Art Maniacs

05/6/19

私は、壁ウォッチャーである。壁愛好家であり、壁研究家である。

「全日本壁愛好会」の会員であり、正式な壁研究家なのだ。ちなみに、「全日本壁愛好会」の会員はひとりである。
私は日本で唯一の正式な壁愛好家であるのだ。

壁愛好家とは何か。

それは、町に散在するさまざまな壁を愛でて、それを見て歩く好事家のことである。

ある日、京都新聞に、多分写真家であろう人の短い文章が載っていた。それには、「現在の京都にはこれという壁がない。私の探し方が悪いのかもしれないが、写真に撮りたいと思うようなものはなくなった」というような意味のことが書かれていた。

私は、密かにその文章に異を唱えたいと思った。

なぜなら、私の住んでいる近所には、ヨダレものの壁がごまんとあったからだ。

もちろん、それらはプロの写真家から見たら問題にならない、ただ汚いだけの、トホホな壁であるだろう。写真家の視点と、私のそれとではココロザシが違うだろう。

しかし私は言いたい。壁愛好家として、壁ウォッチャーとして、近所にあるごく普通の壁を、私は愛して止まないと。壁に対する私の愛情は、とどまることはないと。

そういうわけで壁特集だ。


長講堂の塀

まずは、壁ウォッチング入門編としてトラディショナルな日本的な壁から見てみよう。

長講堂という、近所のお寺は「元六条御所」というふれこみだ。もと天皇が住まいしていたのであろうか。別荘ででもあったのだろうか。

私の母によると、壁(というか、塀なのだけど)に白い横線が走っているのは、皇室と関係があるお寺の印なのだという。
そう言えば門跡寺院には必ず白線が走っていたような。そういうわけで、この平行に走る白線は、皇室系の印。
別に珍しいものではないが、このカドの汚れ具合がとてもいいのではないかと。黒ずんでいたり、土が剥がれ落ちていたり、何とも風情のあるキタナさだ。中途半端に古いということが丸分りだ。

こういう中途半端な汚さのない町は、歩いていても楽しくない。

 


河原町上数珠屋町

これは渉成園(枳殻邸)。ここは庭園で、その四方が土壁(土塀)で囲われている。
補強のためか、瓦をサンドイッチ状に挟んで、瓦、土、瓦、土、という感じで交互に塗り込めてある。

四面ある壁のうち、あまりにぼろくなったところは新しく作りなおした部分もあり、そこは同じように土の間に瓦が挟み込まれているのだが、土も瓦も新しいので、何の面白味もない。

この、河原町通に面した壁の部分は壁の中で最も古いらしく、ものすごくボロボロ。言いようのないボロボロ状態なのだ。いつ何時、どんな拍子に崩壊してもおかしくないくらいだ。

写真では美しく写ってしまっているが、実物はとんでもない汚さだ。そして、それがあまりにも汚いからこそ、私は愛してやまない。

老朽化が進めばここも改装され、新しい壁に塗り替えられてしまうかもしれない。そんなことがないように祈るばかりだ。
なぜなら、古くて汚いからこそ、趣きがあり、風情があり、情緒があるのだ。

河原町通というメインストリートに、堂々とこの汚さをさらしているさまがとても頼もしい。ぜひとも永久保存をして欲しい。


おまけ

枳殻邸の北側塀に乗っている瓦。本願寺のマーク入りの、オリジナル瓦だぞ。これは古いものではなく、新しい塀につけられている。古い瓦には紋が入っている。

 

さて次は、京都らしい(?)木の壁だ。これは寺町通を歩いていて発見した。正確に言うと、寺町を、たぶん仏光寺か高辻で曲がったところ。壁は東西の通りに面している。

正面は寺町通に面したお店屋さんだ。よく観察すると、ブラシ屋さんだった。ブラシと看板に出ているが、売っているのは刷毛とか、筆とかである。

このブラシ屋の、横壁面が木の壁で覆われている。本当はこれだけでなく、もっと長い。写真の手前もずっと木の壁が続く。

実に見事な木の壁っぷりだ。スケールも大きい。大きな家なのだ。由緒ある店なのに違いない。

先ほどのブラシ屋さんの壁からまっすぐ歩き、御幸町通りに到達すると、また木の壁がある。この木の壁も見事である。ここは縦に長く、3階まであるようだ。どうです、このどうどうとした壁っぷり。私のいっとう好きな壁だ。

