六道珍皇寺
Rokudo Cinno-ji
京都市東山区松原通東大路西入
08/8/31(13/12/6up)
六道珍皇寺は六波羅蜜寺と同じく、他のお寺とは少し雰囲気の違う、奇妙な感じのお寺だ。
昔は大きな敷地を持っていたのかもしれないが、現在の境内はとても狭く、ちっぽけと言っていい。
お盆の六道参りの時だけやたらに賑わい、そのほかはいたって静かで参る人もまばらである。
ただ六道の辻に建っているので、エピソードには事欠かない。そんな寺である。
現在の東山区、四条を下がった大和大路から東の付近は、平安京の時分には葬送の場であった、鳥辺野へと通じる道筋にあった。
人の遺骸をここまで運んで、ここで生死の別れをし、死者を送った。
そのため、この当たりに六道の辻があるとされ、平安の都に住む人は、ここから東が冥土とみなしたのである。
六道珍皇寺は、そんな死者を送る寺として、またお盆にはおしょらいさん(精霊)を迎える寺として知られる。
建立には諸説があるそうだが、いずれも平安時代の創建と伝える。
当初は真言密教の寺で、東寺の末寺であったらしく、寺領も広かったというが、京都のお寺の常で、様々な兵乱により、荒廃した。
それを南北朝時代、建仁寺の当時の住持によって再興され、その時臨済宗の寺に変わったという。
建仁寺は近くにあるので、それで荒廃したこの寺に助け船を出したものだろう。
ハッピー六原(^_^;)
さて、六波羅蜜寺から珍皇寺へ行く道筋のわきに、このスーパーがある。
ハッピー六原という名前である。
六波羅は六原とも書き、その語源は髑髏(どくろ)とも、轆轤(ろくろ)とも言われているが、昔(平安時代)は、葬送の地であった、とは、誰もが知るところだ。つまり、忌み地であったわけである。
ところが、今はハッピー六原。
そんな、不吉な伝説などものともしないハッピーぶり。ハッピーと名をつけて、死に直結した土地の歴史を無にしてしまいたいという、思いの現われなのだろうと思う。
小野篁とこの珍皇寺の結びつきは、篁がこの寺を建立したという伝えがあるからで、尤も空海が建てたとの伝えもあるので、あまり信憑性はないのかもしれない。
本堂の前に供養塔が建つ
閻魔堂
ここに閻魔大王と小野篁像が安置してあったと思う。
左側に閻魔様と脇侍(右側が空海、左は忘れた)、右に小野篁像と、脇侍(善悪童子とかいうのだったと思う。忘れちゃった)、それぞれに脇侍付きだった。
空海像が置かれているのが不思議だったが(しかも脇侍として)、以前は真言宗だったという説明を聞くと納得が出来る。
迎え鐘
珍皇寺の鐘は撞くのではなく、紐を引く。六道参りのお盆にこの鐘を引いて、おしょらいさん、精霊を迎えるのだ。
今回、ひもを引いても良いと案内のおっちゃんが言っていたので引いてみた。
ほんの少し引くだけで、ものすごくよく響く。この鐘の音は冥土まで響いたと言われるのが、納得出来るほどの響き。
そして、とても良い音だった。
現在、臨済宗の禅寺になっているので、枯れ山水の庭がある。こじんまりしているが良く手入れの行き届いた庭だ。
だが、ここは例の、冥土へ通じる井戸と繋がっており、何だかそぐわない雰囲気も。
これが冥土の入り口と言われる井戸
薬師堂
本堂には近年製作された本尊の薬師如来と脇侍の日光・月光菩薩がおられるが、もとの本尊は重要文化財であるので、収蔵庫を作ってここに安置されている。
収蔵庫の名前を薬師堂とつけているのだ。こちらの脇侍は地蔵菩薩と毘沙門天というイレギュラーな並び。本尊の薬師如来は、とても上品で威厳のある顔立ち。
出た、幽霊子育て飴。
有名な幽霊子育て飴のお店が、近所にある。
参考 六道珍皇寺ちらし
近くに六波羅蜜寺