ベニスに死す
Death in Venice
1971
監督 ルキノ・ヴィスコンティ
主演 ダーク・ボガード ビョルン・アンデルセン
14/1/10
トーマス・マンの有名な中編小説の映画化。
ワーナー配給の英語スピーキング、パナビジョン、シネマスコープサイズ。横長の画面が贅沢で圧倒的であった。
グスタフ・マーラーの5番アダージェットを有名にした映画としても記憶される。
この映画の物語は大した展開があるわけではない。
主人公はドイツの作曲家、小説では作家であったが、ヴィスコンティはそれを作曲家に変え、あたかもグスタフ・マーラーを髣髴させるようなメイクをダーク・ボガードにほどこした。
夏、静養を兼ねて彼はベネチア、リド島にやってくる。
そこのホテルでポーランドから来たある一家に目が止まる。
一家の沢山の兄弟の一人が、非常に美しい少年だった。
作曲家アシェンバッハは、そのあたかも芸術が求める永遠の美を完璧に備えたかのような美少年を見て衝撃を受け、以降、彼を意識しないではいられなくなる。
ホテルのレストランで、海水浴場で、祈りを捧げる教会で、町の歩道で、アシェンバッハはその美少年を目で追う。
やがてベネチアの町はシロッコに乗ってやって来た疫病に犯される。
町のあちこちにまかれる消毒薬。
夏の終わり。
人けのいなくなった海水浴場で、美少年タジオが他の少年と戯れている場面を見、そしてそのタジオに手を差し伸べた時、アシェンバッハは既に病魔に犯されていた。
彼は美少年の指差す方向を見つめながら、恍惚として、それが現実なのか幻影なのか悟らないまま、命を終える。
ストーリーなどは、ないがごとき映画だった。
パスカーレ・デ・サンティスのカメラの圧倒的な映像美を見る映画であった。
私がこの映画を最初に見た時は、中学生だったか高校生だったか。
その人の美意識を試される映画だと思った。
渡し舟に乗ったアシェンバッハのバックに流れるマーラーのアダージェット、避暑地ベネチアの風景。豪華なホテルの内装、そこに流れるメリーウィドウ・ワルツ。
金持ちたちの海水浴風景。女たちは日傘を差し、少し皺を帯びたスーツのデイドレスを着込んでいる。
夏の湿った暑さ。
私たちは映画を見ている間、20世紀初頭のベネチア、リド島へと旅する。あたかもそこにいるかのような錯覚をおこしてしまう。
この圧倒的な臨場感がヴィスコンティ映画の命なのだ。
グスタフ・アシェンバッハは、彼が求めて来た美、芸術が求める美を眼前の美少年が完全に具現していることに衝撃を受ける。
それこそ、彼にとっては求めて止まなかった芸術の完成形だった。
彼の作った曲が観衆から受け入れられず、激しいブーイングを浴びた思い出が甦る。
芸術家のどんな努力も葛藤も、あがきも、この目の前の確固たる美には無力なのか。
アシェンバッハにとって、美少年タジオは、単に同性愛とか、少年愛と言った肉体の愛を越えた、芸術の創造の神ミューズなのだ。
だが。
タジオがホテルのピアノででふと「エリーゼのために」を弾く場面。
アシェンバッハは、いつの日だったか娼館へ赴き、少女のような娼婦と対面したことを思い出す。彼女も「エリーゼのために」を弾いていたのであった。
女を買わないまま金だけ払ってそそくさと逃げるようにして娼館を出たその思い出は、彼に、芸術の美と憧れである筈の少年への肉の愛をふと思わせたのか。
このカットバックの、この上手さ。
このエスメラルダがソファに座っている時のカメラは驚くべき美しさであった。
酔わせる。
ホテルの食堂に、美少年の母がしずしずと登場する。その場面の陶酔。
濃密なホテルの描写。
海水浴場で、サンマルコ広場で少年とすれ違う時の心のときめき。
すべてが美しい、すべてが絵のようだ。
やがてベネチアにシロッコがもたらす、コレラの恐怖が襲う。
町中に消毒液がまかれてゆく、その退廃の映像。
それが滅びゆき、崩れ去ってゆくものの醜を象徴して余りある。
アシェンバッハは自分の老いた顔に化粧を施し、花を胸に飾って美少年のあとを追うのである。それが滑稽であることを、もはや彼自身は気付かない。
この美と残酷がヴィスコンティの映画なのだ。
黒い汗をかき、美少年の指差す方向を恍惚として眺めるアシェンバッハの見たものは理想だったのか幻だったのか。
映画と言うものは、本来娯楽であると思う。
見て楽しければそれで良いというふうな。
だが、芸術と呼んで相応しい映画もまた、あるのだ。そうとしかとらえようのない映画が。
「ベニスに死す」は、芸術としか呼びようがない。
それほどに美は圧倒的であり、その目指す頂きは高い。
本物の美意識は、人々に本物の美意識を植え付けるだろう。
これほどの芸術の高みに達した映画は多くはない。まさに美術品、ひとつの完成された美だ。
同じ入場料を払いながら、これだけの美を堪能出来る。それは稀有なことだ。