「ルートヴィヒ」の思い出
14/1/8
ドイツ、ババリアの狂王と言われたルードウィヒ2世のことは、私は澁澤龍彦の著作ではじめて知った。
その時、こんな王様がいたのだと興奮し、忽ち夢中になったことを覚えている。
王がワグナー狂で、お城を建てるのが趣味で、なおかつホモで…と、その澁澤の著述に興味をひたすらつのらせて、様々に王について思い巡らせた。
そのババリアの王をルキノ・ヴィスコンティが映画化する、と知ったのが1971年、その時の私の狂喜はいかばかりだったか。
私の好きな王様を、私の好きなヴィスコンティが、私の好きなヘルムート・バーガー主演で映画化する。
それは私にとって、まさに夢のような企画だった。
映画化される、と聞くだけで胸が躍った。撮影される前からその映画が楽しみで仕方がなかった。完成が待ち遠しかった。
だが映画化がなり、映画が完成されても日本で公開されることはなかった。
撮影にお金がかかりすぎ、世界公開の権利を持っていたワーナーが輸入買い付け額をものすごく上げた。
当時、ヴィスコンティの映画はさほどヒットしたわけではない。
買いつけ額に見合うヒットは望めないとして、輸入会社が輸入しなかったのだ。
もちろん私は絶望した。
映画と言うものに絶望した。
生きていれば必ず見ることが出来る、それだけを僅かな望みにして、その頃の私は虚しく時を過ごしていたのだと思う。
それからヴィスコンティの映画は公開されなくなった。
彼が亡くなった1976年にも、そのニュースが入って来ただけで、「ルードウィヒ」以降の映画は日本ではさっぱり見ることが出来なくなっていた。
ヴィスコンティ映画が公開されるようになったのは確か1978年、「家族の肖像」(74)が独立系シネマで公開されてからだったと思う。
その時のキネマ旬報のベストワンを獲得して、それから79年ころには遺作「イノセント」(76)が公開された。
それから、ヴィスコンティ映画がどっと日の目を見るようになったのだった。
1980年にとうとう、「ルードウィヒ 神々の黄昏」が公開されることになった。
これはエキプ・ド・シネマの単館公開で、ワーナーの2時間半版より長い3時間バージョンだった。
公開と同時にルードウィヒの特集ムックなどが発売されたりした。シナリオ集も、関連本も出た。
製作から既に8年たっていたが、待つものは待ってみるものだと思った。
時はかかったが、こんなにヴィスコンティがブームとなり、特集本も沢山出て、しかも3時間完全バージョンだ。
こんな嬉しいことはない。待って良かった、本当にこんな日が来るとは思っていなかった、そんな気持だった。
京都で「ルードウィヒ」が公開されたのは、もう1年ののちだった。
忘れもしない祇園会館。
ロードショー館ではない、だが時々単館映画を上映してくれる良心的な映画館だった。
私は、「ルードウィヒ」を見る前、こう思った。
日常生活で気になることはすべてやり終えてから、何も心に引っかかるものがないようにしてから見るようにしようと。
なぜなら、その世界を見た時から、もしかしたら日常生活に戻ってこれないかもしれないから。
その世界に浸りっきりになり、この世界がつまらなくなってしまうかもしれない。何しろ3時間もあるのだから。
そう覚悟を決めてから、見に行った。
ラストシーンを見て、それから映画館を出て、祇園四条を河原町へふらふらと夢遊病のように歩いたことを覚えている。
やっぱり、と思った。
もう抜け出られない。一週間か、二週間か、もっとかかるかもしれない。
覚悟はしていたが、それ以上にショックを受けていた。
8年も前に見たいと思い、それ以来ずっと見たいと思い続けていた映画だ。見る前から期待にこがれていた映画だ。
だから、予想以上のものが出て来るとは思い難かった。
だが、ヴィスコンティは、そんな私の斜め上を行っていた。
予想以上、いや、予想とはまったく違うショックがあった。
私は打ちのめされた。
そして、ラストシーンを見てすぐに、これは私の生涯のベストワンになるだろうと確信した。
これ以上の映画はもう出て来ないだろう。
少なくとも私の前には現れない。
ベストワンでオンリーワンだ。
72年当時、見たかった映画を8年ぶりに見てもそれは楽しめるのか。
古びてしまっていないか。最早心躍りもないのではないか。そんな思いもないではなかった。
しかしそんなことは、杞憂にしか過ぎなかった。
最初の3時間版の衝撃はいまだ忘れられない。
それはいま作られたばかりのように生々しく激しかった。
その衝撃と打ちのめされたショックは、いつ見ても変わらずそこにあるのだ。
ルキノ・ヴィスコンティの映画の中で、最高傑作とされているのはどれだろうか。
おそらく「ベニスに死す」あたりかと思う。
だが、私にとっては、ヴィスコンティ映画の秀劣さえどうでもいい、この「ルードウィヒ」が最高作だ。
これからどんなにすごい映画が現れようと、この映画の凄さに到達出来る映画が現れるとはとうてい思い難い。
そこまで私は思いつめた。
やっぱり。
やっぱり、ヴィスコンティはヴィスコンティだった。
凄い人だ。
よほど経ってから、テレビで4時間バージョンが放映された。
これは何だろう。
知らない場面が沢山入っている。録画しながら、なぜ、こんなものがと訝った。
これが4時間バージョンとの最初の邂逅だ。
4時間バージョンについては、既にほかで書いたので詳しく書かないが、現在流通しているのはこの4時間バージョンだろう。
3時間版ではカットバック手法が使われていた場面があったが、それはなく、時系列に沿ったオーソドックスな映画になっている。
タイトルは「ルートヴィヒ」に変えられている。
私の好きな「ルードウィヒ」に二つのバージョンがあって、二つも楽しめる。
それは、幸福なことだ。
この映画がすったもんだがあったおかげで、こうして長いバージョンも見ることが出来る。
私は機会を見て、4時間バージョンの特別上映がされるたびに出かけた。
そのたびに幸福を味わった。
あの時見られなかった映画がこんなに何度も、見られる。
4時間版も見られるようになった喜び。
それははからずも「ルードウィヒ」の会社が倒産し、フィルムが散逸した、それを、人々の努力によって「ルードウィヒ」が再現された、そのおかげだ。
そのおかげで、4時間版が話題になり、「ルードウィヒ」自体も話題になり…、それが人々の記憶に残るようになった。
私は幸福な人間だ。
最も好きな映画が、2種類も見られる経験をした。
いつでも、いつまでも好きな映画。それを持っている幸福、喜び。
「ルードウィヒ」は、私にそんな幸福を与えてくれたオールタイムオンリーワンの映画なのだ。