Art Maniacs

無鄰菴
むりんあん
Murin-an

京都市左京区仁王門通

05/11/30

無鄰菴は明治の元老、山縣有朋の別荘として有名であり、その回遊式庭園は自身が設計、監督し小川治兵衛に作庭させたものという。
小川治兵衛はほかにも円山公園などを作った、有名な造園家である。

数々の逸話を持つこの名高い無鄰庵に私は興味津々。京都に住む人間としても見ておかないわけにはゆくまい。そのように思い、はるばる左京区へ向った。

といっても、地下鉄で蹴上駅まで行けばあとは歩いて行ける。
そう思ったが道に迷い(>_<)、遠回りをしてほうほうのていで着いたのだった。

 


東山の借景

入るとすぐにこの風景が見える。無鄰菴は、岡崎から疎水べりに疎水記念館へ向かって歩くと右側に見えて来るのだが、その付近一帯に長い塀が張り巡らされ、ものすごく大きく広い庭なのだなと周囲を歩いていると思ってしまう。

けれども中に入るとそれほど大きいとは感じられない。言うても個人の庭だし、入り口から入ると、一番向こうの奥、突き当たりが見えてしまう。
ただ、そのこじんまりした庭に、ものすごく濃厚な庭のエキスとでも言うべきものが漂っている。
ザッツ庭というか、庭のいいとこ取りというか。静かで落ちついていて、しっとりしていて、これ以上ない庭である。
しかも、東山を望む借景がばっちり決まっている。
周囲には高い建物がなく、借景を見ても幻滅をすることがない。環境が整っているのだ。
さすが金持ちである。目のつけどころが良い。

というわけで、隅から隅まで庭。庭庭庭の庭写真です。

観光客はわりといます。母屋ではお茶のサービスもあり

池泉回遊式庭園であるので、庭には川が流れ池がある。人が歩ける処には柵があり、ロープが張り巡らされている。

狭いといっても個人の邸宅でこれほど立派で大々的な庭は、なかなか作れまい。山縣有朋、よっぽどようけ儲けたんだろうなあ。


庭の最奥には何と滝があった。

しゃわしゃわと流れる滝の音。こりゃすごい。疎水の水を取り入れているそうだ。

山縣有朋はもともと木屋町二条に別荘を作ったそうだ。1896年に新しくこの地に好みの別荘を建て替えた。

山縣はこの無鄰菴を愛し、しばしば夫人と訪れたそうだが、それはそうだろう。これだけ入念な、自分好みのものを作ったからには、来るだろう。

 


母屋 入り口にすぐに立っている

木造の母屋と茶室、そして洋館が建っている。ぶらぶら歩いていると到達する。

洋館は、外観は何が何だかほとんど分からない。周囲が木に覆われているので、外観が見えないし、あまり気を配ってデザインされてもいないようだ。

しかし、この洋館で「無鄰菴会議」が行われたという。伊藤博文や、桂太郎などと日露戦争前の外交方針を決める会議だったという。
と、ガイドブックやパンフレットなどに解説されている。


洋館の中の階段の手すり
中を撮影できるかどうか分からなかったので、こんなのだけ写真に撮った。

その洋館の中も見学出来る。レトロな階段を昇ると2階の広間に机と椅子が置かれ、そこが会議の行われた部屋だという。明かりは点けられておらず、昼間でも薄暗い。保存のためだろう。

ここの壁は江戸時代初期の狩野派の障壁画が描かれてある。部屋がもともと暗いこともあり、壁の絵は良く見えず、何だか茶色くて汚らしい。
それでも目を凝らせば狩野派らしい絵柄(鶴や木や桜など)が浮かび上がって来る。
そして天井の「花鳥文様の格天井」が素晴らしい。

現在無鄰菴は京都市に寄贈され、京都市の管理下に置かれている。国の名勝に指定されている。

現在では到底作ることは出来ないであろう、いかにも環境の良い処に作った、明治時代の金持ちならではの別荘。覗いてみる価値ありだ。


参考 無鄰菴パンフレット

交通 地下鉄蹴上駅下車 市バス・神宮道下車

近所 琵琶湖疎水記念館 動物園 金地院

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