1.三角縁神獣鏡 04/6/4
2.三角縁神獣鏡リターンズ・最後の挑戦 04/6
以下の文章は、2004年6月に書いた、三角縁神獣鏡についてのもので、その後、その舌足らずな文章に嫌気がさし、補遺のつもりで書いた文章とを合わせて収録するものです。 再録に際して加筆・訂正をしましたが、それでもまだ舌足らずなことには変わりなく…。歯がゆい限りですがまあ、自分の文章力がこの程度なのでしょうがないか。 |
1.三角縁神獣鏡 04/6/4
2004年、ある日の地元の新聞の夕刊の1面に、三角縁神獣鏡の成分が判明したことが、大々的にカラーつきで報じられていた。
私が読んだのは地元の新聞だ。だから全国的なニュースなのかどうか、とその時咄嗟にいぶかしんだ。
京都だけで盛り上がっているのではないか、と思ったのだ。なぜなら、成分の分析を行なったのが京都・左京区の博物館の学芸員らで、発表は立命館大学で行なわれると書かれていたからだ。
けれども、その夜のテレビニュースでも報じられていたから、かなり全国的なニュースだったのだと、やっと納得した。
三角縁神獣鏡は、卑弥呼の鏡かもしれない、として有名な鏡である。だから、ニュースになる。
なぜ三角縁神獣鏡は、卑弥呼の鏡かもしれないと思われているか。
卑弥呼と「魏志倭人伝」の由来を知っている人には有名な事柄であろう。
「魏志倭人伝」には、邪馬台国の女王卑弥呼に、魏の国の皇帝が鏡を与えたという記述があるのだ。
そしてこの三角縁神獣鏡こそが、その鏡ではないかと目されている。だから三角縁神獣鏡が、邪馬台国がどこにあるかを証明する重要な鍵になっている。
その鏡が出土した土地がすなわち、卑弥呼のいた場所であり、そこが即ち邪馬台国であると、証明出来るからだ。
***
邪馬台国論争は、もう少し複雑になる。
邪馬台国が九州にあったのか、畿内にあったのかが、昔から論争の焦点になって来た。
煩雑になるが、ここでおさらいをしよう。
私は、邪馬台国は九州にあったということでもうてっきり結論がついていたものと思っていたのだけれど、今回のこの新聞の記事を読むと、そうでもないようだ。
「魏志倭人伝」、すなわち「三国志」、魏書の「烏丸鮮卑東夷伝」倭人の条に書かれている記述の、邪馬台国への道のりを考えてみると、だいたい九州のどこかになるようだ。
それでも、邪馬台国が畿内にあった、とする研究者は、邪馬台国という名がのちの大和政権のヤマトという発音と酷似すること、そして三角縁神獣鏡が畿内から出土していることなどを根拠としている、のだろうと思う。
卑弥呼がもらったという鏡が出土してこそ、そこが邪馬台国だったと証明できるはずだ。
三角縁神獣鏡は、畿内からしか出土していない。九州にはない。(だから邪馬台国は畿内である。)それでは、卑弥呼が魏から百枚もらったという銅鏡は、三角縁神獣鏡なのだろうか。
今回の分析では、この畿内から出土した三角縁神獣鏡の成分が、中国の3世紀の鏡と同じ成分だったということが分かった。
だから、一見、この鏡が魏の国から邪馬台国に与えられた鏡だというふうに思ってしまいそうになる。けれども一番大事なところは、この三角縁神獣鏡が、肝心の中国では一枚も出土例がない、ということである。
これはどういうことか。
つまり、三角縁神獣鏡は、中国では生産されなかった。
あの広い中国で、今まで一枚も発見されていない、というのはやはり見逃せない事実だ。中国に存在しなかったものが、日本に渡来するはずがない。
魏の国が邪馬台国に分け与えたというのだから、その鏡は魏の国が、魏の国の技術で作り上げたものであるはずだろう。
しかし、中国での出土例がないということは、つまり三角縁神獣鏡は中国では作られたことがなかった。それは日本で作られたもの、ということになる。
今回、その成分が中国のものだとの結論が出たという。
けれども、そのことによって、この鏡が中国生産のものであるとの証拠にはならない。日本では、中国からもたらされた鏡やその他の製品を鋳つぶして、あらたに作り直すことがなされていたからだ。
当時は、朝鮮(百済)などからの渡来人も多くあった。それらの人の技術を借りて、鏡を作ることが行なわれていただろう。だから、材料が中国製であっても、製品が中国で作られた、と短絡的には言えないのだ。
問題なのは、畿内説を唱える人が、関西系の研究者に多いところかもしれない。
九州説は、おもだったところで松本清張、黒岩重吾などの推理作家陣、森浩一(考古学者)など、良心的な殆どの人が九州だと言っている。
私が読んだK新聞の解説には、
「邪馬台国畿内説」の確証とするには超えなければならない課題はまだ多い。
と書いてあって、心の底から驚いた。
邪馬台国は畿内か九州か、ではなく、もう、何が何でも畿内説を証明しなければならない、という態度なのだ。
というよりも、もはや邪馬台国は畿内でなければならない、という思い込みがあるようなのだ。これはどうしたことか。
これは単に新聞の発表であって、別に研究者の言葉ではないのだから、どうということはないのだが、もし、畿内説の学者がこのような態度で研究を行なっているとしたら、いかがなものか。
