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百舌鳥・古市古墳群

2018/2/2up

 

百舌鳥・古市古墳群(もずふるいちこふんぐん)のニュースもだいぶ前のことになってしまった。





百舌鳥・古市古墳群が世界遺産の登録に推薦された…のでいいのだろう…。




大阪・堺市にある巨大古墳群。

世界でも類を見ない巨大さで、本来ならとっくに登録されていても不思議ではない古墳群であると思っている。



ただ、あれらの古墳群は天皇陵に指定されていて、天皇の墓であるとされているので宮内庁の管轄で、
内部に入ることが出来ない。

たとえ指定されても観光客が内部を見学、というわけにいかない。


要するに天皇家のお墓であるのでタブー視されていた。

そこがネックで動くことが出来なかった。


ということではないかと思っている。



*************




考古学にまったく興味のなかった私が大学生の時、考古学概論を選択科目にしたのは単に学芸員資格を取るため
という目的で、いろいろあって教員資格を取る代わりに学芸員資格を取ることにしたからだ。



考古学概論は大教室で行われる、別にゼミの講義ではないから、絶対出なくてはいけないという縛りもなく、
出たくなければ出席しなくてもいい。

テストを受けるかレポートを出すかして、単位さえ取れればいいという大教室の講義。



そういう単位を取るためだけに集まって来る連中を相手に大教室の机で講義をされていたのが、
考古学教授の故・森浩一氏であった。




興味はなくとも単位取得のために一度くらいは出席しておかなくてはならないだろう。


それで教室の末席に着席して遠い所から森教授の話を聞いていたら、どういうわけか考古学が面白くなって来て、
毎週楽しみに、欠かさず通うようになってしまった。


はっきり言って、自分のセンモンの教授たちのゼミの講義より、森教授の講義の方が断然面白かった。



真面目な専門の話もするが、小説家の誰それとあそこへ行ってこういう話をした、
と脱線も多く、有名人と付き合いの多かった氏らしい話もしていたが、
それでも何と言っても何の興味も持っていないいい加減な学生たちに考古学が面白いと思わせる、その話のうまさに驚嘆した。




卑弥呼の邪馬台国、天皇陵古墳、三角縁神獣鏡、みんな面白かったが、


仁徳天皇陵、


あれは実は仁徳天皇陵ではない、

と言い出された時には一番びっくりした。





森教授は徹底した現地主義で、発掘調査に携わっているバリバリの発掘考古学者。


とにかく本を読んだり教室で話を聞くよりまず現地へ行って、発掘をして、
出て来た土器の破片やらを手に取って、
それを触って体感しなければ考古学をしたとは言えない。

とにかく現地へ行け。

とハッパをかけられた。



それでもこちらは専門外の、考古学をやろうとしているわけでもない完全な部外者。


現地へ行く気もなく、現地と言ったって、どこに現地があるのやら、
発掘といっても土器を手にしてうれしいはずもなく。

専門外だからと現地とやらへはとうとう行かなかった。


レポートを提出する段になって、現地へ行って体験を書く気もないから、
仕方なく森教授の本をいくつか買って、それを参考にレポートを適当にでっち上げた。



採点が帰ってきたら、
意外なことに結構いい点がついている。


あれほど現地現地と言っていた人なのに、本だけ読んで書いたレポートでも点をくれる。



実は案外学生にやさしい人なのかも、なんて思ったが、
参考文献にずらずらと先生の本のタイトルを並べておいたから、
自分の本を読んでくれたことがうれしかったのかもしれない。





そんな森教授が天皇陵に疑問を持っていることをはっきり主張されていたことは今でも強烈に印象に残っている。


彼の主張はいつでも明確だった。

天皇陵古墳を公開して、発掘調査するべきだ。





天皇陵は、明治時代に天皇陵と決められた。

おそらく、明治時代は日本は神国で、天皇は神であって、その神の墓を、神として拝むためだったのだろう…
早急に初代の天皇からの墓を決めた。



初代、つまり架空の天皇の墓まで作った(決めた)。

その墓の選定には、江戸時代の調査結果を参考にしたらしい。
(江戸時代にはちょっぴり調査が行われていたらしい)


