12/18  盗まれたレオナルド・ダ・ヴィンチ?

 

ちょっと前、レオナルド・ダ・ヴィンチの名画が盗まれた、という事件が新聞沙汰になっていたのを覚えている人はいるだろうか。

この8月に、スコットランドでダ・ヴィンチの「糸車の聖母」が盗まれたという事件だ。

そしてこのあいだ、続報として所有者に保険金が支払われた、という記事が国際欄に小さく出ていた。
(私は、最初スコットランドの美術館が所有していたのかと思っていたが、個人らしい)

この事件の一報が報道された時、件の「糸車の聖母」の写真も新聞に載っていたが、それを見た人は、きっと、こんなレオナルドの絵は見たことがないと思ったに違いない。

確かにとてもマイナーな絵で、良く知られた「モナリザ」や、「最後の晩餐」などのような知名度はない。しかし、でもどこかで見たことがあるような気もするし、レオナルドの絵みたいだなあ。

あの絵の写真を見た人は、そんな風に思ったことだろう。

実は、あの「糸車の聖母」はわけありの絵なのだ。

 

***

 

ところで、絵の売買や、盗難については常にうさんくさい臭いが付きまとう、と思っているのは私だけではないはずだ。

日本でも、仏像などを社寺から盗難し、それを骨董屋に売りつける、ということをやっている窃盗団などがあるのではないか。

絵画を売買する時には、贋作疑惑はつねにどこかに付きまとっている。
とくに有名な画家になるとそれは増大するはずだ。

有名な画家の作品の数は、既に研究者によって知られ尽くしている。それ以外に新発見された作品、というのになれば、それはもう、いきおい贋作という疑いをまずかけなければならないのではないか、私はそう思う。
なぜなら、今の時代、有名画家の知られざる作品がそんなに簡単に発見されるはずがないと思われるからだ。

 

以前、テレビのバラエティ番組で、同じくレオナルドの「モナリザ」*が盗難された時のからくりについて放送していたことがある。

*絵がモナリザだったかどうか、実はもう覚えていないのだが、便宜上、モナリザとしておこう。そうしよう。

それは、「モナリザ」を盗んでおいて、その間モナリザの贋作を5つ制作し、5人の好事家にそれぞれ真作だと言って売りつける、という手口の詐欺だった。
これはとても頭の良いやり方で、ルーブルの「モナリザ」が出て来ない限り、好事家はこれが真作だと言われれば(贋作の出来が良ければ)、そうに違いないと信じてしまう状況が作られているからだ。

よって、絵画や彫刻などの盗難には、限りなくうさん臭さが付きまとうのだ。

もちろん今回の盗難と、支払われた保険金について、即あやしい、と言いたいわけではないのだが。

***

 

ところで、「糸車の聖母」について、私は以前、絵画雑誌でその写真を見かけたことがある。

レオナルドの生地、ヴィンチ村で公開討論会が行なわれた時に参加した田中英道という美術評論家の文章でだった。

*「芸術新潮」特集・東西有名贋作展(昭和58年)

その公開討論会で議題になった絵が、この「糸車の聖母」だったのだ。

田中英道は、イタリアの文化大臣までが出席する討論会において、この絵がレオナルドの真作かどうか意見を求められた。
これがレオナルドの真作だ、と主張する高名な研究家がいたからだった。

そして田中氏は、結論として、この絵はレオナルドのものではない、と述べたというのだ。

ただ眼のあたりにレオナルドの特徴が見られるから、工房のものかもしれない、と。

 

「糸車の聖母」は、贋作ではないにせよ、真作とは認められない類いの絵ということだろう。

贋作というのは、後年、意図的にその画家に似せて描くものだが、工房のものは意図的ではなく、ちゃんとした作品だ。けれども、画家本人の作ではない。

レオナルドの画集を見渡しても、「糸車の聖母」を収録しているものはひとつもない。
レオナルド作、と、画家の名前を冠することは出来ない作品ではないかと思うのだ。

ところが、報道された新聞(註)などでは、このことに関してはいっさい言及されず、「糸車の聖母」は、あたかもレオナルドの真作であるかのような取り扱いだった。これはどうしたことだろう。

