Movie Maniacs

ディアハンターのころ

The Deer Hunter

作品の内容に言及しています。
見ていない方はご注意下さい。

02/6/19

 

「ディアハンター」は1979年度のアカデミー賞作品賞、監督賞、助演男優賞などを獲得した作品だが、当時右傾化しすぎているとか、アジア人を蔑視しているとして問題になり、大変物議をかもした作品でもあった。

映画「グリーンベレー」を撮ってベトナム戦争を賛美したタカ派の俳優ジョン・ウェインはこの作品を褒めちぎり、平和運動を展開していたジェーン・フォンダはこの作品を批判した。

この作品が実際右傾化しているのかどうか私には判断がつかないが、そうした批判があり、そのような側面があることは、把握しておかなくてはならないことだと思う。

アジア人蔑視については、ベトナムでの描写が問題になったのだろうが、アメリカの青年が捕虜になり、ベトコン兵にロシアン・ルーレットを強要される場面では、アメリカ人がアジア人にいじめぬかれている、ざまあみろ、普段えらそうにしやがってからにアメリカ人がなんぼのもんじゃと、天邪鬼の私など大変喜んだ描写だったのだが。

また右傾化については、ラストのゴッド・ブレス・アメリカを歌う場面がかなり影響しているのだろう。
これは、日本映画ならラストで「君が代」か「同期の桜」を歌うようなものだ。

 

この映画は、私たち日本人が見るのと、現地のアメリカでアメリカ人が見るのではかなり意識の差があるとも聞いた。
ベトナムからの帰還兵がこの作品を見て、ベトコン兵がやられる描写では手を叩き、足踏みをして喜ぶのだとか。
アメリカ人はこれを映画作品というよりも、ひとつのイベントとして体験し、映画を見ているというより、体感していたのだろう。
実際にベトナムの戦場をくぐりぬけて来た帰還兵にとっては、追体験のようなものだったのかもしれない。
私たちのような、戦争が遠い国のこととしか思わない人間が、この映画を語ることは、或いは出来ないのかもしれない。

***

しかし、この映画はアメリカでは批判にさらされたが、日本ではどういう訳か大変受けが良く、マイケル・チミノ(監督)は一躍人気が出た。
日本ではこの映画を映画として、思想としてよりも映画作品として高く評価されたからである。

アメリカではこの映画は、右側の人も、左側の人もおおむね「帰還兵のための映画」というような位置付けしかなかったような気がする。
しかしこの映画が、帰還兵の慰めのためだけの映画ではないことは日本人の方がより強い感受性で受けとめていたのだろう。

 

日本でこの作品が評価された理由のひとつは、戦争に応召する若者の青春、という文脈が非常に日本的だったことにあるだろう。

舞台になるのがアメリカの片田舎、主人公が田舎の純朴な若者といった点が、どこか日本の戦時中を思わせるような、軍国青年がお国のために戦って来ます、という心持ちで戦いに赴いたのと同じような、かつて日本が描いた戦争青春映画(?)を思わせる側面があったからではないか。

そしてもうひとつ、思想はともかくとして、映画としての力、ダイナミズム、映画がどのような力を持つか、それをこの作品は如実に示した…、無意識のうちにそのような力を内包していた…、それがこの作品が日本でより評価された理由だろう。

 

この映画を一緒に見に行った友達が見た後、その友人は映画の感想をあまり言う事をしない人だったが…、ひとこと、「いい映画が見たい」
と言った。

あまり映画を見ない人間に、また映画が見たい、そう思わせる力を持った映画、しかもいい映画が見たいと、そう言わせる力を持った映画。
確かにそういう力に満ちた映画に違いなかった。

***

 

