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非公開文化財特別拝観 2005
冷泉家 長講堂 蓮光寺など

05/12/10

京都が毎年、春と秋に行っている「非公開文化財特別拝観」。これは、文化財を保存・維持管理するための費用を少しでも観覧者から募ろうと始められたものだ(と思う)。

有名社寺はもちろん、必ずしも有名でない、穴場的な物件も時には公開される。
公開期間には学生によるボランティアガイドが1ヶ所につき数名がつき、詳しく説明してくれる。これがなかなか好評で、楽しみにしている人も多いだろう。

今秋は、今まで公開されたことのない冷泉家が公開されるのが話題だった。というわけで、早速冷泉家へ行って来た。


内部は撮影禁止!くすん。カメラを構えると鬼の首を取ったように注意された。

冷泉家は烏丸今出川、地下鉄今出川駅を出るとすぐである。現在は同志社大学のキャンパス内にもぐり込んでいるという形になっているが、もちろんこれは、同志社があとに出来たのであり、もともと御所周辺にあった貴族の屋敷のひとつである。

冷泉家以外の貴族は天皇の東京行幸により、ともに東京へ行ったため、それらの屋敷はすべて明治時代に取り壊された。冷泉家だけが残ったのである。
何が幸いするか分からない。その結果、(冷泉家に関係の深かった)藤原定家資料などが現存しているのである。

現在も実際に住居であり、冷泉家の方々が住んでおられるので、公開期間は4日間と短く、中もじゅうぶんには見せてくれなかった。しかも初公開とあって、やたらに沢山の人が詰め掛け、小さい敷地が押すな押すな状態であった。

昔は広大な敷地を持っていたのかもしれないが、現在はかなり小さい。白壁の蔵が建っており、そこに「山月記」などが収蔵されていると説明してくれた(でも公開していない)。ほかに、祇園祭の長刀鉾の飾り(注連縄のようなもの…?)を毎年貰い、玄関先に吊るしておく、などという説明もあった。
またそれぞれの部屋には屏風が飾ってあった(暗くて遠いので良く見えない)。
しかし、いかんせん庭先や、玄関などから中を覗くのみ、当然ではあるのだが、家の中に上がらせてもらえないので、ただ歩くのみ、しかも狭いからあっという間に終りという、えーっ、これだけ?どやさ、な公開だった。

 


長講堂。

そんなわけで、冷泉家はまさかの期待外れ。次に、家の近所にある長講堂へ行った。近所だからすぐに行けるからだ。

ここは元六条御所と書いてある。後白河法皇ゆかりのお堂である。普段は普通のお寺として普通に存在しているが、この期間、冷泉家ほどではなかったが観覧者が集まった。
マイナーだから誰も来ないだろうと思っていたが、そうでもなかったようだ。


庭。意外と立派

狭いと思っていたが、本堂、御影殿、茶室(?)、などが廊下で繋がり、それぞれに庭があり、狭い中に意外とたっぷりと凝縮してあり、見どころも満載だった。近場、侮れず。
お寺というと、(広すぎる)本願寺を本能的に思い起してしまうからいけないのだろう。

枯山水の庭があり、それは手入れされ、整っており、立派なものだった。格式のあるお寺という感じがむんむんだ。
ただ、借景が悲惨で、近くの高いビルが無遠慮に建っているのが見えるのが興醒めだ。もちろんこのお堂のせいではない。

この庭を望める部屋(方丈?)には、後白河法皇の肖像画などが展示されていた。
肖像画は複製で、実物は非公開とのこと。そのほか涅槃図、仏頭など実に様々なものがガラスケースに入れて展示されている。びっくりだ。
中でも「過去帖」というのがあり、人の名前が書いてあるだけの書面(巻物)なのだが(義朝や清盛、義経などの名が見える)、梅原猛が注目した、謎の書である。茶色く変色した書片をまじまじと見た。


本堂?

