Movie Maniacs

A Roman Polanski film
The pianist
戦場のピアニスト
2002
03/3/31

またはロマン・ポランスキーの道程

(この文章は、とても長いです。17kbあります。
ポランスキーを知った当初からの、30年分くらいの年月が詰まっています)

 

1
ポランスキーに関するetc.

 

ロマン・ポランスキーがアカデミー賞・監督賞を獲得した。

ポランスキーは確か幼女強姦容疑を問われアメリカから逃げ出したと記憶していたが、もう時効になったのだろうか。
アカデミー賞を見ていなかったので、彼が受賞式に来ていたかどうか、分からない。
以前はアメリカの地を踏んだら逮捕されるので、アメリカには行けなかったはずだ。

 

ロマン・ポランスキーは、特異な監督である。
彼の人生もまた波乱万丈だったと言ってもいいのではないか。
そして現在までコンスタントに作品を発表し続けている。それを驚異と言ってもいいような気もする。

「戦場のピアニスト」では巨匠ポランスキー監督、と宣伝されていたのでずいぶん驚いた。
彼は「赤い航路」などというかなり危ない映画も撮っているのだが、いつの間にか巨匠と呼ばれている。そうなのか?

私とポランスキー監督との付き合い(?)は古い。
かなり長くなると予想するが、この項をめげずに最後まで書きとめることが出来たら、自分でも喜ばしいことになるだろう。

 

*****

 

ロマン・ポランスキーと聞いてまず誰もが思い浮かべるのが、「シャロン・テート殺人事件」だろう。
そしてその次に幼女強姦容疑が来る。

12歳くらいの少女に、自分の映画に出してやると言って無理やり犯した、という容疑をかけられたのである。(詳しくは知らないので事件の細部は間違っているかもしれない)
いつごろだったか忘れたが多分、70年代半ばから80年くらいではなかっただろうか。

容疑に対して疑問はあった。
ポランスキーは、女性にもてた。
彼の映画に出演した女優は皆彼と噂された。
最初の妻(ポーランドの女優)、シャロン・テート、ナスターシャ・キンスキー、「マクベス」の女優、エマニエル・セニエ、…そのうち三人と結婚している。

蛇足だがポランスキーの女性の好みは極めてはっきりしている。
皆目が大きく小作りな顔の美人顔だ。とにかく美人が好きなのである。
ポランスキーは女性を顔で選ぶのか?
きっと本人は即座にイエス、と答えるに違いない。
それほどポランスキーの女性の好みは、笑えるほどに徹底している。
彼が結婚した女性は見分けがつかないほど、似ているのだ。

 

女優で、彼を悪く言う者はいない。
おそらく、愛嬌があり(俳優もしていた)口も達者なのだろう。
そうでなかったらチビのポランスキーがあのようにもてるはずがない。
ともあれ彼は女性にもてたしまた女に不自由はしていなかった。
だから、わざわざ少女に手を出すとも思えない。

事件があった時は、少女の母が、ポランスキーから金をふんだくるため訴えたのだとも言われた。
そのような気もする。
しかし、クスリでいい気分になり、ヨレていたころだ。
そのようなことが全くなかったとも言い切れない。
ひょっとしたらやったのかもしれない、と当時の私はそう思った。

男という生き物は、そういうシチュエーションになったら何をしでかすか分からないから、…そんな考えを私は持っていたのだ。どんな聖人君子ぶっている男でも、中身は男にしかすぎないんだし。

ポランスキー監督のファンだったが、ファンといってもどのようなことでも全面的に肯定するべったりのファンではなかったのだろう。
誰に対しても私はそうなのかもしれない。
手塚治虫にだっていやな部分がたくさんあるのを知っているし、その部分を否定してまで崇拝するつもりはない。
ましてや女に縁の深いポランスキーのこと、どのようなことがあってもおかしくないはずだ。
少女の事件を、そのように妙に冷静に受け止めていたフシがある。

***

 

ともあれ、私が初めてポランスキー監督と遭遇したのは「吸血鬼」(67)という映画でだった。
この1作でファンになった。
そしてシャロン・テート事件が起こった。
以降、ポランスキーは事件まみれになった。

 

ここでもう結論を言ってしまうが、ポランスキー映画のキーとなるのは、「密室」あるいは、「閉所」である。
ポランスキー映画を特徴づけるのは、彼の映画が閉所映画である、という点だ。
ある時期にそれを発見し(するまでもないのだが)、そしてその考えは間違っていないと今も思う。

