レディホーク
Ladyhawke
13/12/8
1985年 アメリカ映画
監督 リチャード・ドナー
主演 ルトガー・ハウアー ミシェル・ファイファー マシュー・ブロデリック
朝が来ると姫は鷹に、夜が来ると騎士は狼に姿を変える。
いつも一緒にいるのに永遠に離ればなれ、決して愛し合うことの出来ない悲しい運命の恋人たちの愛と魔法のファンタジー、それが「レディホーク」(鷹の姫)。
監督は「オーメン」や「スーパーマン」などのリチャード・ドナー、撮影は「ラストエンペラー」などで何度もアカデミー賞を受賞している名手ヴィットリオ・ストラーロ。
イタリアでロケされた美しい画面作りがまず圧倒的だ。というよりも、映画的に見ものなのはそれが全てだろう。
アラン・パーソンズの音楽はエイトビートだが、アクション場面に良く合っていたと思う。効果音としての使い方は素晴らしい。
逞しく強い騎士と、美しいお姫様、そして美しい映像と、何もかもが私好みで素晴らしいのに、最大の欠点はドナーの凡庸な演出。
これが、例えばフランコ・ゼフィレッリだったらどんなにか…、少なくとも主役の登場のさせ方に、大向こうを唸らせるような演出をしてくれるだろうに…、と考えるのは贅沢、と分かっている。
これはこれで満足しなければならない。
タイトルロールはマシュー・ブロデリックが最初になっているが、この時はマシューが最も高い出演料だったらしい。
ルトガー・ハウアーは無茶苦茶かっこいい。
剣や弓(クロスボーと言うのかな)を使ったアクション、馬の扱い方、歩き方までに体のキレがあって、気持ちがいい。
馬の上からマシューをさらいとる場面があるが、実際に出来てしまいそうだ。ハウアーのファンだからそう思うのだろう。
彼の台詞回しにも痺れた。
初登場の時のセリフ You, out(行け) 短い、これだけの台詞なのに。
クライマックスで、魔法の解けたあと、彼女を見ろ、私を見ろ、我々を見ろ、我々を見ろ!という三段階のたたみかけ。
最後のLook at us ! に、もうため息…。
そして美しいお姫様にまさにぴったりのミシェル・ファイファー。
この頃の彼女が、若く、最も美しかった頃だったのでは。
物語は、悪い司教が姫に横恋慕をし、悪魔と取引をして、魔法をかけて姫と騎士の恋人たちに呪いをかけ引き裂いた。騎士が、難攻不落の教会の牢獄から脱獄して来た小悪党のマシュー・ブロデリックの助けを借りて(強引に)、その呪いを解こうとし、復讐を遂げるお伽話。
因みに悪役の司教役の人の芝居がうまく、まるでシェークスピア役者のようで、そのせいで映画の重みが増している。
クライマックスは騎士同志の激しい剣の戦い。
このあたりはアクションの得意なドナーらしいかっこいい場面の連続で、映像は、あくまで油彩画のように美しい渋い画面の中でのアクションシーンが夢のようで、私はとにかくひたすらときめいた。
ただ悪役の騎士がルトガー・ハウアーと競り合うほど強く見えなかったのが唯一の難点か。ルト様なら一撃で倒せそうだった。
そして本来ならSFXを使っての変身場面をウリに出来たのに、そうはせず、あくまでラブファンタジーをメインにして、変身場面では、引き裂かれた恋人たちの悲しみを表現していた。
私はこの映画を見るとベルギーの画家、クノッフの絵を思い出す。
世紀末に華開いたデカダンスの香り。
「愛撫」という絵。豹の体を持ち、女の顔をしたスフィンクスに青年が頬を寄せる。
「レディホーク」では美しい姫が、黒い巨大な狼を愛撫する。
殆ど人獣交合寸前とさえ言える、妖しいエロティシズムをそこに感じる。姫は狼を愛し、狼は姫を愛しているのだから。
彼ら、不幸な恋人たちは、決して愛し合えぬ運命を嘆き、悲しむ。嘆くことだけが、彼らの愛を確かめ合う術なのだ。
世紀末の"ロマンチック・アゴニー"そのもののこの主題。
まるで自分たちの悲しい運命に酔っているかのようでもある。
けれど、夜明けの一瞬、眼と眼を見交わしそして変身してゆく鷹と騎士のその姿の悲しさに、身悶えするような哀れを感じた。
何というロマンティック。
やがて呪いが解ける時があるという、その瞬間の謎が明らかになる。
黒ずくめの騎士は、腕に姫のドレスの切れ端を結びつけ、かつて彼が所属していた司教の護衛隊に戦いを挑む。
この映画は、私の宝物なのだ。
なぜこんなにこの映画が好きなのだろう。
この映画が好きだと思うとき、私って本当にいつまでもロマンチックな人間だなと思う。
どの場面も好きだ。どの風景も好きだ。
ルトガー・ハウアーが、黒ずくめの騎士が、今も私を虜にしたままだ。