若冲のモザイク画の謎
06/9/25
伊藤若冲のモザイク画「鳥獣花木図屏風」は若い人にも人気があるが、若冲の作ではないという見解も以前からある。
「もっと知りたい若冲」という本の作者の佐藤康宏氏は、この絵を若冲ではないと判定したため、持ち主のジョー・プライス氏から、若冲の絵のいっさいをこの本に掲載するのを断わられたという事実があったことを新聞で読んだ。
今回は、生意気にも私の見解をここで大々的に述べようと思う。しかも、その実際の絵を見てもいないのに(本に掲載されている図版を見ての見解だ)。何と大胆な。
若冲のモザイク画は、プライス氏の所蔵の他にも、静岡の美術館が所蔵しているものなど、複数あるらしい。
そのうちのひとつに若冲のサインが書かれていて、それによって、モザイク画(桝目描きというらしい。モザイク画というのは、私の勝手な命名)の全部が若冲の描いたものであろうと言われている。
日本のあの時代の画家で、あのような奇想というか、妙ちくりんな絵を描くのは若冲以外にいないから、ということもあるだろう。
若冲がなぜあのようなモザイク画を描いたのか、最近では西陣織との関連が言われている。
西陣織では、確かに織物にする時に、糸の色を指定するために、方眼紙を使った下絵を描くからだ。それに、若冲がインスパイアされて方眼絵を発明したのかもしれない。
いろいろと謎の多い絵なのだ。
プライス氏所蔵の鳥獣花木図をあれこれ言う前に、若冲は、絵が上手かったのかどうかをまず、検証しなければならない。
若冲は異端と言われてはいるが、それでも狩野派などの手本にまず学び、中国絵画を模写し、写生に精を出した。
当時の画家らしく、当時の絵画の基本はひと通り学んでいると言っていい。
現在でこそ異端と呼ばれているが、その当時の若冲に異端の気持ちは少しもなかったであろう。きちんと絵を学んだきちんとした画家だという意識であっただろうと思う。
それゆえ、若冲の絵を見ても、神経症的とは思っても、決してヘタだとは思われない。
写生と言うには装飾的すぎ、フィクションが多すぎるが、それは狩野派も同じことだ。若冲一人が特異だった訳ではない。
よって、若冲の絵は当時の画家より抜きん出てヘタでも、フィクション過多でもない。
だが、プライス氏の鳥獣花木図は、ヘタすぎる。
私は本の図版でしか見ていないが、それでも、その図版を見てもヘタである。いくら何でもヘタすぎる。
いちおう象や、虎や、鳳凰、鶏、雀、おしどり(?)、鶴、サルなど、狩野派、琳派などが良く描くモチーフを用いているが、豹(?)かなんかの動物の顔がむちゃくちゃヘタ。そして、象もヘタ。サルもどうしたというくらいヘタ。鳳凰なんて、見ていられないくらいヘタ。
仮にもちゃんとした画家が、こんなに下手な絵を描くだろうか?
いかにモザイク画と言っても、こんなにヘタなものだろうか?
疑問は膨らむ。
それに比べれば静岡の県立美術館蔵のものは、はるかにマシである。
小さな図版でしか見ていないが、それでもマシなことが分かる。まず、構成が美しい。動物の配置が安定しているし、動物のスケールがそこそこ正確だ。
プライス氏の屏風は、鳳凰も鶏も同じような大きさだったりして、何が何だか分からない。
そして静岡のは、おしどりがやたらに沢山いて、若冲の神経症的な面と装飾的な部分が表れているが、プライス氏のには若冲的なものがいっさい見えない。それが致命的だ。
ただ、若冲には、石灯籠を、印象派もびっくりの点描で描いた不思議な絵があるが、これがまたヘタなのだ。
描法と共に、なぜこんなヘタなのかが謎の図である。
私は石灯籠図の実物を見たことがあるが、若冲はこうした、珍奇な描法を試す時にはヘタになってしまう、と言えないこともないとも思う。
ただ、石灯籠図屏風は、下手なりに構図が日本画の形良さに準じたきちんとしたきれいな構成であり、灯籠に虫食い(?)穴が開いていたり、苔で汚れていたりするあたりに、若冲ぽさが漂っている。
プライス氏の屏風は、モザイク画である、という以外には若冲ぽさがまったくないばかりか、若冲らしくない特徴ばかりが目立つのだ。
若冲の絵は、いっけん、法則性が何もないまま隙間なく事物で埋められているように見えるが、少しでも彼の絵を見たことのある人なら、それが彼なりの整然とした構成によっていることが分かるだろう。
「百犬図」という、犬をアトランダムに並べた図を見れば分かると思うが、若冲の画面の埋め方には、やはりリズムがある。
それは画家の鍛錬によるものというより、センスというか、感というか、先天的な能力、またはクセだと思う。
そういう、絵を描く時のクセは、意識せずに描いた絵に滲み出たり、表れるものだと考えられないだろうか。
とすると、若冲のどんな不味い絵にもそのセンスはたくまざるして表れる、と考えても良いかと思う。
であるとするなら、プライス氏の屏風にそれが感じられないということは、あの図は残念ながら若冲ではないと言えるのではないだろうか。
若冲は、兎にも角にも空間の画家である。
空間を埋めるにせよ、空けるにせよ、空間をデザインした画家であることは間違いない。
それなのに、空間に対してまったく配慮していない、だらけた配置のプライス氏の屏風が、若冲作だとは納得が出来ないのだ。
私は、若冲のモザイク画はあまり好きではない。
現在の若冲人気は多分、あのモザイク画によることが大きいとは思う。
モザイクを描いたからこそ、若者に人気があるのだろう。それが奇想であり、あんなモダンなものを日本人が描いたのか、という驚きのためだ。
あの絵がヘタであることが、もしかしたらかえって人気の秘密なのかもしれない。あんな突飛な絵で、しかもヘタっぴだから、親しみが沸くのかもしれない。
私は、あの絵が若冲の絵ではないと証明される方が嬉しい。今の浮ついた若冲人気がなくなるかと思えば。
では、もし、「鳥獣花木図屏風」が若冲の作ではないなら、誰が描いたものだろうか。
おそらく、静岡の若冲本人によるらしいモザイク画の方を真似て誰かが描いたのだろう。
静岡の図だけではなく、おそらく狩野派や、他の日本画なども参考にしているだろう。
ただし、参考にして図柄をただ並べているだけだ。
鳳凰の絵柄がぎこちないので、おそらく鳳凰という日本画の概念をあまり理解出来なかったとも考えられる。
想像上の動物もあるようだが、日本画ではあまり見たことのない動物のモチーフが見られる。
ということから総合して、これは若冲や、狩野派などの絵を見て、それを参考にして見様見真似で外国人が描いたもの、のように思える。
外国人。それは誰か。
そう、それはプライス氏その人である!
実は「鳥獣花木図屏風」は、ジョー・プライス氏その人が描いたのであった!
お粗末。
*静岡県立の絵は、下絵を若冲が描き、若冲の工房の弟子たちが絵の具を塗り、仕上げたと言われている。