 

出世作となった「ローズマリーの赤ちゃん」(68年)*はマンハッタンのアパートで物語が展開する。
アパートの一室が舞台である。アパートの隣人たちが黒魔術の信者だったのだ。
アパートの一室という狭い空間でのみ話が展開してゆく。
この設定は「エクソシスト」よりも数年早い。

*ポランスキーの代表作だが、実はこの映画は見ていない(原作はアイラ・レヴィン)。

また、最近作「ナインスゲート」や「死と乙女」なども見ていないので、それらの映画が何を扱っているかは知らないのだが、私の推測にほぼ間違いないだろう。

 

似たような状況設定の「テナント」という映画(76年)もある。
あるアパートに引越して来た男(ポランスキー自身の主演)。その部屋に前に住んでいた人間の幻影に苛まれ、なぜか次第にその人間に人格が移っていく。そして次第に精神を狂わせてゆく。

65年の「反撥」という映画はカトリーヌ・ドヌーブ主演で、思春期の少女がアパートの一室で、神経過敏のあまり、やはり次第に狂ってゆくさまをじっくり撮ったスリラーだ。

これらのシチュエーションがあまりにも似ていることに誰でも容易に気がつくだろう。

ドヌーブ(処女という設定)は、一緒に住む姉がボーイフレンドとSEXしている時の声を隣で壁越しに聞き、それをきっかけに妄想が始まる。
見る者はそれが現実なのか、彼女の妄想なのか分からない。
彼女の強迫観念が見せる悪夢のような幻影が、観客にも襲って来る。

アパートの一室という、閉ざされた空間が主人公の精神を狂わせてゆくのだ。

デビュー作「水の中のナイフ」(62)はどうか。
これは海の上の密室ともいうべきシチュエーションである。
海の上に浮かんでいるヨットが、物語の主な舞台である。
そのヨットの上で、3人の男女の重苦しい心理サスペンス劇が展開する。

カトリーヌ・ドヌーブの姉、フランソワーズ・ドルレアックの主演した「袋小路」(66)は。
これも同様に、海の上の密室だ。
離れ小島を買った夫婦がそこで生活を始める。
その島でのみ、物語が展開してゆく。

「赤い航路」(92)では、豪華船の旅をする中で、主人公の語る話という設定になっている。
その話は必ずしも閉所ではないが、船というシチュエーションはじゅうぶんに閉所だ。

 

私の好きな「吸血鬼」はどうだろうか。

この映画は、タイトルはずばり「吸血鬼」だが、実は吸血鬼映画のパロディで、コメディーである。

後半、主人公の吸血鬼ハンターたちが吸血鬼(村の土地の地主で貴族。村の人間はもちろん吸血鬼だとは知らない)の城に乗り込む。
そしてこの城の中で吸血鬼との(どたばた)攻防戦が展開するのだ。

城の周囲は雪が深く、村とは隔絶されている。
そこからは容易に村へは帰れない。
つまり城という密室である。

これは、「マクベス」(72)にも継がれる。
「マクベス」も城という閉所で話が進むのだ。

ハリソン・フォード主演のアクション「フランティック」(88)。
パリに来た異邦人、ハリソン・フォードが異国の地で悪戦苦闘するアクションが果して閉所なのか?

しかし、この映画でもホテルの部屋、アパートの一室などが巧みに取り入れられ、特に中盤、フォードがアパルトマンに隠れ、そこから屋根伝いに脱出しようとするあたり。
ポランスキーの閉所趣味(?)が濃厚に描写されている。

そして映画が終わったあと、人は、ハリソン・フォードが駆けずり回っていた異国のパリという町こそが、彼にとって一種の閉所だったことに気づくはずだ。
彼は、言葉の通じない町中を、そのハンデを背負ってじたばたと走りまわる。彼にとって、パリという町が脱出することの出来ない閉所と化してしまうのだ。

 

ロマン・ポランスキーが、いかに密室テーマ、閉所というシチュエーションを多用しているか。
尋常ではないくらいだ。

その閉ざされた空間の中で、主人公はじりじりと追い詰められ、手札をひとつずつ奪われてゆく。
閉ざされた場所に閉じ込められた主人公をしつこいほどじっくりと、主人公の心理を、その心理がどのように変化してゆくかを、実験でもしているかのようにカメラで追い続ける。それがポランスキー映画の真骨頂なのだ。

 

