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京都ハリストス正教会

京都市中京区夷川柳馬場通下ル

京都市指定文化財 1903年竣工 設計 松室重光

2016/12/ 28

2016年京都非公開文化財特別公開で、初めて一般に内部が公開された 800円

京都ハリストス正教会は、長いこと私のあこがれだった。

いつだったかもう何十年も前に新聞に載った教会のこの写真を、
大事にファイルに残していた。

中京区なので、そう遠くはない。行こうと思えばいつでも行ける場所だった。

でも、行く機会がなかった。
今回、非公開文化財特別公開2016年で、内部が拝観できるので、
ようやくこの機会と思い、訪ねることにしたのだ。

狭いところで駐車場のすぐ横 こじんまりしている

説明によると、木造で、内部はしっくいで固められている和洋折衷の方式だそうだ

人が大勢

美しい白を基調にした正教会建築

いっけん美しいが、しかし剥落が始まっているそうで、維持がなかなか大変らしい
こういう文化財の保存は難しいようだ

日本にある正教会はすべてロシア正教会
1860年、ニコライというロシアの牧師が日本にロシア正教を布教するため来日したことから始まるという
 

まず函館にハリストス正教会が建てられ、次に東京にニコライ堂、ともに最初の建物は消失
この京都ハリストス正教会は1903年のもので、現存する中では最古ということだ

このハリストス正教会を見本に各地でロシア正教会が建設されていったという

 

設計は京都府庁を設計した松室重光という才能のある建築家
どちらの建物も気品のある建築だ
この2作だけでも名建築家であることが分かる

ハリストス正教会はてっぺんの葱坊主と十字架が特徴

こじんまりしていて、内部も一部屋だけ

キリスト教はローマ帝国で国教とされたのち、ローマ帝国の分裂で東西ローマ帝国となった時、
キリスト教も東西に分裂した。
東ローマ帝国の国教がギリシャ正教となった。

その後ロシアが国教として取り入れ、ロシアでロシア正教として発展した

ローマ・カトリックとはまた趣きを異にするキリスト教で、それをもとにして正教美術も発展したことが分かる

その後東ローマはオスマントルコに制圧され消滅(したんだよね?たしか)、
ギリシャ正教もそれ以上の発展はなく(のだよね?)キリスト教から派生した一派となる(んだよね?あやふや…)

非公開文化財特別公開でにぎわっていた


正式には「京都ハリストス正教会 生神女福音聖堂」というらしい

日曜に礼拝が行われている
でもロシア正教…って需要があるのだろうか

行われる行事の案内が…

内部が撮影禁止だったので、これは本に掲載されていたもの

イコノスタス(聖障)という、壁を装飾したもの
正教会の特徴らしい

それほど大きくはなかったが、厳粛なおももち

ロシアで制作され、持ち込まれたものだという

日本で山下りんという女性がイコンの修復に携わり、
彼女が日本で初めてのイコンの画家となったという

ぼやんとした画像だが、新聞の内部写真

イコノスタス(聖障)というらしい

奥の壁一面に施されたパネル
そこにはキリストの生涯や、聖人の画像などのイコンがはめ込まれている

天井は白い漆喰で木製の木組みを固め、ゆるいカーブを描いており、装飾はなく、簡素で清潔感にあふれていた

シャンデリア…白い天井によく映える、ひとつだけ、つけられているシャンデリア
とても美しいけれど、華美すぎず、あまり大きくなく、それでも存在感がある
年代も感じさせる

イコノスタスに描かれているイコンにはおなじみの聖書の題材や聖人の像など

扉があくのは知らなかった

そのほか大十字架、銀製の大きな福音書などが展示されていた。


大十字架は山下りんのイコンのキリスト像がはめ込まれていて、正教会らしい


銀製の表紙の福音書はとても大きく見事な装飾的な書物で、立派だったが、
福音書は、どのキリスト教も同じ内容なのだろうか

装飾的ながら、深い信仰も感じられるキリスト教のもう一つの姿を見たような気がする

 

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