冒険者たち 1966 フランス |
監督 ロベール・アンリコ 主演 アラン・ドロン リノ・ヴァンチュラ ジョアンナ・シムカス |
13/12/31
この映画、今の若い人たちが見たらどう思うだろう。
こらえ性のない若者が増えているから、自分の思い通りの展開にならないのが詰らない、とか言い出す人が出て来るような気がしてならない。
映画は確か1966年くらいのもの、今から何と40年も前のものだ。
青春映画のバイブルだの、永遠の青春映画だのと言われていてカルト的な人気があり、大林泰彦素彦監督も何回となく見たと証言していたはず。
名作映画だ。
私はビデオで何度か見たと思う。
後半に出て来る、小さな島の上の、要塞のような建物が印象的だったのを覚えている。
そしてアラン・ドロンの歌声、それに被る複葉機の飛行、ジョアンナ・シムカスの水着姿…何もかもが甘酸っぱい。
甘美でいて、例えようもない喪失感に囚われてしまう。青春の一ページ。
ひたすら感傷的になってしまう、そんな映画。
これには原作があり、なんとジョゼ・ジョバンニだ。
ということは、元は冒険もの、サスペンスものであったのだろう。
ジョバンニはこの映画化が気にいらず、のちに自分で改めて撮り直したと言う。
だが、それを誰も知らない。あまりにもこの映画が名作になりすぎた。
「冒険者たち」がジョバンニを離れ、ロベール・アンリコのものになってしまった。
だからこそ、こうして何十年も語り継がれる永遠の名作になったのだろう。
改めて見てみると、とにかくジョアンナ・シムカスだな、と思う。
確かにサスペンスとか冒険ものの骨子は残っているというか、もとは封建サスペンスを主眼にしていたのだろう。
だけれども、監督がシムカスを撮りすぎたのではないか。
彼女の出る場面は実はあまり多くない。
けれど、芝居がうまいわけでもなく、ものすごい美人でもない。それなのに、シムカスの存在が、この映画を決定付けてしまっている。
彼女は多分、青春というもののシンボルなのだろう。或いは、青春の時の夢、というか。
この手で掴んだ、と思ったら次の瞬間に手の届かないところへ行ってしまう。
ジョアンナ・シムカスは実際、アンリコの手をすり抜け、アメリカに渡り黒人俳優のシドニー・ポワチエと結婚してしまった。そして引退。
文字通り、映画界を幻のようにすり抜けてどこかへ行ってしまった、彼岸の存在なのだ。
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映画はいきなりシムカスのアップから始まる。
エッフェル塔を複葉機ですり抜けようとする冒険野郎(アラン・ドロン)。
新しいエンジンを彼に提供するエンジニアのリノ・ヴァンチュラ。彼らの思惑は悉く失敗に終わり、二人は凹みまくる。
スクラップを貰い受けに来た新進前衛芸術家のジョアンナ・シムカスはといえば、新作の発表会のあと、批評家にさんざんに叩かれまくり、二人に泣きつく。
そんな時にカリブ海に沈んだ難破船に財宝が眠っていると言う話をどこかから聞きつけたドロンとヴァンチュラは、早速ヨットを用意して宝物探しの準備をする。
レティシア(ジョアンナ・シムカス)はどうする?
もちろん、連れて行くさ。
3人でヨットに乗り、宝物探しの旅が始まる。
まるで、子供の遊びのような無邪気な旅、そして3人の関係。
三角関係。危うい、けれど聖なる関係。
彼女は、どちらが好きだったのだろう?どちらを選んだのだろう?
彼ら三人は、財宝を見つけ、山分けするが盗賊に狙われ、ヨットで撃ち合いになる。
そして、レティシアはその弾であっけなく死んでしまう。
映画はまだ中盤だ。なんて残酷な展開だろう。
だけど彼女が死ぬことで、この映画は伝説になったのだろう。
はかなく、あっという間に消えてしまったミューズの存在。
映画は続く。
丘に戻った二人がレティシアの故郷へ行って、分け前を家族に与える旅をするくだりから、盗賊がアラン・ドロンを狙うシーンへと続く。
島の上の要塞のような建物。
そして、ドロンが言う台詞。
彼女はヴァンチュラが好きだったんだよ…
最後は、島の俯瞰で終わる。
苦い、切ない、物悲しい幕切れ。
これが青春、これこそが青春。
ある意味で救いのない展開であるが、それを思い出のように紡いで、映画は永遠を生きている。