そう見てくると、「戦場のピアニスト」という、戦争のむごさをプロテストしているかのように見えるこの映画が、そっくりそのままポランスキー映画のコンテキストの中にぴったりと当てはまることに気づくだろう。

「戦場のピアニスト」は、奇しくもまたポランスキー映画の集大成でもある。そう思った。

 

2
「戦場のピアニスト」

 

そこで、「戦場のピアニスト」に話は移る。

この原作を読んだ時、ポランスキーは小躍りしたのではないか。
これは俺向きだ。絶対そう叫んだだろう。

戦争を扱った映画は多くある。反戦を謳った映画も多くある。
しかし、ポランスキーが選んだのは、同じ戦争映画でも主人公がひたすら隠れ家にこもり、こもり続け、そこに身を潜め続ける閉所映画なのだ。
この物語を発見したポランスキーが喜ばないわけがない。

或いは、ピアニストの書いた原作をそう言う風に脚色してしまったのかもしれない。
しかし、そうだとしても、それがまたポランスキー色をいっそう濃くしている証左にほかならない。

しかもただ悲惨でむごいだけではない。
たくまざるユーモアが、時に顔を出す。

ドイツ人に見つかり、ピアノの前に引き出されながらも、食料である缶づめをあくまで離そうとしない描写など、堂に入ったユーモアである。
小道具の使いかたのうまさ。映画を見る醍醐味である。

 

 

ゲットーにユダヤ人が集められ、壁が築かれる。
閉所だ。

絶滅収容所へ移送されそうになりながら主人公は偶然助かる。あたかも閉所から出たくないと言わんばかりに。

ゲットーから逃げ出したのもつかの間、主人公はワルシャワのボロアパートに身を潜める。
転々と場所を変えながら、しかしボロボロのアパートの中に終日外から鍵をかけられ、1歩も外へ出ることなく、隠れ家に身を潜め続ける。

ここからポランスキーの演出は水を得た魚の如く生き生きとし始める。

鍵をかけられた白いドア、窓ガラスの割れ目から僅かに見える町、棚に置かれた空の缶詰、そして古いアップライトピアノ…
ボロアパート描写が待ってましたとばかりに炸裂する。
おそらくこのプロダクション・デザインの中を、ポランスキーは嬉々として歩き回ったのではないか。

アパートの室内を描かせたら世界で一、二の映画監督である。
これまで彼が培って来たアパート描写の、これは集大成である。

そして、中ほどで主人公がドイツ兵に見つかり、屋根の上へ隠れる描写が出て来る。

屋根の上でのアクション。
それはルーツを「吸血鬼」へとさかのぼる、ポランスキーお得意のシチュエーションなのだ。
「フランティック」にも屋根上アクションが用意されていたのを覚えている人もいるだろう。
「戦場のピアニスト」のこの屋根上場面を見て、深刻な描写が続く中、出た、と思わずにやりとしたのは私だけではないだろう。

もう一つ、主人公が逃げる途中で足を躓き、びっこをひく。びっこをひくという描写も、ポランスキー映画にはしばしば出て来るモチーフである。

 

***

 

主人公は、ピアノは上手だが、際立って勇敢でも、正義漢でもない。ただ普通に死を恐怖する市民である。彼が死ななかったのは、一つには自殺する勇気さえなかったからだ。
死の恐怖の前には、音楽家という、人類の中で特権的に美しい職業を持った人間であってさえもまったく意味がないのだ。

また、次から次に起こる悲惨な出来事、そしてむごたらしい現実に、主人公はただなすすべもなく、手をこまねいて見ているだけである。
そして運命のなすがまま、感情をあらわにすることも出来ず、ただひたすら嵐が去るのを待つしかない。自分が生きていたいのか、死んでも構わないのか…そんなことを考える余裕さえもない。
その中でただ本能で生きのびようとする。
人間は、その時動物へと逆戻りし、生き死にを運命に委ねつつ、本能の命ずるまま生きようとするのだ。

彼にどうしろと言えるだろう。
人が殺されるのをただ見ているだけ。しかしそれにどう抵抗できるのか。
大きな暴力に対し、多くのユダヤ人はただ黙ってそのなすがままになった。だが、どのようにしてそれを防げたというのか。

 

