印象派はなぜ日本で人気があるか
2018/10/28(11/26訂正)
依然として日本では印象派・後期印象派の人気が高い。
日本でだけ、突出して人気があるのかどうかは知らない。
ただ日本での認知度、浸透度、人気具合は、西洋絵画の中でも抜け出ていると思う。
なぜ日本では、印象派の人気が高いのだろうか。
それはずばり、分かりやすいからだ。
絵の画面をただ見ただけで、分かる。
絵に描かれている対象、光の具合や、構図を見るだけで理解出来るからだ。
描かれている対象は、どの国にも共通する、一目で分かる、
人物像であったり、静物であったり、風景であったり、建物であったりだ。
絵の具の盛り上がり具合や、筆づかいなどが、画家の描かれた当時の内面をそのまま表しているようで、
画家の絵に対する向き合い方まで、分かってしまう。
誰にでも分かりやすい。
それが印象派・後期印象派のよい部分であり、特徴だと思う。
しかし西欧絵画の長い歴史において、印象派は、近代になってからの、ごくわずかの期間の絵画運動であり、歴史的には短い。
そのわずかの期間で、長いそれまでの西欧絵画の伝統を破壊し、革新した。
それが革命的であり、絵画の概念を覆すほどだったので、西欧人にとっては大きな衝撃で、ある者は拒絶反応を示し、
ある者は革新的だとして騒ぎ、騒がれた結果として、有名になっていった。
翻って、ちょうど明治維新で新しい時代を迎えていた日本で、すぐれた文明だとする西欧文化を取り入れるようになり、
またパリ万博などで西欧文明が雪崩の如く日本に流入して来た。
その時、西欧文化の代表として、印象派絵画も日本人にとって分かりやすい絵画であったので、
受け入れられたものと思われる。
多くの財産家が西欧絵画の中でも、印象派絵画を買い求めた。
だが印象派をそこまで評価するには、それまでの西欧絵画を知らなければ、実のところは何も分からないと思う。
それまでの西欧絵画は、日本画と同じく、「神」を描くものだった。
日本絵画が寺で需要があったのと同じように、西欧でもまず、教会から絵画が発展した。
(カトリックは偶像崇拝である。
日本人はそれほど深い考えはなく、神は何にでも宿るものだから、自由な発想で描かれた)
絵画はまず神の姿を描くものであった。
神を描くことから、絵画は始まった。
それは教会へ出向く人々のために描かれたものだった。
聖書の世界を主に庶民や、文盲の者に解くために描かれた。
西欧人なら、誰でも知る旧約・新約の絵解きとして描かれた。
だから西欧人なら誰にも理解出来ることが、聖書を知らない日本人には観念的で、聖書の知識がなければ、逆に理解出来なかった。
ルネサンスやそれ以降、バロックなどが日本ではあまり受け入れられなかったのは、(または無視されたのは)
明治の時代もあると思うが、意味のある絵画の、その意味を知ることが出来なかったためだと思う。
印象派は、神の絵画であることをやめ、題材を庶民的なものに取った。
むろんクワトロチェントの時代から、庶民的な題材は山ほどあった。
しかし庶民的であればあるほど、画家の個性は埋没し、
風俗を描くのみに堕していった傾向もあり、それがために印象派ほどは知られていない。
ルネサンス時代でも、すぐれた庶民絵画(宗教や神話を題材にしていないもの)は、印象派と同様に現在でも世界中で人気がある。
日本でも人気はある。
宗教と切り離して見ることの出来る絵画ほど、世界的な人気を博す。
レオナルドの肖像画やフェルメールなど、何が描かれているかが分かりやすいものは人気が出る。
宗教と切り離して鑑賞出来る絵画ほど、日本では人気が出る。
印象派が日本人に突出して人気があるのも、それ以前の中世からの絵画が、聖書の知識を必要とするのに対し、
その知識が何もなくても見ることが出来るからだった。
ヨーロッパの歴史を知らなくても、理解出来る。
絵画の技法、構図や筆さばき、絵の具の使い方、色使い、などを楽しむだけでよい。
絵画至上主義、純粋絵画主義、それが印象派なのだと思う。
たいして、宗教絵画は、バロックや古典主義に至るまで、そのバックグラウンドを知らなければ、理解出来ない。
日本人は思ったほど聖書には詳しくないのだろう。
その上、カトリックでは、殉教聖人の絵が一つのジャンルだった。
ジョットのころから聖人絵画はさかんに描かれて来て、人気聖人の絵は人々の守護の役割もあり、好評を博し、さかんに描かれていた。
聖カタリナ、聖アントニウス、聖フランチェスコ、聖ヒエロニムス、聖セバスティアヌス、等々、
人気聖人の絵は画家たちの重要な画題のひとつだった。
その上、バロック以降になると、カトリックの反宗教改革のため、もっとマイナーな聖人にまで範囲が広がったような気がする。
聖書は翻訳されているので、ある程度、知識も持てるが、
殉教聖人までになると、カトリックの教義を知る、カトリック教徒でなければ、詳しく理解は出来ないだろう。
反宗教改革によって、宗教絵画はますますマニアック?になり、表現もオーパーになり、暗喩も多くなってゆく。
高い教義の知識がなければ理解出来なくなった。
ゆえに日本では聖人の絵画は理解しにくく、あまり高く評価されていなかったのではないだろうか。
******
1960年ころまでは、日本では、西欧絵画といえば印象派のことだった…と思う。
少なくとも西欧絵画の代名詞であった。
けれども、1970年代になって、庶民への海外旅行の渡航手続きが緩和され、
誰でも容易に海外旅行をすることが出来る時代になり、日本人がヨーロッパへ行く機会も増えた。
(60年代では、個人の海外旅行はまだ制限されていたのだ)
そこで現地で日本人が観光するうち、有名な美術館が観光地となっているので、
その中で、印象派以外の絵画が、数倍(何十倍)もあることに気づき、
また観光地の教会へ入ると、膨大な宗教絵画を目にし、印象派以外の絵に触れることで、
宗教絵画にも優れた表現や理解の出来るものがあることに、日本人が気づき始めた。
70年代に、西欧絵画を歴史的に俯瞰する画集がシリーズとして刊行され始めたのも、
海外旅行が緩和され、日本人が印象派以外の絵画を目にすることが頻繁になったせいだろう。
(と解釈している)
ルネサンス期前、以降の宗教絵画でも、普遍的に感銘を受けるすぐれた絵画がいくつもあったからだ。
それでも、依然として印象派が最も受けがいいのは、
バロック以前の西欧画が紹介されるようになっても、そのバックグラウンドである聖書の世界の知識がないと、100%の理解はできにくく、
面白さを感じ取ることがなかなか出来ないからではないだろうか。
普通の日本人なら、生活レベルで聖書の逸話を知ろうとはしないだろう。
(逆に言えば、簡単な聖書の知識さえあれば、たちまち面白く感じられるのだが)
しかし普通の生活をしているうえでは、カトリックを知る必要もないので、理解しにくいので敬遠される。
そのため知識を必要としない、ぱっと見て分かりやすい印象派に、まず、人気が集まるのだと思う。
また印象派が、西欧の伝統から脱却するため、日本の浮世絵に影響を受けたことも、
日本人の心をくすぐるのではないだろうか。
…というわけで、日本人が印象派を好きな理由を独断で書いてみた。