その年のアカデミー賞の授賞式は、確か民放で字幕付きで放映されたのだった。

当時は衛星放送も、スカパーもない。だから逆に地上波でアカデミー賞の授賞式が見られたのだ。考えればいい時代だった。

私は映画に興味をなくしていた時期で「スターウォーズ」も見る気がなかった頃だ。*

*前回Diary参照

それでもオスカーの授賞式は見るともなく見ていて、若い男優がそそくさと壇上に現れ、誰それに感謝する、といった短いスピーチをするのをぼんやりと見ていた。
金髪のハンサムな青年で、こんな青年が出ているならその映画が見てみたいかも、とぼんやり思った。
彼が出演した映画の場面が映される。

ベトナム戦争の臨場感溢れる、汗と泥と糞と血糊の世界がいきなり現れた。
そのわずかな瞬間の臨場感に息を飲んだ。
これが「ディアハンター」との出会いだ。

ちょうどその時期、まさに日本の映画館で件の「ディアハンター」は上映されていた。

前のめりにスピーチしていた青年はクリストファー・ウォーケン、助演男優賞を受賞したのだった。*
いいかもしれない、そう思った。映画を見る気になった。

* アカデミー賞では、例年助演男優賞が一番先に発表される。

 

ルキノ・ヴィスコンティが死んでからというもの、私にとって映画は輝きをなくした。死んだも同然だった。
付き合いで見に行ったこともあるが、当然満足など出来るはずもない。

スピルバーグが台頭し始めた頃だっただろう。
それで誘われて「未知との遭遇」を見た。
クズだった。

起承転結がなっていない。何よりも人間が描かれていない。感情移入の出来ない単なるできそこないのイベント映画であった。
今後はこのような映画しか出て来なくなるのかと、暗澹とした気持ちになった。

 

アカデミー賞の授賞式では、候補作品が紹介される。
「ディアハンター」はかなりの部門で候補に上がっていたため、何度もその映像が流された。
アメリカの青年たちが、ベトナムの汚い戦場でボロキレのようになっている描写に、私は強烈に惹かれた。
そのリアルさ、臨場感、あの小ぎれいだった青年が戦場に放り出され、ボロキレのようになってる場面を見たい。
そんな気持ちに衝かれ、映画館に足を運んだのだった。

***

確か一人で見に行った。
見た日の夜、パンフレットを読んだあと、部屋の電気を消して寝た。
いや寝ようとしたが眠れなかった。

暗闇でぽっかりと目が開き、頭の中にいつの間にか映画の場面が浮かんでくる。
ニック、ニックと叫び続ける衝撃的なクライマックス・シーンが、脳裏に焼き付いている。
なぜか訳が分からないままに涙が溢れる。枕に顔を埋めてしくしくしくしくと、ずっとその夜、泣いていた。

私は感受性が強く、特に映画には影響されやすい性質だった。
印象の強い映画を見るとそれに影響され、どっぷりと浸かる状態が続き、なかなか覚めないのだ。
現実がどうでも良くなり、頭の中は見た映画のことしか考えないようになる。
1週間くらい浸っていることも珍しくなかった。

しかしルキノ・ヴィスコンティが亡くなってから、ヴィスコンティの映画が日本で上演されなくなってから、映画を見てそのような状態になることもなくなった。

なぜなんだろう、と自問しながら私はその夜、泣きつづけた。
なぜこんなに涙が出るのだろう…

翌朝目を覚ますと目が腫れていた。

*

それからの私は「ディアハンター」の伝道者になった。

当時勤めていた仕事場の同僚に、口をすっぱくして「ディアハンター」がいかにすごい映画かを説き、絶対見るべきだ、と力説した。
彼女たちは興味を示し、私に連れられて(私は2度目だ)映画館へ足を運んだ。

彼女らは見たあと、○○さん(私のことである)があんまり良いと言うものだから期待しすぎて、実際に見てみたらそれほどでもなかった、と言った。
私は反省し、私が見た興奮を伝えようと思ったのだが、何も知らない人間にはあまりすごいと言いすぎても駄目なのだと悟った。

それで中学生の時からの友人(先ほど出て来た人物である)に、見に行こうと誘い、
(何しろ伝道者になっているので、より多くの人間に見せなければならないと思ったのだ)彼女には見る前に、ただ臨場感がすごいのよね〜、とだけ言った。

