Movie Maniacs

ドキュメンタリー
ルキノ・ヴィスコンティ

或いは私的ヴィスコンティ試論

Luchino Visconti

02/6/2

 

これまでに何度か、ルキノ・ヴィスコンティに関するドキュメンタリーは作られた。はずだ。
そのうち幾つかを私も見ているような気がしないでもない。
(何せ記憶力がなく、記憶があいまいなので…)

この間、5月24日金曜日にBS2で放映されたヴィスコンティのドキュメンタリーは、1999年に製作されたそうで、恐らくイタリアのテレビで放送されたのだろう。

*RAIの製作であった。

監督はカルロ・リッツァーニという有名なイタリアの映画監督で、レポーターとして画面にも登場している。
1時間でヴィスコンティの全仕事を辿るのは(誰の仕事でもそうだが)無謀に等しいと思うが、演劇作品も含めて、兎にも角にも初期から遺作まで網羅してあり、ゆかりの人らへのインタビュー、本人自身に対するインタビューも興味深いものだった。
「山猫」(63年)の一画面をストップモーションにして、そこにピエロ・トージ(衣装デザイナー)とクラウディア・カルディナーレがそぞろ歩く…という素晴らしい画面があったが(カルディナーレは、「山猫」の出演者だった)、それもほんの30秒ほど。勿体無い。

***

ルキノ・ヴィスコンティはもともと演劇の出身だった。
テネシー・ウィリアムズなどのストレートプレイから、スカラ座のマリア・カラス主演のオペラなどで有名な劇演出家だった。
(厳密に言うと、最初に劇演出家として有名になった)

マリア・カラスの「トラヴィアータ」(初演55年)は大変有名になり、ヴィスコンティ演出が一つの型として定着したくらいだ。
マリア・カラスは、ヴィスコンティの演出により、自分の個性や才能をのびのびと発揮することが出来たのだと思う。

 

演劇出身という部分が、映画界において、映画通の間では、常にヴィスコンティがナンバー2以上ではないと見なされる所以だとも言えるのではないかと思う。
しんから映像畑出身ではないため、他の映像オンリーの監督を差し置いて彼をナンバー1とするには躊躇われるものがあるのだろう。
またヴィスコンティの演出は確かに、明らかに演劇的だ。

それはアメリカのエリア・カザンがやはり演劇畑出身であるのと似ているように思える。
カザンの、人間の内面をとことん追及していく粘っこい、じわじわした演出と、ヴィスコンティのそれとは明らかに類似があるからだ。

ヴィスコンティも粘っこい演出で、行きつく所まで、人間の心の中にある修羅を掘り下げる。残酷なほどとことん掘り下げてゆく。
時には覆い隠したい部分も曝し出して、人間の浅はかさ、愚かさを描く。そして容赦をしない。
どんな善良な人間でも、不幸のどん底に落ちるし、救いもない。
そのどん底の人間の有りさまを執拗に描写する。
ヴィスコンティが描くのは、結局人間の内面なのだ。

初期の「揺れる大地」(48年)や「若者のすべて」(60年)など、イタリアの貧しい現実を描いた作品から、晩年の貴族や王族を描いた、おなじみの贅沢趣味の作品まで、厳しい境遇に置かれた人間を描き、見つめ続けたことでは、結局ヴィスコンティは何一つ変わることなく、人間に対して同じ姿勢を貫きとおしたのだ。
私はそう思う。

 

***

初期の「揺れる大地」では、カメラの長回しによるワンカットで、漁師たちの反乱を延々と捉えた。
「夏の嵐」(54年)でも長回しのロングショットで戦闘シーンを描いた。
その粘っこさは大変なものだ。しつこいと言っても良いくらいである。
若い時のヴィスコンティは、エネルギッシュな演出をしていたんだなと思う。
晩年はそれらほどの大掛かりなロケはもうしていなかったようだ。