現在レオナルド作とされている、例えばエルミタージュ美術館蔵のものでさえも、どうかと思うような、到底真作とは思えないものが、あたかも全部レオナルドが描いたかのようにレオナルド作とされ、というか美術館側が何の疑いもなく、当然のようにレオナルド作というまくらをつけている。そして世間でもそれがまかり通っている状況である。

#レオナルドの筆が一部入っているようだ。
でも一部に入っているだけでそれのすべてがレオナルド作(つまり真作)とは言えないと思う。

 

持ち主が真作だ、と主張すれば真作…というか、その作者のものということになってしまうのだろうか。


糸車の聖母

「糸車の聖母」を見て、まず誰もがあっ、と思うだろう。見たことがある、と。

ちょっと詳しい人なら、こんなレオナルドの作品は知らないが、でもやっぱりレオナルドの絵だ、と思うだろう。

それはそうだ。
この絵は、レオナルドの「聖アンナと聖母子」 「岩窟の聖母」*などを、上手にコラージュして、切り貼りして描いているからだ。
どこかで見たことがある、と思うのも無理ないのである。

こういう手法は、量産する時の常套手段ではないだろうか。
おそらく弟子たちが、師の描いた作品を見て、それを手本として描き上げたエチュード的作品だったのではないか。
師であるレオナルドが、最後に添削などしたことも考えられるだろう。

それはそれで一つの作品だとは思うけれど、(お師匠さんの直しが入っているというだけで)それがレオナルドの作品だ、と主張することは出来ないと思うのだが。

もちろん、本当に手が入っているならば、それはそれで価値があるとは思うけれども、真作だとは言えないということだ。

*Courtesy of MarkHarden's Artchive.  

***

 

一部本人の筆が入っている、ということにもうひとつ付け加えたい。

全体ではなく、その一部にレオナルドの筆が入っているということで有名なのは、ヴェロッキオの「キリストの洗礼」*だ。左側の天使などをヴェロッキオの弟子のレオナルドが担当した。

*Courtesy of Web Gallary of Art

ルネサンス期では、一つの絵画を分担して描き分けるということは珍しいことではないからだ。

レオナルド作とされているもので、本人の筆があまり入っていない、とされるものも、研究でだいぶ分かって来ている。それは、先に言ったエルミタージュの絵(「ブノワの聖母」「リッタの聖母」)もそうだ。
そういう場合は、一部のみ本人の筆、とか、レオナルド作とされる、などという断り書きをしておくべきではないだろうか。
そうでないと、作者にも失礼だ。

こんなにヘタなのがレオナルドの絵?と誤解されるのは、レオナルドでなくても心苦しい。

 


*(註)

私の読んだ記事は京都新聞のものだ。リンクしている長崎新聞は、「レオナルドのものとされる」という断り書きをしている。


 

ということを書いたあと、本屋の美術本コーナーで立ち読みをしたら、実は「糸車の聖母」は、何と10ものバリエーション(8つだったかもしれない)がある絵だという事が分かった。
そしてそのうちの2つにレオナルドの補筆が認められる、とあった。

レオナルドの筆が(ほんの少しにせよ)入っている「糸車の聖母」が、確かにあるというのだ。

それが盗まれたスコットランドのものなのか、それとも田中氏が鑑定した「糸車」なのか、それは分からない。

また盗まれたスコットランドの「糸車」は、田中氏の鑑定したものと同じであるということは言えなくなった。10枚もバリエーションがあるのなら、それぞれ、どれかのうちのひとつなのだろう。

上に掲げた「糸車の聖母」は、インターネットから拾って来たもので、盗まれたものとは違うかもしれない。

立ち読みしたあと、私の書いたこの文章を全面的に書きなおそうかと思ったが、恥をかくことも勉強のひとつである。ほぼそのままにしておくことにした。
その上、「一部に本人の筆が入っているものであっても、本人作というラベルを貼ることは誤りではないか」という私の主張は間違っているとは思わないからだ。

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