本末転倒とは言えないだろうか。
曲がりなりにも邪馬台国は学問なんだから。地域開発のために有名人を誘致するのとは訳が違うのだ。
地域を活性化したいという気持ちなのかもしれないが、九州と争って卑弥呼さんこっちに来て下さいではないだろうと、思わず突っ込みたくなった。
私のまずい文章では、三角縁神獣鏡問題をきちんと説明することは不可能だと我ながら感じる。
中国から出土している鏡は三角縁でない鏡である。日本からも、三角縁でない鏡も出土している。
「方格規矩四神鏡」という難しい名前のものだ。
これが卑弥呼の鏡と言えなくもないはずだ。学者の中には、それが卑弥呼の鏡だという人もいるという。
それでも三角縁のものが卑弥呼のものではないかと言われているのは、そこに、ある年号が刻まれているからでもあるのだが、あまりにむつかしいので、これ以上は触れられない(^_^;)。
2.三角縁神獣鏡リターンズ・最後の挑戦 04/6
前回書いた、三角縁神獣鏡についての文章が、どう考えてもとにかくあまりにもひどい。ひどすぎたので、ここでリターンマッチを行なう。
大体、三角縁神獣鏡についてきちんと書こうと思えば、非常に精細な研究と実証が必要な訳で、短い文で書こうという方が間違っているのだ。
それでも私の止むに止まれぬ欲求から、書くのだ。何という業の深さであることだろうか。
ひょっとしたら畿内説学者による、畿内で行なわれている(らしい)三角縁神獣鏡の研究は、あらかじめ「邪馬台国は畿内である」という前提のもと、「三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡である」という前提に立っておいてからされている研究なのではないだろうか、という疑いが、私の中にある。
三角縁神獣鏡は、畿内を中心に400枚ほど出土しているという。
卑弥呼が魏から貰ったという銅鏡の数は100枚だと「魏書」東夷伝・倭人の条(魏志倭人伝)に書かれている。計算が合わない。
もし、三角縁神獣鏡が非常に大事な鏡であって、魏から特別に下されたもので、日本人がやすやすと手に入れられないものであったとするなら、卑弥呼が貰った以上の数の鏡がそんなにも大量に出土するのは素人が考えてもおかしい。
そして、その鏡が出土する遺跡は、魏志倭人伝に書かれた邪馬台国の時代とは年代が微妙にずれる。邪馬台国よりも、あとの時代になるのだ。
(鏡が、それが姿を見るためであれ、儀式に使うものであれ、もらってすぐに遺跡に副葬されるということはないだろうから、よく使ってから墓の中に納められた、ということはあるだろうけれども。)
大陸では、魏の国には、三角縁神獣鏡も、それに似たものも出土していない(鋳型も出ていないそうだ)。
似たものが出土するのは、呉の国以南だという。
つまり三角縁神獣鏡は、三国時代の中国北部よりも、南部の鏡の文化の影響を受けているのだ。
また、呉の職人が当時日本に渡来していたことも、確認されている。魏ではなく、呉。
ここで、素人がどう考えても、三角縁神獣鏡はアヤしい、という可能性が出て来ている。
それなのに、学者が三角縁神獣鏡にこだわる理由は何なのだろうか。
確かに三角縁神獣鏡は大きくて(23センチ前後)、見栄えがいい。彫が凝っていて、美しい。卑弥呼の鏡というにふさわしい風格が備わっている。
でも、だからといって、印象とか願望とか、単なる憶測で、それが卑弥呼の鏡だ、というのは学問でもなんでもない。
それではなぜ、そういうことがまかり通っているのだろうか。
これは、実際的なことでは、戦前の、考古学が、まだきちんとした発掘もされておらず、体系がしっかりしていない時に、この鏡が発見され、その時の考古学者が嬉しさのあまり、これが卑弥呼の鏡だ、と言ってしまったことから始まったことだろう。
学者は、言い間違いや自分の学説の誤りを、間違っていたということが分かっても、すみやかに訂正したり、修正したりすることをしない人種なのではないだろうか。それでいつまでもその学説にこだわっているのではないだろうか。
関西の学者は、自分が関西人であるから邪馬台国畿内説を支持したいのではないか。
邪馬台国が九州みたいな日本の辺境であるよりも、畿内である方が映えるし、かっこがつく。畿内である方が日本人が盛り上る。
かつて、日本の中心(?)として栄えていたという邪馬台国が、たかが九州地方の田舎政権だったに過ぎないということになればがっかりもいいとこだ。私も関西の人間だから、邪馬台国が畿内である方がやっぱり望ましい。関西人の心情として、それがよく分かる。けれども、実証していって、それがどうも違うようだ、ということになったのであれば、その説を清く受け入れる態度が必要だろう。
三角縁神獣鏡は、別に卑弥呼の鏡、ということに関係なく、研究されるのが望ましいのではないだろうか。
それが美しいことには変わりがないのだから。
やっぱりリターンマッチを行なっても惨敗だった。これ以上の挑戦は体力を消耗するばかりなので、早々に三角縁神獣鏡戦線からの引退を表明したい。
参考 「古代史を読み直す」黒岩重吾
「語っておきたい古代史」森浩一