それらのロケによる大モブシーンは、しかしハリウッド製のいわゆるスペクタクルとはまったく方向性が違う。

大勢のエキストラを使い、大掛かりなモブシーンを演出するという外見だけ見れば、ハリウッドの大作と良く似ているように思えるし、ヴィスコンティの作品は確かにお金がかかっていて、ハリウッド大作に負けない贅沢な作りである。

「山猫」では、18の部屋を使い舞踏会のシーンをノーカットで撮影した。
部屋ごとにカメラを用意し、俳優が一つのカメラからフレームアウトしても、次のカメラが俳優を捉える。
「夏の嵐」ではリハーサルに1日使い、次の日に本番を撮影したという。

だが、根本的に、ヴィスコンティ映画はハリウッドのスペクタクル、エンターテインメントとは異なる。
それは、ヴィスコンティが求めるのがただひたすらリアリズム、その1点だからだ。

 

初期の頃の「揺れる大地」「郵便配達は2度ベルを鳴らす」(42年)などはネオリアリズムの作品と言われた。

私はネオリアリズム(ネオレアリスモ)と言うと、ロッセリーニとヴィットリオ・デ・シーカだと思っていた。
だが今回のドキュメンタリーでは、ネオリアリズム誕生の時に、ヴィスコンティがいたと言うのである。
映画雑誌の編集部の一室で、戦時中、映画監督の卵たちが集まって討論しているうち、それは生まれたのだという。
その中に、ロッセリーニや、ヴィスコンティがいたのだ。

 

ヴィスコンティの映画作法は、しかしネオリアリズムと言うよりも、もっともっと根深いリアリズムだったのではないだろうか。
「ネオリアリズム」という固有名詞は、イタリアの戦後すぐの、貧しい庶民を描いた映画群というイメージが既に定着している。

ヴィスコンティもその頃から映画を撮り始めたので、初期の頃の作品は確かにネオリアリズムと言ってもいいだろう。
しかし、ネオとあえて言わずとも、今考えれば、ヴィスコンティは後期の作品も、初期も、常に一貫してリアリズム主義で人間を描き続けて来たのだ。
初期作品だけでなく、後期の作品も、実は同じリアリズムが貫かれていると思う。

 

「よくヴィスコンティのことをデカダンス、退廃の作家だと言われているが、むしろ凝り性なのだと思う」
とドキュメンタリーの監督リッツァーニが編中で発言していた。

晩年には、貴族や王族の世界を描き続けたので、ヴィスコンティはともすれば本人自身が貴族出身でもあり、貴族社会を描く豪華絢爛な、贅沢趣味の監督だと思われがちだ。

彼はそうした貴族社会を描く時、細部までにわたるリアリズムで家具や調度品、衣装、俳優の歩き方にまでこだわった。
しかしそれは初期、労働者役を素人俳優で募り、その貧しさを徹底したリアリズムで描いたことと、それほど変わらない。

主人公がどの階級の社会の人間であれ、その人間を描くために、人間の周囲、背景などを徹底的に研究しリアリティを追求する。
誰を描く時も、徹底的なリアリズムを貫く。それが凝り性ということだと思うのだ。

 

ハリウッド映画が大金を投じて作り上げる豪華絢爛なスペクタクルの場面は、観客に豪華な気分を味わわせるためなので、そこがヴィスコンティのリアリズムと決定的に違う点だ。

貴族社会を描こうとすれば、当然貴族が生きて息をしていた雰囲気を出さなくてはならない。
凝り性のヴィスコンティは、画面の隅々にまで、時にはカメラに写らない部分にまでディテールを徹底させた。
そうして、始めて貴族社会というもの、その時代、そのムードを醸成出来るのだ。

だからヴィスコンティ映画の画面を見る時、私たちはハリウッド製の映画とはまったく違う、貴族社会の空気の重さとでもいうものを感じる。
ヨーロッパが培って来た何百年もの長きにわたる、伝統や風習や、人間の考え方など、そのようなものの重厚さが、たった1秒ほどのショットにさえ充満していて、そこに圧倒されるのだ。
それは初期の頃から変わらない、ヴィスコンティ流のリアリズムのなせる技だと思う。

