Book Maniacs

新参の新潮新書

謎解き
少年少女世界の名作

2003

長山靖生

04/5/30

最近、というか、ちょっと前、新書が発刊ブームだった。
そのブームを受けて、新潮社もとうとう新書業界に参入し、いきなり「バカの壁」のヒットを飛ばしたことは、周知のとおりである。

新書好きの私としては、新書業界が活発になるのは目出度いことなのだが、乱立気味であることと、かなりの出版社が新書を出しており、書店での棚争いによって、良質の新書を出していた古参の社が駆逐されてゆくのではないかということが心配だ。

 

それはともかく、なかなか面白そうな本なので、買ってみた。

よく知られた、子供向きの名作が、実は意外な裏話を持っていた。
とは言っても、ひと頃流行った、実は残酷だった童話、といった類のものではない。

子供向きの世界の名作が、日本に翻訳され、受容されてゆく過程から、なぜそれが、当時の日本に受け入れられ、必要とされたか、を解く。
おおむね、それらが翻訳され受け入れられてゆくのは明治時代である。

明治の、社会・風俗がそれらを必要としたバックグラウンドを探る、といった、興味深い内容になっている。

 

著者は、歯医者である。

歯医者がなぜ大衆思想史を。

著者は、実は明治の大衆社会に異様に詳しい。私は最近、というかここ数年、偶然なのだが立て続けにこの著者の作品を読む機会があり、それで彼の名前を覚えることとなった。
続けて読んだのは偶然なのだが、そのどれもがおのおの、独立して私のアンテナにビビッと来たのだ。

普通は好きになった著者の作品を立て続けに読む、ということがあると思う。しかしこの著者の場合、そうでなくて、面白そうだから買って読んだ。そして、気がついたら以前聞いたことがある名前だ…と思った。そうしたら、やはり以前にもこの著者の本を面白そうだと思って、買って読んだことがあった。

このようなことがあって、著者の名前を覚えてしまい、それで最近は彼の著作があると、自然と注目する、という態度になったのだ。
長山靖生は最近新書界で売れっ子らしく、よく名前を聞くようになった。

すべてが、とは言わないが、おおむね私の興味を引くようななかなか面白い題材のものを書いている。私と波長が合うようだ。

この本も、当然面白かろう、という予測で買ったのだった。

 

私は子供の頃、少年少女向きの文学というものを読んだ覚えが殆どない。本が、意味もなくきらいだったからだ。
だからここに掲げられているものを少女期に読んだことは殆どない。子供向きだから、大人になればもっと読まない。
結局読んだことのないものばかりではある。

「フランダースの犬」「王子と乞食」「宝島」「家なき子」「十五少年漂流記」「クオレ」「少女パレアナ」…。

まさに名作と謳われている、有名な作品ばかり。
これを、少女期に読むということは、どういうことなのだろうか。情操教育の上で、どのように役立つのだろうか。
読まなかった私には、それは計り知れない。

著者は、これらの作品を大人の目で読み返し、例えば「家なき子」は本来大人のための、「親に対する教訓集」なのだと結論する。
「学ぶべきは親なのだ」と。

大人がこの本を読んで、

自分がきちんと子育て出来る親になろうと発奮することなく、子供に読ませて、レミのように勝手にいい子に育って欲しい、と安易なことを考えた…

と鋭い洞察を行なっている。

また、「クオレ」には、「大人の甘えと子供への過大な要求が溢れている」と指摘している。

「親の弱さ」を覆い、子供に孝行を強いるおしつけがましさを秘めている。

甘えている大人は「親」ばかりではない。「教師」も甘えている。

と手厳しい。

こうした鋭い考察から、「子供向きの名作」がどのような意図で書かれて来たか、受容されて来たかが炙り出されて来るのだ。

子供の名作には、重層的な構造が隠されている。
おとなの、無意識の思いが、書かれた当時の社会の考え方、社会のあり方がそこに反映されているのだ。
そしてこれらの名作を翻訳し、受容されていった日本の社会の意図も透けて見えるようだ。

長山靖生「我輩は猫であるの謎」

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