うちの近所・五条周辺

05/8/20

うちの近所を散策してみた。トホホなものからトマソンまで、面白いものがいっぱいある。
街歩きは楽しいのだ。


五条通。五条大橋の上。東山が見えるので向こうは東だ。
このままいくと五条坂だ。

いきなりだが五条通だ。五条通は国道1号線だ。

昔はここは五条通ではなかった。(六条だったらしいが正確では…)秀吉の頃、五条になったらしい(昔の五条通は今の松原通)。このように広く整備されたのは、戦時中に強制疎開があったからだと思う。

この、五条大橋に立っている街灯、ちょっと見て下さい。清水寺にちなんで、清水寺の三重塔の形をしているという。
五条通の南側に立てば、清水の三重塔が見える。まっすぐ行くと、清水さんに着くのだ。


やはり五条大橋 擬宝珠とミニ三重塔の街灯

ところで、国道といえば苦い思い出がある。

ずっと前に、朝、勤めている店の前を掃除していた時、車に乗った他府県人(ヨソサン)が国道○○号線はここからどう行くか、と聞いたのだ。私は車を運転したことがないので全然分からなかった。すると、そのヨソサンは"あんた、京都の人?"などと言う。
はあ、京都ですが、車は運転しないので…とか何とか、しどろもどろに返したと思う。恥ずかしいと思いつつ、「京都の人間に国道を聞いたって分かるか!」と、ひそかに嘆いたのであった。

それは五条通のことではなかったが、京都の住人は、しかし五条通のことを国道1号線、とは決して言うまい。単に五条通と言うし、五条通が1号線かどうかを知らない人もいるに違いない。
そんなワシラに、国道はどこか、などと聞くのが間違っている、と私は今、言いたい。

 


扇塚 ここが日本の扇子の発祥地だと書いてあるが

扇塚は五条大橋西詰めの北側にある。木屋町通の入り口。横に小さな広場のような、お休み場所があり、市民がベンチに数人、いつも呑気そうに腰掛けている。静かで、誰も訪れる人のない場所である。

扇塚がここに作られたのは昭和36年。京扇子団扇伝統工芸士会の会員だった父たちの肝いりで作られた。ライトアップ用のライトも設置されている。
ここから木屋町を、高瀬川に沿って散歩するのが風情だ。桜の季節でなくても。ちょっと怪しいけど誰もいないしね。

 

五条大橋から鴨川を見た。これは北側なので、北に見える山は…、ええと、何でしょう。のんびりのどかな鴨川は大好きだ。
五条あたりには、等間隔カップルはいない。「床」もここにはない。鴨川も、場所によっていろいろ表情を変えるのだ。
河川敷には降りられ、散歩することも出来る。それにしても鴨川は浅すぎる。油断するとすぐに土砂が堆積し、底が現れる。


出た、牛若丸と弁慶の像

河原町通から五条大橋へ出るまでの、五条通の真ん中の安全地帯に、この像がある。
ここには噴水もあって、まあ、整備はされているのだが、何だろう。もう少し、センスのある像が作れなかったのだろうか。
御所人形をモデルにしてあるということだけれど、牛若丸なんだからもうちょっと美少年に作れなかったの。
両方ともころんころんのずんぐりむっくりじゃん(T_T)。

これを写真に撮るのはたいそう恥ずかしかった。あんまり恥ずかしくて、これ以上近寄れない。
五条通は往来が激しく、いつも車が全速力で行き来する。牛若丸・弁慶の像なんて、みなスルー(T_T)。振り向く人も誰もいない(T_T)。
涙・涙の像である。


この木こそはトマソン

木の幹が屋根を突き破って、空へ伸びている。
でも、良く見たら、屋根が木の形にきれいにくり抜いてあるのだ。

つまり、木のために、この家の住人が、屋根に穴をあけたのだ。
なんて心優しい住人だろう。
しかもこの木、切られて枯れてるし。


これも角石に属するのか

ごく近所にある物件なのだが、何なのだろうと、ずっと疑問だった。石があるのは東北角なので、角石かと思うのだが、それにしては大きい。右側の標識と比べてみて下さい。

私は、昔の甕棺に似ているので、ずっとそうだと思い込んでいた。それくらい大きいんだもん。
甕の中を覗くと(覗くなよ)、小石が詰まっている。むーん??

しかし、注意していると、そのうちこの形と同じものは、寺や古い家などでも見かけるようになった。決して珍しいものではなく、こういう形の石の置物のようだ。
でも、街角でこのように、いきなり見ると違和感が…。


ふつうの軒先。

京都の民家の軒先には、10軒に8軒くらいこのように植木が飾ってある。京都に限らないとは思うが。
これを私は「軒先園芸」と名づけている。これは住民のインスタレーションで、ウチはこういう植物を育てています、という自己主張である。
私は、町歩きでよく軒先を見て歩くが、面白い発見がいくつもある。いずれまとめてみたいものだ(多分無理)。今後も軒先研究は続けていくだろう(これはほんと)。


鳥居。

このミニ鳥居もまだまだ見かける。犬のオシッコよけとして発明され発展したが、犬には判別出来ないのではないかという説もある。

この写真のものは、横にホースがついているという用意のよさと(でも多分打ち水のため)、カド石があるという、三重物件のため採用した。


犬ステッカー

で、犬。

今回のいちおし物件である。犬と大書きされたステッカー。何の変哲もない。

けれども、どうやらこの犬ステッカーは、京都だけのものらしいのだ。

私は、犬ステッカーというものは全国どこでも一緒だと思っていたのだが、四国に嫁に行った姉によると、四国では少し違うと言う。
曰く、京都の犬は、分かりやすいと評判である。ある識者が京都の犬ステッカーはよいデザインだと褒めていた、と。

太ゴチック体で書かれた、揺るぎのない、犬としか認識のしようのない、堂々たるステッカーである。猫でもインコでもない、犬である、ときっぱりと主張している。しかし、これが褒められるとは意外だ。

お寺の軒先に貼られていることもあるし(多い)、2枚貼られていることもある。その場合は2匹飼っているということか?
私の家では犬を飼ったことがないから分からないが…。ともあれ、犬ステッカーを見るのは、私の楽しみになってしまった。

 


ウチの向い。いわゆる町家か
私は毎日これを見続けて来た。壊さないでほしいものだが

というわけで、家に帰って来た。向いの玄関を写真に撮った。なかなかいい門構えだ。
この色がいいと思う。こげ茶と白でコーディネートされているのが渋い美しさだ。屋根瓦もいい具合に古びて、味のある色になっている。
「ばったり床几」と言って、折畳式のベンチが作りつけてある。
リプロデュースされた床几を見ることはあるが、このように古いものがそのまま残されているのは珍しいかもしれない。
でも、これが倒されて使われていたのを見たことはなかった。
(ここの床几はよい物件らしく、京都案内の本にも載っていた。)

ここは、子供のいない夫婦が住んでおられたが、ずっと前にご主人が亡くなった。そして昨年、奥さんも亡くなり、今は無人だ。もしかしたらもうすぐにでも取り壊されるかもしれない。そうして、駐車場になるのだろうか。

この家の屋根。屋根の瓦も風化して色が変化しているのが味わい深い。いい屋根だ。
母は、雨漏りがするだろうというが

 

☆うちの近所はシリーズでまだ続く

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