 

***

「ルードウィヒ」(72年)の戴冠式、「地獄に堕ちた勇者ども」(69年)の突撃隊の「血の粛清」のシーン。
どれもが、初期の頃からの粘り強い、執拗な演出方法と同じ手法だと言って良いだろう。

 

「血の粛清」は、突撃隊の隊員がどんちゃん騒ぎで酔いつぶれたあと、SS(親衛隊)による総攻撃で皆殺しにされる戦慄のシーンである。

夜明けの朝まだき、眠りこけている突撃隊員のもとに、ひたひたと忍び寄るSS隊員。
突撃隊員は、尻を丸出しにして殺されて行く。
突撃隊員には、ホモセクシャルが多かったという。
それを暗示するように、男同士、全裸でベッドにいるところを殺させるという演出をヴィスコンティは行なったのだ。
そしていつ果てるとも知れないどんちゃん騒ぎの延々とした描写、その果てに突如「突撃隊員の歌」を歌わせるという心憎いばかりの演出。
(監督の名をど忘れした…ジャン・ルノワールでしたか?の「大いなる幻影」を念頭に置いた演出である)

すべてフィクションであり、ヴィスコンティの創作であるのに、実際の「血の粛清」の場面は、あたかもこうだったろうと思わせてしまうほどのリアリティに満ちていた。
と思う。

私は、ヴィスコンティの、こうしたディテールの執拗な描写がたまらなく好きなのだ。

細部をみっちりと埋め込んでいるからこそ、あの濃密な画面が形作られていた。
確かに時に退廃的で不道徳の世界を描いた。
しかし、カルロ・リッツァーニも言ったように、それらを描くことは、真に退廃的な人間には出来ないことなのだ。

ナチズムが都市を覆いつくしている時代を描く。
そのことがいいにしろ悪いにしろ、その時代を忠実に描くのならば、避けて通れないタブーさえも表現しなくてはならない。
そのことを批判する前にまず、その時代の雰囲気を忠実に描写して、それを人々の前に投げ出したのだ。

それを見て何を感じるか、それは見た者の責任だ。

「揺れる大地」の、貧しくて、どんなに努力しても努力しても報われず、最後まで救いがない貧しさの悪循環の漁民の世界を見せつけた手法と、それはまったく一緒だ。

 

ルキノ・ヴィスコンティは、ものを作ることにおいて律儀で、勤勉であり、そして自分の思い描く世界を建設的に映像に置き換えてゆける創造力と、実行力のあった、仕事熱心な表現者だったに過ぎない。
そうでなければ、「血の粛清」のようなシーンを冷静に演出は出来まい。

ヴィスコンティは、ある意味で透徹した頭脳の持ち主だったのだ。
自分の映画の最終的な出来あがりを頭の中で描くことが出来、そして頭に描いた画面を忠実に映像にしてゆく技能、そして思い描いた映画を是が非でも現実化しようとする強い精神力を持ち合わせていた。

実は、ヴィスコンティの精神は、退廃とはほど遠かったのである。

 


あまり文章ばかりなので、こんなものを紹介。

ヴィスコンティゆかりの地、建築などを篠山紀信が撮影

ヴィスコンティ・ブームの真っ只中の1982年刊行
小学館 2800円

ヴィスコンティは晩年はマンションに住んだが、実家は城(笑)。
別荘も城(笑)。
さすがに貴族のヴィスコンティの実生活が偲ばれる。

こちらはワーナーのビデオ
「地獄に堕ちた勇者ども」69年
1993年 トリミング版
155分 英語

淀川長冶の豪華解説

原題 The Damned
副題 Götterdämmerung
(神々の黄昏)
La Caduta Degli Dei(イタリア題)

当時三島由紀夫が絶賛した

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