俺たちは50万人いるんだ、俺たち全部が立ち上がったら奴らに勝てるさ、と言うセリフが出て来る。
武器のない50万のかなしさは、今も我々日本人の問題でもある。

だがポーランド人は地下運動に潜み、武装蜂起さえした。黙っていたわけではない。黙っていられるわけがなかったのだ。
ただ武器を持ったというだけで、力があるというだけで、人はこうも残虐になれるのか。
力とは、武器とは何とむごたらしいものか。それに頼る人間の、何と愚かなことだろうか。

ユダヤ人たちはひたすらそこから逃げた。逃げることだけが、唯一の生き方だったのだ。

 

****

 

主人公は、ドイツ将校に出会う。
この将校は、神なのか。神だと私は思う。

なぜ助けるのか、と主人公が問うと、神の思し召しだと将校はこたえる。

ピアニストが生きるのも死ぬのも、神の思し召しだ。
神が生きよと命じればピアニストは生きつづけるだろう。
そのことを主人公に伝えに、このドイツ将校は神から遣わされたのだ。

将校は、主人公の弾くピアノに感動して彼を助けようとしたのか?
そのような浪花節はこの映画のコンテキストからは感じ取れない。

ドイツ人将校は、主人公が左官であれ、医者であれ、その命を助けだだろう。
音楽家であったのは、助けるということの言い訳にすぎないのではないか。

ドイツは敗戦濃厚で、ロシアも迫っていた。
町は荒れ放題である。そんな中、薄汚い乞食同然のユダヤ人の一人や二人、殺しても仕方がなかろう。ピストルの弾の無駄かもしれない。
戦争はもうすぐ終わる。あとちょっとだ。どうせなら生かしておけばいいではないか。

私は確信するのだ。
ワルシャワが開放された時、そのようにして生き延びたユダヤ人たちが、廃墟の町のあちこちから姿を表わしたに違いないと。
あのようにしてドイツ人や、ポーランドの仲間たちに助けられた者たちが他にももっと沢山いたはずだと。

それが人間だからだ。
過酷な運命に倒れた者もいるだろう。しかし生きた者もいる。それが神の思し召しなのだ。

 

***

 

戦後、主人公はまるで何事もなかったかのようにピアノの前に座り、聴衆の前でコンチェルトを演奏する。そのぱりっと身繕いした姿には、白々としたものが漂うほどに。
ポランスキーらしさがもっとも際立ったのが、このラストだった。

この主人公の生き方には、完全にポランスキー自身が投入されているだろう。
ポランスキーもまた、この主人公同様に、過酷な運命に曝されてもあえて言葉を何も発せず、黙々と運命に従い、そして何事もなかったかのように自分のするべき仕事にカムバックして来た。
したたか、というのだろうか。

ポランスキーは、ただストレートな感動を観客に用意するようなことはしない。
このしらっとしたしたたかさ、それこそがポランスキーだ。

 

神であったはずのドイツ人将校がソ連兵に掴まり、ドイツ人の立場は逆転した。
将校は、かつて自分たちがツバを吐いたユダヤ人に哀れっぽく命乞いをするのだ。
そしてユダヤ人は、捕虜になったドイツ兵に好き放題の悪態をつく。

繰り返し。
これが人間というものの姿だ。

「マクベス」の幕切れ、シェークスピアの原作にないラストを付け加えたあの場面と同じと言っていいだろう。

人間のありのままの姿を見た、そのせいでポランスキーの映画にこうしてそれが色濃く反映しているのだろう。
いいも悪いもない。それが人間の姿なのだ、と。

 

戦前ワルシャワに住んでいたユダヤ人のポランスキーは、子供の時に戦争が始まり、映画の主人公同様、隠れ家を転々として難を逃れたという。
その時の体験が、のちの彼の人生観を決定づけたのだろう。
手塚治虫の「紙の砦」同様に。
人間に対する、シニカルなまなざし。

ポランスキーはかつて、人はあまりにも深刻な事態に陥った時、どうしていいか分からなくなった時には、笑いたくなるのだと言った。
極限の状況にも、そうであればあるほどなぜか笑いたくなる。そんなポランスキーの独自の視点がこの映画にも滲み出ている。

人は崇高にも、卑屈にもなれる。
ただ生き延びること、それが人の権利だ。と。
命を惜しめ。しぶとく生きよというわけか(山本周五郎of京都新聞)。

修羅をくぐりぬけたユダヤ人、ロマン・ポランスキーの人生観を、コンチェルトを弾き終え、得意げに客席をふりかえる主人公の姿に見た。


映画の製作年を調べた以外、参考にしたものはありません。
すべて私の記憶と独断です。

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