そうして、彼女は映画館から出て来ると、「いい映画が見たい」と言ったのだった。

 

映画好きの人なら誰しも経験のあることと思うが、映画を見たらその感想をノートに書きとめておく。私もそんなことをしていて、「ディアハンター」についても当時、いろいろ書いた。
だが結局それは書き上がらなかった。
何度も書いては初めから書き直し、書き直しして、けれどもついに考えはまとまらず、最後の1行は書かないまま放棄してしまった。
どのように言葉を尽くしても、正確に言い表すことが出来ないような気がしたからかもしれない。

*

私がこの映画で影響を受けた最大のことは、また映画を見るようになったことだ。

この作品を見て、もう一度映画を信じてみようと思った。
信じられると思った。

ヴィスコンティが死んで、映画も死んだと思っていた。
しかしこのように、どこからともなく、また映画は生まれる。
歴史は続く。映画もまた続くのだと。

そんな当たり前のことを、私は信じる気持ちになれなかった。
それを信じさせてくれたのが、この映画なのだった。

力に満ちた、ダイナミズムに溢れた、映画を信じたいと思わせる映画が、この先、これからも作られ続けるだろう。
信じられなくなる時も来るだろう。しかしまた、映画は不死鳥のように蘇り、野心と力のある人間によって、その力を見せつけてくれるだろう。

心がそのことで埋まってしまうような映画。そんな映画に出会えることが幸福である。

 

***

もうひとつ「ディアハンター」について言っておきたいことがある。

当時ある女性批評家が、主人公のロバート・デ・ニーロとその友人クリストファー・ウォーケンの関係をホモセクシュアルである、と断定した。

肉体的な関係はともかく、帰らない友人を訪ねてもう一度ベトナムへ舞い戻り、変わり果てた友人をかき抱いて絶叫する、その友情というよりも深いつながりに、そう思わせるような要素が確かにあった。
この映画を評価する女性の全員は、デ・ニーロとウォーケンの関係に同性愛的なものを感じ取っている。それだからこの映画を評価するのである。

変わり果てたウォーケンの姿は、例えば古い映画、「哀愁」という映画を思い起こさせる。

将来を誓いあった恋人同士が、男が戦争へ行く前、戦争が終わったら橋の上で再び会おうと約束する。
戦争が終わって男が帰ってみると、女は生きるため、街娼に身を落としていた。

 

デ・ニーロが、帰らぬ友を求めて陥落寸前のサイゴンに戻り、探しあてた友は、想像のつかぬ姿に変わり果てていた。
麻薬に犯され、かつての友の顔も判別出来ないその無残な姿に、私はなぜかひどくエロチックなものを感じた。

ロシアン・ルーレットの魔に取りつかれた彼はもう以前の彼ではない。
デ・ニーロが知っていた彼ではない。だからもう自分を探さないでくれ…もう元には戻れないのだ…

それは、女が生きるために町の女に身を落とし、男から身を引こうとするさまそのものに、私には思えた。

それは友に対する裏切り、アメリカに対する裏切りであった。
どんなに懸命に自分のもとに戻そうとしても友はもう、戻らなかった。
その時、真の喪失感がデ・ニーロを襲う。

アメリカは、大事なものを失い、それを取り戻す事は2度と出来なかったのだ。
たとえ「ゴッド・ブレス・アメリカ」を唱和しても。

どうして彼を失わなくてはならなかったのか。
アメリカは、取り返しのつかない間違いを犯したのだということを、そのことで心に刻み込んでおかなくてはならないのだ。


マイケル・チミノの同性愛的な表現について、うがちすぎだと思う人がいるかもしれないが、「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」(85)での主人公ミッキー・ロークの、敵であるジョン・ローンに対して抱いている感情が、殆ど恋である、と言ってもいいような描写であったことを思えば、決して気のせいではないだろう。

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