Art Maniacs

水路閣

京都市左京区南禅寺町

06/4/28

少し季節がずれてしまったが(写真を撮ったのは秋)、アップし忘れていたので上げておく。

水路閣は、南禅寺の境内にある疎水施設である。明治時代に作られたので、今では良い具合に古びて何とも言えない風情をかもし出している。

そのせいで、寺の中に煉瓦アーチ、というとんでもないミスマッチにも関わらず誰も文句を言わないし、むしろ観光地として人気がある。

しかしこれが作られた当初は、さぞや物議をかもしたのではなかろうかと思う。

南禅寺という、一級観光地であり、禅寺であるこのお寺の境内に疎水を通すという。この英断を下した当時の南禅寺の責任者のお坊さんはすごいと思う。

私がもしその住職なら絶対反対する。

神聖な禅寺に、疎水を、しかも西洋建築の煉瓦アーチをずん、と建てる。そんな無謀なことが許される筈がない。
と私なら考えたと思う。

彼は、いったい何を考えてこれを許可したのであろうか。

もし出来ることなら「その時歴史が動いた」あたりに取材してもらって、煉瓦アーチを許可した坊さん、という番組を作ってもらいたいものだ。

琵琶湖疎水は、琵琶湖から山科を通り、一部外に出て再び地下へもぐり、九条山ポンプ室というところを経て、左京区の浄水場に流れている。

南禅寺の手前から地上に顔を出し、この水路閣を流れて哲学の道へ通じている。

水路閣は写真ではただ美しく遠近法で写っているが、実はこれは見せかけの遠近法で、山へ向かうにしたがって地面に勾配がついており、その分、山へ向うと水路閣のアーチは小さくなっている。
しまいにはアーチがなくなり、消滅している。山の中に埋没する。

つまり水路閣は見せかけの遠近法で、いっけんものすごく長く見えるのだった。でも、近くで見ると短くて寸詰まりだ。

このトンネルの中でポーズをとって写真撮影している観光客多し。

南禅寺の境内のところだけ、水が地の上を走るという、不思議な状態になっている。いくら考えてもその訳が私にはあんまり良く分からないのだ。

先ほども言ったように、これが明治時代、出来たてのころはさぞや、南禅寺の塔頭とはミスマッチの、とってつけたような景観だったのではないか。

しかし今は、この煉瓦は古び、苔むし、およそ500年前からここにあるのではないか、と思えるほどにごく自然に佇まいしている。それはある意味みごとなほど、東山の自然の景観と溶け合っているのだ。
煉瓦というのは不思議なものだ。

さて、水路閣の横の傾斜を登ると、水路閣の上を見ることが出来る。あのアーチの上だ。

アーチの上はどうなっているのだろう。ここへ来れば当然、その興味が出て来る。

 

なんと、水路閣の上には、ちゃんと疎水が通っているのだ!当たり前だろそれお前。という突っ込みはなしにしておくれ。私はとても感激したのだから。

岡崎疎水や、疎水分流の疎水の水はにごっていて臭いがして来そうなのだが(これこれ…)、ここの疎水の水は清流で、本当にきれいで、しかも流れが速い。だだだっと音を立てて流れている。

そして疎水の流れは、この奥深い山の中へ消えてゆく。小さく門のように見えるところ(水門?)から、トンネルになっていて、山へ消えている。このあと、疎水はしばし山の中を走った後、多分若王子あたりで顔を出して哲学の道を流れ、そのあと北白川を通って松ヶ崎浄水場へなだれ込む。

苔むして、古びていい味を出している、過去の遺跡の上に、このような清流があろうとは。今もその流れが生きていて、それが我々の生活を潤しているとは。

そのような感激に、私はしばし浸ったのだ。なにも言わないでおくれ。たのむから。今一度、この感激を胸に余韻に浸りたい。

南禅寺

[Temple | Kyoto Walk | HOME]

  inserted by FC2 system