[Art Essay | ART TOP | HOME]

 

サルバトール・ムンディ

Salvador Mundi

 

2017/10/17 2018/5up

 

レオナルド・ダ・ヴィンチのキリスト像がオークションにかけられるというニュースがあった。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171011/k10011174711000.html



http://news.livedoor.com/article/detail/13731642/


「サルバトール・ムンディ」Salvator Mundi(救世主)

1500年ころ




この絵のことは、どこかでうっすら聞いたことがあった気がしたようなしないような気がしていたが、
すでに2011年にレオナルド作として鑑定されていたという…

聞いてない…
そんなことは聞いてない…

かなりショック…



テレビや新聞ではごくふつうに確信的にレオナルド作と紹介されていてよりいっそうショック。


ライブドアニュースでは


「長きにわたってダビンチの原画の模写だと考えられていた」とされているが、

NHKのニュースでは


「1900年に作品そのものは見つかったものの、加筆されていたこともあり、1世紀余りの間ダビンチの作品か確認できず、
ようやく2011年になって専門家の鑑定でダビンチの作品だと結論づけられました」

結論づけられたのかよ!



最近のレオナルドの画集には収められているのだろうか。


それくらいの確実性があって、レオナルド作と、もう認められているのだろうか。
う~ん。




しかしウィキペディアにはちゃんと載っていた…。


ウィキはあんまりあてにならないが、

アトリビュートとして紹介されているからレオナルドに帰するということだろうか。
伝レオナルド?


もともとはGiovanni Antonio Boltraffioジョバンニ・アントニオ・ボルトラッフィオという
レオナルドの弟子だという画家の作品と考えられていたらしいが、
(レオナルドの工房に所属していたという)


「糸車の聖母」もなし崩し的にどさくさ紛れにいつの間にかレオナルド作とされているようだし…





そろそろレオナルドの近辺が忙しくなって来たような気がするが。




ところでこの作品「救世主」の真贋、レオナルドの特徴がことごとく感じられて、あんまり否定できない気もするのだ。

それが悔しい…




以下、どしろうとの考えと、勝手な考察だが…



レオナルドの絵画作品には、レオナルド作とされ、画集にも載っているが、レオナルドが100%の確率で描いたとは言えない作品もいくつかある。
(参考作品と注意書きして掲載されている作品もある)


のちに補筆されたとか、他の作家の手が入っているなどして、純然としたレオナルドの真筆は、
もともとレオナルドの作品数が少ないこともあるが、非常に少ないと言っていいと思う。




「音楽家の肖像」や「マドンナ・リッタ」などは、レオナルドの作品とは言い難い(と勝手に思っている)が画集には載っている。


エルミタージュがレオナルド作と頑強に主張して、タイトルにもレオナルド作とつけている「マドンナ・リッタ」などは
どう見ても私にはレオナルド作とは思えないし、思いたくない。(しろうと考えですから)

 


マドンナ・リッタ





このオークションにかけられた「サルバトール・ムンディ救世主」は、それらから比べたら、
それらよりも何だかかなりレオナルドっぽくて、ひょっとしたらそれらより出来がいいような気がしないでもない。


ただ、もともと原画の模写と考えられていたというから、レオナルド作品に非常に似せて描かれているのは、
「糸車の聖母」と同じく当たり前ではあるかもしれないとも思うが。



作者として上げられていたボルトラフィオは、一部では「マドンナ・リッタ」の作者?でもあるとも考えられている。








あらためて「サルバトール・ムンディ」を見ると、この正面向きのキリスト像というのは、主に北方でとくに発展したような気がするが
(気がするだけだがウェイデンなど多数の例がある)
イタリアでも、真正面のキリストの胸像というモチーフはよく使われていたのだろうか。



調べてみると、「サルバトール・ムンディ」救世主、という主題は、キリストが(民に)祝福を与えるという形式の図で、
多くの画家が描いていた。


(アントネッロ・ダ・メッシーナ/1465年)

右手を上げ、二本指で祝福しているというキリストのアップの胸図が、普及していたようだ。




ただ、このレオナルド作と言われる「サルバトール・ムンディ」は北方の正面像や、イタリアの先例に比べて、
神性よりも遥かに神秘性が強いようだ。




顔と、巻き毛の描写がよく出来ていて、柔らかな筆致が、ほかの画家作品とは明らかに違っていて、深みを感じる。

巻き毛の描写の圧巻な感じがこの絵の見どころかなと。

イエスの顔もぼかしによって奥行きがある。

おそらく「最後の晩餐」のイエス像が念頭にあることが伺える(しろうと考えですから)…。

 


*最後の晩餐のための素描(イエス)


 



ただ「救世主」は右手の描法がくっきりしすぎていて異質だし、レオナルドのスフマート法の描写とは違うような気がするし、
レオナルドにしては平凡である。



左手に持った水晶の玉が、あまりにもシンボリズムが露骨すぎて、ありかな?と思うし、いや味な感じがある。

象徴のモチーフとして違和感があって、納得出来ないのだ。


衣服もはっきりしすぎているし、頭の髪の毛の、頭頂部が小さすぎるというか、うすすぎて顔と髪の毛のバランスが少し悪い。

何より、聖画や宗教画を描く時、あれほど新しい工夫や、さまざまな革新的な試みをしていたレオナルドにしては、
技法としては自己の手法を試みつつも、先行する様式をほぼなぞっただけのような作品を、無自覚に描くとはあまり思えないのだが…。




なので、
100%レオナルド作というより、これまでの「音楽家の肖像」や「白貂」「マドンナ・リッタ」などのように、
後世の筆がある程度入っていると考えたいのだが。


または、昔から言われていたような模写だと言っていいように思うが…、


模写だとしてもかなりいい出来の模写ではある。

写真で見るだけだが…
(模写だとすると、原画があったのだろうか?これもまた別の疑問がわいて来る)



鑑定でレオナルドの筆が入っているとされているのなら、イエスの顔が、モナリザや洗礼者ヨハネを思わせるような、
神秘性が残っているからかもしれない。

いずれにしてもレオナルド作とされている作品の中でも、かなり信憑性のあるもののような気はする。

ちょっと悔しい(なぜ?)



「糸車の聖母」(複数のバージョンがある)は、それらしすぎて、単なる真似、と思っても仕方ないと思うのだが、

私はこの絵はレオナルド風味を寄せ集めた感じがあって、どうしても真作と認めたくない。

 


*糸車
バクルーの聖母(スコットランド)バージョン




でもこのサルバトール・ムンディの方はかなりそれっぽいなというちょっとしたレオナルドらしい神秘性みたいなのが感じられる。



ボルトラッフィオという画家本人の絵は、以下のようなものだ。

 



聖セバスチャンとしての少年像(16世紀)

 


若きキリスト(1495?)


それっぽくなって来ましたよ~



新しい画集に加えられているのか、加えられるのか、もう少し詳しい研究の成果を待ってみたいところだ。



あんまり驚いたので、思わず書いてみました。

2017/10/17

 

[Art Essay | ART TOP | HOME]

inserted by FC2 system