
真ん中の、かつて金堂があった、また再建されるとおぼしき場所は広場のようにだだっ広いばかりで柵がしてあり(中には入れない)、どうも落ち着かない。
南円堂の前の道ではトラックが止まり、おじちゃんたちが材木を肩に乗っけて歩き回っている。
何だ何だ、ここは。まさに建設現場だ。

どのお寺も、古いものは特に焼失等があって、再建するのに苦労しているようだ。

興福寺は、明治の廃仏毀釈の憂目に合い、多くの寺宝が強制的に廃棄させられたそうだ。それでも頑張って今日まで生き延びた。

 

 
五重塔は、室町時代の再建だそうだが、白鳳様式で再現された
中には本尊がおられるが通常は非公開

横道から興福寺の境内へ入ると、すぐに東金堂と五重塔が見える。横はいりしたという感じだが、近鉄奈良から行くと、必ずこの入り方になる。

まず五重塔に目が吸い寄せられる。

真面目に、というか、意識して五重塔を見るのは、多分はじめて。この年で。だからこの木材の組み上げにはただただうっとりするばかりだった。

彩色はしてなくとも、木の組み方を見るだけでげっぷが出るほどの充実した建築。再建だけれども国宝だ。

五重塔の、屋根の内側が好きだ。積み木細工のように木が組んであるのを見るのは快感だ。
この木の色も美しい。塔というのは、なかなかただものではない、とは以前から思っていたが、やはり相当な実力者だ。

とりあえず五重塔を写真に撮り、東金堂を素通りして国宝館に行く。

 


国宝館の拝観券。
興福寺のスター、阿修羅をあしらう(しゃれではない)のはお約束

 

東金堂の手前に国宝館がある。

すぐに国宝館に入り、お宝を見る。

国宝館は、以前食堂(じきどう)のあった所に新たにコンクリで建てられたもの。なので写真はなし。

そんなに大きくはないが、所蔵品の質はものすごく高い。
ひんやりしていてうすぐらい。ちょっとうらぶれ感があるが、平日なのでこんなものだろう。

前述したように、興福寺のウリであるスターたちのいく人かは、地方巡業に出払っていていなかったが、それでもトップアイドルは健在だった。この、擁するスターの数の多さと質の良さがさすが興福寺だ。まさにお寺界の宝塚だ(意味不明)。

 


興福寺写真集 売店で売っている。すぐれものだ!
やっぱり阿修羅が表紙。よく見るとヒゲがある。いやんっ。清志郎ヒゲ?

 

興福寺のナンバーワン人気は、阿修羅像である。

阿修羅は、数ある日本のブツ(仏)の中でも特に人気が高い。まさに仏界のアイドルスター、仏界のキムタクと言っていいだろう。

彼は八部衆の一人ということになっているから、お仲間もいる。まさにSMAPそのものだ。

ここで、興福寺のスターたちについて書こうとしたが、あまりにも多いので、別項を設けて新たに書くことにした。

ただ、国宝館では、その中央部に巨大な千手観音がおられ(立像)、それが本尊であるようだ。旧食堂の本尊であられたのかもしれない。
その前には賽銭箱とお花が生けられてあり、拝観者がお賽銭を投げていた。

他のブツ(仏)たちはガラスケース内に博物館のように入っていて、まじまじと見ることは出来ない。あまり近くへも寄れない。場内が薄暗いこともあって、なかなかディテールを見るのが困難だった。

 


東金堂の入場券。んー、このご本尊は…

さて国宝館を出て、どんどん次に進もう。

国宝館を出て、新たに東金堂の中へ入る。五重塔の真横にある。東金堂の建物自体もさりげなく国宝である。

ここへ入る時は、国宝館とは別にまた料金が要る。300円ほどである。

東金堂の本尊は薬師如来だったと記憶する(記憶力がないことよ…)。脇侍として日光・月光菩薩があらせられるのは、基本通り。

その他のブツはシンメトリーに配置されているものだろう、と思っていたが、そうではなく、何だか均等に配置されていない。
何でだろう、と疑問に思ったが、これは、この東金堂からも出張者がいたからで、文殊菩薩さま(坐像)はおられたが、その対にいるはずの相方がいない。

タイミング悪し。その代わり、全国の皆様は「唯摩居士坐像」が見られるはずだ。私の代わりにじっくりと見て来られたし。

その他、12人おられる筈の十二神将にも歯抜けが。でも一番有名なバサラ大将はおられた。

十二神将といい、四天王といい、こういうメイン仏のまわりを取り囲む仏たちは、それなりの配列というか、基準を守って配置されているのだろう。
だから後ろの方におられる仏はよく見えない。
見るためでなくて、拝むために、おられるのだ。
あまりにも無造作に重なって立っておられるので、国宝という重厚感がない。

たとえ、国宝であってもメイン仏には勝てないのが面白い。
メインの薬師ちゃんは重文で、文化財的に見ればサイドの方が価値は高いのに、ブツの格式からすれば如来の方が偉い、というわけだろう。

それにしてもこのように、仏さまたちがずらりと堂の中に勢揃いしておられると、恐れ多いという気持ちよりも、賑やかで結構ですな、とご機嫌な気持ちになって来る。


南円堂
五重塔の、はるか向い側

 

というわけで、通常拝観できるのはここまで。あとはのんびり境内をぶらつく。

南円堂にも仏はいらっしゃるが、通常は非公開である。
そのうちのいくつかは、国宝館で公開されている。お坊さんの坐像などである。4体ほど見ることが出来た。
前へ行って建物だけ写して来たが、逆光で色が出なかった。
ちゃんと写すには、午前中に行かなくては駄目みたいだ。

この南円堂は西国三十三ヶ所のお札所になっているので、にぎやかだ。

 

このほかに北円堂、三重塔、大湯屋などがあり、北円堂は、運慶の設計による天蓋などが見もので、ムチャク、セシン像があるのも北円堂である。ここも通常は非公開。
ここらへんは、かなり遠くにあり、どこに何があるのか分からなくなり、建物に行きつけなかった。
興福寺は行きやすいので、今度また行くことにしよう。

 


興福寺友の会。

興福寺友の会。そんなものがあるのか。

けれど、これはかなりすぐれもので、友の会に入ると同伴者の拝観が無料になったり、寺報「興福」というファンジンが送られて来たりするそうだ。まさにSMAP友の会だ。さすがスターを多数擁するお寺ならでは。思わず入ろうかと思ったほどだ。

 

というわけで、興福寺(の一部)を見て来た。

完全な形ではなかったけれども、仏と寺院建築を手っ取り早く体験してみたい、という私のような初心者にはお誂えの、お手軽寺だ。奈良駅すぐに建っているのが本当にありがたい。

平成12年に解体されたという中金堂は、1819年に仮再建されたもので老朽化が目立ったという。比較的最近のものだったから、惜しみなく壊したのだろう。
実際、江戸時代などよりも奈良・白鳳の時代の建築の方が質が良いのだという。
瓦も、木材も、そして大工の腕も、昔の方がずっと良かったらしい。
今回の再建では、ぜひ、200年と言わず、400年も500年も持つ、すばらしい金堂が建つことを望んでいる。

 

興福寺のスターたち

興福寺のHPへ(そんなのがあるんや…)
興福寺国宝展 (大学美術館)

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