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Alfons Mucha
(Alphonse Mucha)

アルフォンス・ミュシャ

 

スラヴィア

 

アルフォンス・ミュシャなら誰でも一度は見たことがあるだろう。誰でも知っている。

その華麗な装飾に満ちたエレガントなポスターは、今でもとても人気があるし、私も何度も展覧会へ行き、
ポスターやポストカードを買った。

室内には、展覧会で買ったジスモンダのポスターをずっと、何十年も貼ったままにしている。

 

そのミュシャの一枚というと、私は「スラヴィア」を思ってしまう。

ミュシャが愛国者で、祖国チェコスロバキアに思いを寄せていたことも、展覧会で見て、当時から少しは
理解していた。

チェコスロバキアは、昔から大国に侵略され続けた小国で、ミュシャの時代にはオーストリア・ハンガリー帝国に
支配されていたという。

熱烈な愛国者というよりは、独立がむつかしい小国の祖国に対する深い愛と、想いがあったのだろう。

 

そんな愛国心と、画家の華麗な装飾的なテクニックが融合したのが「スラヴィア」だという気がするのだ。

スラヴィアは祖国の女神。そして彼女を華麗に、美しい装飾を施して描き上げたこの作品には、
祖国に対する誇りが満ちているのだと思う。

 


サラ・ベルナールのポスター

       

                   ジスモンダ       ロレンザッチオ         ハムレット          メディア             トスカ

 

ミュシャは、舞台女優サラ・ベルナールのポスターを手がけたことで、一躍有名になった。

その第一作が「ジスモンダ」だった。私の部屋にも飾ってある、有名なポスター。

ベルナールは男装してハムレットやロレンザッチオなども演じていたらしい。

その舞台を彷彿させるようなポスターで、どんなだったのか、サラの舞台を見てみたいと思わせてしまう。

王女メディアや、トスカまで演じる、素晴らしい女優だったのだろう。実際、当代の人気女優だった。


 

 


モエ・エ・シャンドン社のシャンパン

ドライ・インペリアル(左)とホワイトスター(右)


ミュシャらしい華麗な装飾のポスター


左の傲然と下を見下ろしている女性がかっこいいけれど、
彼女の衣装はよく見るとスラブ系の装飾の民族衣装。

そして、背景にはビザンチン風のモザイク、
ここにもミュシャの祖国の記憶が溢れている

右側は花の装飾が華麗 いかにもアール・ヌーヴォーの花の蔓の描写

今の時代でも欲しくなって来る
ため息が出そう。

これも家の壁に貼りたい

ミュシャが持て囃されたのも無理はない
  
四つの宝石より アメジスト エメラルド リトグラフ


宝石というタイトルがついているのに、花によって宝石を表した
という。

女性の後ろの装飾の円が、まるで光背のようだ

どちらも挑むような女性の目線が印象的

ミュシャの有名な代表作




装飾パネル  「夢想」 リトグラフ


これも有名なミュシャの代表作

彼女の身につけている衣装も民族衣装で、
装飾品もビザンチン風のものらしい

グリーン系で統一された背景に華麗な花の紋様


彼女は何か雑誌のようなものを手にして読んでいる最中のようだから、
本か何かの宣伝だったのだろうか。

とても人気があり、何度も版を重ねたらしい

JOB煙草のポスター

このJOB社の煙草のポスターもとても有名で、
誰でも一度は見たことがあるもの。

女性の髪の毛がいかにもアール・ヌーヴォー風にデザインされていて、
華麗。

宣伝のメインの煙草は目立たず描かれ、煙だけが装飾的にうねっている

でもこの陶酔的な女性の表情で、さぞ煙草は売れたのだろう…
そんな想像をしてしまう


黄道十二宮


これも有名なミュシャの代表作だ。

ビザンツ風の装飾に彩られた女性の横顔がとても印象的

そして横顔の背景に黄道十二宮が描かれる

これにもいろんなバージョンがあり、

下部の空白には宣伝の文字が入ったらしい

  

     
花と果物  リトグラフ

百合の花を持った女性と葡萄などの果物を抱えた女性との華麗な対比…

右側の果物の女性の腕のブレスがやはり印象的

 

   
蔦と月桂樹 リトグラフ

これも有名な代表作のひとつ

二人の女性を円の中に配置して対比

上下に蔦と月桂樹のみっちりと細かい装飾… デザイナーの真骨頂ともいえる

  
ビザンチン風の頭部 ブルネット(左) ブロンド(右)    リトグラフ

ブルネットの女性とブロンド女性の横顔

装飾されたパネルの中の円にビザンツ風の女性の頭部を置くテクニック
どちらも髪につけた装飾が異国的

 

こうしてあげてゆくと華麗な世界にくらくらする

 

ミュシャがパリの寵児となったのも無理はなかった。今でも通用するデザイン、今でも欲しくなる華やかさ。

以前行ったミュシャの展覧会では紙幣やメダルなどもデザインしたとして、そうしたものも飾られていた。

デザイナーとして、イラストレーターとして、それらがアートとなる先鞭をつけた人だったのだろう。

 

しかしミュシャはパリを出て、祖国チェコスロバキアへ帰った…。

そして、晩年は「スラブ叙事詩」の制作に打ち込んだ。

彼には油彩画もあった。 油彩作品へつづく 

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