それを、天皇陵を決める時、あらたに調査を厳密に行うこともなく、あまり正確でもない江戸時代の調査を
そのまま採用して決めた。


きちんとした調査もなく決めてしまった天皇陵だから、あとからだんだんとおかしい点が分かって来た。





けれども天皇の墓で、宮内庁が管轄しているため、学者は調査を出来ない。


天皇の墓を調査することは、墓荒らしをすることである。

天皇の墓をさわることは許されない。


だから発掘調査は認められない。

宮内庁は一貫してこの姿勢を貫いて来た。






しかし、明治時代に決められた天皇陵に、そのほかに陵墓参考地、というのが選定されている。


誰かの墓であることは確からしいが、誰かが分からない。

もしかしたら、今天皇陵とされている天皇の、本物の墓であるかもしれない。

そういうあやふやな古墳が陵墓参考地として指定されていて、それも宮内庁の管轄になっていて、調査が認められていない。




もし天皇陵が本来名前が付けられている通りの天皇の墓であるなら、
陵墓参考地などというあやふやなものがあるはずがない。


陵墓参考地があるということは、今の指定されている天皇陵が、
その名前の付いた本当の天皇の墓ではない可能性があるからだ。

そうであるかないかは、発掘調査をしてみないと分からない。


だから天皇陵を、1日も早く発掘調査するべきだ。

そして、天皇の本当の墓を指定し、古代の歴史研究に役立てるべきだ。








天皇陵が宮内庁の管轄であるため、考古学者が内部調査を出来ないことを憤っておられた。


純粋な学問的な見地から、心から天皇陵の調査発掘を望んでおられた。




そして、天皇陵の名前は、仁徳天皇陵なら、その土地の名前をとって、大山古墳(だいせんこふん)と呼ぶべき、
と主張されていた。

少なくとも仁徳天皇陵古墳とするべきだと言われていた。


それが仁徳天皇の墓であるかは、調査されていないのだから、決めつけられない。

決めつけられないのに、仁徳天皇陵と呼ぶのは間違っている…





もちろん巨大な墓であるから、誰か、古代の権力者の墓であることは間違いないだろう。


誰かの天皇の墓であることには間違いないだろう。

けれどもそれが調査されていない以上、仁徳天皇とは言い切れない、
はずだ。



現在、仁徳天皇陵は大山古墳と呼ばれている。

注釈として伝・仁徳天皇陵とか、仁徳天皇陵古墳というふうに呼びならわされているようだ。


森浩一教授のあのころの主張が、今、生かされているのだと思う。






天皇陵を発掘調査することは、天皇の墓を荒らすことではないと思う。

発掘し調査をすることで、その墓の主の実態を知り、その時代がどのような文化を持ち、
墓の主が当時、その時代においてどのような存在であったかを知ることが出来る。



それは墓を荒らすことではなく、墓の主のことを正確に知るため、
その上で主がどれだけ重要な人物であったかを把握するためで、
決して冒涜する行為ではないと、私は思うのだ…




もし我々が先祖の墓を暴かれたりしたら、確かにいやだし、そんなことをしてはいけないと思うだろうが、
天皇は日本の歴史の形成に関わって来た特別な存在だ。


特別だからこそ、
一般人と同じような考えで天皇の墓を考えるのではなく、
日本の歴史をつなげて来た歴史の研究に欠かせないものとして、
その墓は資料として公開・調査することは必要なことではないだろうか。


それは日本の歴史研究の発展に必要なことで、墓を荒らすことにはならないと思うのだ…。




日本の古代の歴史研究がいつまでも進まないのは、天皇陵という、触れてはならないタブーがあるからだ。


森浩一教授の希望が叶うことを、今も私は願っている。





百舌鳥古市古墳群がもし世界遺産に登録されたとしても、観光客は決して中へは入れないのだ。

見学は出来ないのだ。

周濠の外からこんもりした小山を眺めるだけだ。



堺市はその経済効果を発表して意気揚々としているが…、果たしてそれで観光客が満足するだろうか。



森浩一著作集(第5巻) 天皇陵への疑惑 [ 森浩一 ]


3024円

森浩一教授は著作も多いが本は当然ながらセンモン的なことが書いてあるので、 肉声の方が圧倒的に面白かった。
ただ、いたすけ古墳などのマイナーなところから攻めていくのがかっこいい




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あともうひとつ、公開しない理由を個人的に推測していることがあって、少し書いたけれど、差支えがあるかと思い削除した…。


ちょっとだけ言うと、確か桓武天皇も母が百済系だったというようなかすかな記憶が…



古代日本において、大陸・半島とのつながりは切っても切れない。

どうしようもないことで、今さらどうなることでもないと思うのだけれども…


 2017/8/26

 

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