任天堂 旧社屋
正面営業所
Ninten-do
08/8/20
京都市下京区正面通木屋町東入
任天堂の本社は、現在、たしか京都市伏見区にあると思う(確かではない)。
この正面木屋町の任天堂は、こここそが任天堂発祥の地。
そこに現在でも古い社屋が建っている。建設されたのは昭和8年、「アールデコ調のライト風デザイン」のしゃれた瀟洒な外観で、近くを歩いていてもひときわ異彩を放っている。
写真を上手く撮れず、四苦八苦して何度も挑戦したのだが、何度も失敗。今回、これで手を打つことにする。
入り口もおしゃれ。写真では良く分からないのが歯がゆい。
任天堂の社屋が建っているのは通りの交差するカドであるが、建物はそれほど大きくない。むしろ、現在の任天堂の名前を知る者が見れば、ちっぽけと言ってもいいくらいだ。
けれど、建てられた当初(昭和8年だという)はじゅうぶんに大きくて、立派で、さぞやモダンだっただろう。
面している前の通り(正面通)が狭く、横の通りもとても狭い。だから写真に写しづらいのだ。
任天堂は、良く知られているように、はじめ、花札の会社であった。それで、プレートにはかるた・トランプと書いてある。
山内任天堂だと
なぜ花札かというと、このあたりには、今もそうだが、会津○鉄会の本部があるのだ。
京都で有名なや○ざの組織である…。
そして、任天堂はその本部の近くのたばこ屋であった。たばこの他に花札も売っていたのである。もちろん、近くのあそこの需要があったからである。
ある時、会津小鉄のお兄さんが、たばこ屋に例によって花札を買いに来た。
なあおっさん、あんたんとこの花札はすぐにあかんようになる。もっと丈夫なの、ないんかい。
兄さんはこう言った。
そこで、たばこ屋の主人・山内さんは一念発起して、や○ざのお兄さんのために、自ら丈夫な花札を作ることにした。
その丈夫な花札はお兄さんたちに大評判。任天堂はたちまち花札屋として成長した。
日が当たって見にくい。でもツートーンカラーがすてき
ま、このようなことで任天堂がスタート?した結果、今やDSやウイイーやらで大成長。手狭になった正面木屋町の営業所から、広い所へ引越しした。
しかし、もとのこの営業所はアールデコ調の小じゃれた外観。話によると、内部もタイル張りで、とてもおしゃれでモダンだそうだ。
そのせいか、任天堂は、この無人になった建物を壊すでもなく、使うでもなく、こうして無人のまま放置している。
それとも保存してあるのだろうか。手入れをしているのだろうか。
玄関わきの出張り…この石の彫刻がもうね、とても素晴らしい
とにかく、建物自体は使われていなくて、行ってみると廃墟のようだが、建物のおしゃれさは町並みの中で、とても目を引く。
ただ、そんなわけで訳ありの場所にあるのだった。
正面通自体が何となくうらぶれた、裏通りという感じになっていることもあり、ひっそり感が倍増。そして怪しい雰囲気に満ちている。
右側の写真の、左の建物は眼科歴史博物館
正面通というのは通りの名前で、昔、秀吉が建てた大仏殿の真ん前を通る道だった。
その道は大仏殿へもうでる参道であった。そのため、正面通という名前がついたのだ。
秀吉は、京都の市民に、この正面通を通って、奈良の大仏よりも大きい京都の大仏を拝ませようとしたのだ。
しかし、その秀吉の涙ぐましい小細工も虚しく、徳川家によって、参道はずたずたに分断され、すっかりさびれ果てたのであった。
その結果、幕末にはこの一帯が怪しい場所になったものだろう。秀吉、まったくカタなし。
これは、別棟として後ろに建っている。これがアメリカンコロニアルというか(でたらめな命名である)、コロニアルスタイルでとてもおしゃれな建築なのだが、面している道がとても狭く、上手に写せない。くすん
うぬ、これが精一杯である。グリーンとサンドベージュの色使いがとても良いのだ。最近ではこんなおしゃれな建物はもう作られないね。
このように、モダンでしゃれた建物が放置状態なのは勿体無い気がする。
何か使い道はないのだろうか。島津のように、記念館にするとか。危ない場所にあるから、それも考えものなのだろうか。
美しい木造の家屋で、周囲から目立っているこれは分かりづらい写真だけど、任天堂本社の横にある木造の建物で、時々情報番組などで紹介されることもある、個人が開設している「眼科・外科医療歴史博物館」。
写真ではそれほど良いように見えないが、実物は美しい木造家屋だ。
任天堂とは、駐車場を挟んで隣り合わせになってる。
面しているのが正面通
ここは予約制で、普段は開いていない。予約すると入ることが出来るらしい。もとお医者さんの館長が個人で開いている博物館だ。
そのため、博物館という看板が出ているが、あたりに誰も人はいない。
このあたりは、もともと人の少ない場所なのだ。
中には眼鏡や顕微鏡などの、目に関する昔の機材や医療用機材が展示されているという。
出た、仁丹の道路票。任天堂の近くで発見。
仁丹の道路票は、京都でもだいぶ少なくなっている。でも探せば案外近くにもあるので、町歩きの良いネタだ。
これは任天堂の社屋のすぐ近くにあったもの。
古くなってしまったものは取りかえられている。最近のものはライオンズクラブの宣伝になっている。少し前はフジイダイマルのものだった。
いっとう最近のものは、もっと大型で幅が広く、韓国語でも表記されている。
参考 京都モダン建築の発見 淡光社