ここに本尊の阿弥陀如来の三尊像がある。脇侍が観音・勢至菩薩、立膝になって今しも人々を救うために立ち上がろうとしているのだとの学生の説明あり。

三尊像が重要文化財に指定されており、見るからに立派で見事で、あっと驚く。近所にこんなお宝が眠っていたとは。

ここには、他にも不動明王像(脇侍つき)や、そのほか忘れたがかなりの仏像がまつられていた。
本尊級の像がいくつもここにあるのは、近くの寺(長講堂の塔頭だったらしい)が廃され、その本尊をここに移したからという。

そして、百萬辺念珠と言うものがあったのだが、巨大な数珠のところどころに大きな珠が嵌められており、その中に小さな仏像が彫られている。中には極小三尊像もあり、びっくりだ。

 


この門の向こうに部屋があり、そこに後白河法皇像が…
ここはこの門から出入りせずとも廊下で繋がっており、本殿から入れる

長講堂のメインは、それらだけではない。むしろ、この御影殿にある、後白河法皇の木像こそがメインかもしれない。
それは、江戸時代のもので古くはないのだが、平幹二郎にそっくりで笑える。

このように特別の部屋が作ってあり、長講堂の歴代住職の位牌とともに奉られている。
重文の指定と解説されているが、本当か?


これが後白河法皇の木像だ!ヒラミキそっくりだぞ

とにかく、あっと驚くお寺で、意外なほどみどころの多いお堂だった。冷泉家と反対で、期待以上、予想以上だった。

長講堂は、元は六条西洞院に、そこに邸宅を持っていた後白河法皇が建てたもので、のち、秀吉の命で移築され、現在は富小路六条にある。*

後白河法皇は法華経の信者だったそうだが現在は浄土宗の寺になっているという。それで本尊が阿弥陀如来なのである。

*この一帯は、下寺町(しもでらまち)と呼び習わされており、秀吉が寺を集めたことから寺町と呼ばれている通りの下(しも)にあたる。
ここにも秀吉が寺を集めたようだ。
長講堂の向いに銭湯(京都ではお風呂屋さんと言う)があり、内風呂がなかった昔は、下寺町のお風呂屋さんに行って来る、などと言ってお風呂へ行ったものだ。しみじみ。


蓮光寺

ついでに、長講堂のとなりのとなりくらいにある蓮光寺というお寺にも寄った。

ここは、最近テレビ番組「義経」で紹介された。もともとは六条河原で処刑された人々を弔う寺だそうだ。長講堂もそうだが、ここも義経つながり。

このように貼り紙がされ、御自由に参拝して下さいと書いてあるので、初めて中へ入ってみた。中の祠にあるのは、駒止地蔵尊というのだそうだ。

いわれはある。

平清盛がある日馬に乗っていたところ、ある場所に来た時、馬が動こうとしない。あまり動かないので清盛が降りて、その地面を掘った処この地蔵が埋まっていたと。
「駒」というのは馬のことなので、それで駒止地蔵とかや。

こじんまりしたお寺で、ここも浄土宗。本山は知恩院らしい。

ここにも、長講堂から流れて来た参拝客が。この建物の中に地蔵尊がおられた。
それは…。あーーーっ。

と驚く、不気味なジト目の巨大な地蔵であった。夢に出て来そうな、こわいこわい、それはこわいお地蔵様であった。それがじとっとこちらを睨んでいる。斬首地蔵というだけあって、処刑された者の恨みを一身に引き受けたお地蔵さんなのであろうか。

このお地蔵さんを彫ったのは空海と説明されていたが、それが本当ならとっくに国宝になってるよ。

この蓮光寺の前にはもともと長曾我部氏がどうのこうのという石碑が建っている。

誰のことか分からなかったが、お地蔵様の祠からさらに奥へ歩くと墓場になっており、その一番奥に長曾我部盛親という人のお墓があった。
お墓というか、首塚のようなものである。墓を写真に撮るのは憚られたので撮らなかったが、その前に説明書きが立てられており、それによると関ヶ原の戦いに参戦して負け隠棲(?)、その後大阪夏の陣だか何かに参戦して負け、首を切られた由。
その首を弔っているのがこの寺らしい。

ちっぽけではあるが、なかなか歴史がむんむんする寺であることよ。

この一帯は処刑場であった六条河原から近いので、このような寺があるのだろう。
江戸時代には三条河原が処刑場であったが、それ以前は六条河原が処刑場だったのだという。
六条河原というのは、現在の五条(の鴨川)のことである。


参考 「京都発見」 梅原猛 新潮社

交通 冷泉家 地下鉄烏丸線 今出川下車

    長講堂・蓮光寺 市バス 河原町正面下車 すべて普段は非公開

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