京都らしく、伊吹文明氏のポスターが貼られているのにも注目したい(笑)。ここは伊吹氏のテリトリーなのだ。仏光寺通りは東行きの一方通行であることも分る。


上の写真を仏光寺通りから見たところ

この壁の持ち主の家は仏光寺通りに面して開いているお店であった。「やこばみか」、という看板も素晴らしい。そこの壁が、ごらんの木の壁なのだ。
だが、最近ここを通ってみたら、店はもうたたまれていた。看板も外されていた。悲しいことである。
このような趣きのある店が、またひとつ、京都から消える。

 


トタンも古くなれば芸術だ

これは、トタンの壁である。

トタンはきたない。

通常、街にあると顔を背けたくなる代物ではないだろうか。しかし、私の近所(とくに場所を秘す)のこのトタン壁は、あまりにも古びて、古びたあまりに、それぞれの面が独自に退色し、それが趣きとなっている。と思う。
右端に、すだれが2枚垂らされてあるのも(窓である)、何とも言えずにくい演出だ。
トタンであるとはいえ、いろどりが侮れないのではないか。

左が家の正面であり、やはりこれはカドの家の壁面である。ごく普通の民家であるが、もしかしたら店をやっていたのかもしれない。

近くで見ると非常に迫力があり、トタンであってもこのようにみごとな趣きをかもし出すことが出来るという、いい例だ。

 


Wonder Wall

今回の壁特集の目玉として、ウチのごく近所の、純粋壁を紹介したいと思う。

この純粋壁を誇りたいのは、それが見事なレンガ造りであることにもよる。

場所は、東本願寺のむかい。烏丸通を挟んだ向い側、お東さんの北の端、花屋町通に面した壁である。

横は東本願寺の「総会所」と言われる、東本願寺付属施設のようである。

烏丸通側から見ると、壁の隣は東本願寺付属青少年幼年センターであり、そのさらに横に総会所がある。その昔、センターがあった場所は郵便局だった。東本願寺前郵便局と言ったが、今は場所を移動し、近くの別の場所に移った。

郵便局が移動したあと、壁だけが残った。謎。


不思議の壁。

私はこの壁を、ジョージ・ハリスンの映画音楽にちなみ、Wonder Wallと、勝手に名づけている。

何が不思議なのか、何が謎なのか。
それは、この壁が独立した、どこの建物にも属さない、自立した壁であるからだ。


壁の裏。

レンガ壁の裏側を見てみよう。壁の裏がむき出しである。

横にある建物が、本願寺総会所であるが、総会所の壁ではない。壁は、総会所から離れて存在している。
その上に、総会所は言ってみればお寺であって、木造の、普通の日本家屋だ。そこにレンガの壁は、唐突に過ぎるだろう。

かつて郵便局があった時、私はこの壁を郵便局の壁だと思っていて、そこに何の疑問も挟まなかった。
だが郵便局が移動してしまうと、これが郵便局の壁ではなかったことがバレてしまった。

ではいったい、どこの壁なのだろう。どの建物の壁でもない。壁だけが、壁として存在している。純粋壁、という所以である。

これは、単に壁なのである。壁であるがゆえに壁。どの建物も支えていない、ただ壁として自己を主張する壁。純粋壁なのである。


後ろに見えている屋根が総会所

これは誰の所有なのであろうか。多分、私は東本願寺だとニラんでいる。だから壊されずに存在しているのだ。
企業などが所有しているものなら、このような無用壁はとっくに取り壊され、跡形もなくなっているだろう。
だが、本願寺にとって、大変謂れのある、いわくのある、重要な記念物なのではないか。だから、壊されないで、厚く保護(?)されている。

それが、いつ出現したのかは分からない。レンガ造りであるから、明治以降のことであろう。それ以上は私には分からない。


烏丸側から見た壁。
手前のベージュの建物が青少年幼年センターで、昔郵便局だった。
だから壁は厳密に言うと烏丸通に面していない

明治時代、ここに、レンガ造りの荘重な洋風の伝道院を建てた。それが、戦時、市によって強制的に場所を没収され、建物は取り壊され、郵便局となった。
戦後40年。もはや戦後ではない。
本願寺と市は和解し、土地は本願寺に返還された。

このような想像をしてみる。それでも、壁だけが残ったことは謎のままである。

ある日この壁の写真を撮っていると、通りを歩いていた年配の婦人が、「よう写真を写したはりまっせ、ここを」と私に教えてくれはった。むー、やはりそこそこ有名な壁なのかもしれへんなー。教えてくれたおばさん、おおきに(でもそれは私のことかもしれない…)。

ワンダー・ウォールは、数々の謎を孕んだまま、今日も静かにそびえている。出来れば永遠に、この地にこの壁のあらんことを。

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