橋口五葉

改訂版

2008/1月のブログに書いた文章の改訂版。

08/3/26

 

橋口五葉という名前は、夏目漱石の本の挿絵や装丁で知っていた。

「我輩は猫である」の装丁や、「倫敦塔」の挿絵などを担当している。

多分明治時代に活躍した挿絵画家だろうという程の認識だったが、漱石好きならごく自然に覚えてしまう名前であり、漱石好きには外せない名前でもある。

「我輩は猫」の挿絵の方は中村不折という人で、この人の挿絵も面白くて楽しく、物語の絶妙なアクセントになっていて、漱石好きにはお馴染みの画家だ。

漱石のまわりには、このような、作家や小説家だけでなく、当時の最先端の画家や工芸家が集い、交流し、文芸とか、芸術の潮流を作り上げていたのだと思う。

 

教育テレビで橋口五葉の特集をしていたのが、何気なく面白かった。

五葉の装丁の仕事を改めて見れば、当時の流行のアール・ヌーヴォー調であるように思う。

日本の草花の文様は、そのままアール・ヌーヴォーにも通じる華やかな装飾性があり、漱石の本は、当時としては、そのように装丁に凝っていて、手間暇かけた、豊かな装飾の、高級な工芸品でもあった。

橋口五葉はまた、漱石との関係からラファエル前派を吸収し、影響を受けていたということには少し驚きを感じた。

漱石のロンドン留学を契機に、明治の日本ではラファエル前派が少し知られるようになったのだろう。

例えば青木繁の「わたつみのいろこの宮」という作品は、明らかにラファエル前派を思わせる。
同じプレラファエルでもロセッティよりはバーン・ジョーンズの感じだが。

青木繁の「わたつみ」は、画風が硬直しているのであまり人気はない。というより、あまり評価されていないように思う。

青木繁で有名なのは「海の幸」みたいなワイルドなものだろう。

でも私はロマンチックな「わたつみ」が好きだ。まあ、モロに私好みだと言えるからだが。

夏目漱石も「わたつみ」を評価していた。

ただ漱石がラファエル前派を紹介したおかげで日本美術界にそれが広まったというより、ラファエル前派を思わせる「わたつみ」を漱石が気に入った、と言う方が正しいのかもしれない。
(「わたつみ」がラファエル前派に影響を受けているのは確かだ。)

漱石は美術が好きで、美術批評も残している。

ロンドンへ行った時にテイトギャラリーや、ナショナルギャラリー、大英博物館などへ入り浸って、当時の英国の美術をじっくり見たはずだ。

そう言えば「坊ちゃん」にも『ターナーの絵みたような』というフレーズがあった。

ターナーはもちろん英国の風景画家だ。

そんなわけで漱石は美術にも詳しく、橋口五葉はそんな漱石に評価されていた。

それ以外には五葉の業績をよく知らなかったのだが、「日曜美術館」では、版画を使った大正版浮世絵のようなものを五葉が製作していたことを紹介していた。

五葉は装丁作家としてだけでなく、ポスターの美人画、版画による裸婦像でも有名だったのだという。

驚いたのは、版画を作るために製作した膨大(?)な数のスケッチが残っていることで、それは全裸の女性ばかりを描いていることだ。

大正時代だからモデルは日本髪ふうの古風な日本女性ばかりである。

その日本女性が、全裸で五葉のスケッチのモデルを勤めている。

 

画家なのだから裸婦を描いてもおかしくはないのだけど、あの橋口五葉が?という思いもあるし、また、その裸婦が凄いポーズを取っている。

どちらかと言うとラファエル前派というより、クリムトとかシーレみたいな危なさなのだ。
ぎりぎりの危なさだ。

でもぎりぎりではあるけれど、いやらしくはない。ものすごく大真面目だ。ものすごく大真面目に女性の美を追求した人のようだ。
大真面目に、際どいポーズの裸婦を描いている。

上村松園のような女性像であって、媚を売る女性ではない。

女性の顔はとことん美しく、叙情的に描いてある。

女性に対する並々ならぬ関心は感じられる。五葉なりの、理想の女性像を追求しているようにも思われる。

だが、それがかなり散文的なので驚いた。

 

女性のヌードを描いた絵は沢山見たけれど、男性画家が女のヌードを描く時には、たいていが下心が透けて見えている。

クリムトしかり、ポール・デルヴォーしかり。

彼らの絵には、眼の前にいるモデルに対する欲情が、あからさま過ぎるほどに見て取れる。
それがその画家のいやらしさという個性になってもいる。

女の裸を見て興奮しない男性はいるまい。

五葉先生だって、女性の裸の描線を驚くほど冷静に正確に描いているが、女性の裸体を見て、興奮しなかった筈はなかろう。
あまりに冷静なので、とてもそうは感じられないけど。

際どいポーズを淡々と描写することが、五葉先生のそれなりの下心だったのかもしれないと解釈しておくことにする。

 

橋口五葉の裸婦のスケッチは、浮世絵版画のための下絵だった。

浮世絵版画は、印刷が主になった大正時代には既に需要がなかっただろう。

それを、五葉なりに存続させようとしたのは、浮世絵の版画が、彼の女性像を最も良く表現出来ると考えたからだろう。

そしてその目論みの通り、五葉の版画の女性像(裸婦ではない)は、版画の持つ良さを最大限に使って、女性の理想的な肖像を刻むことに成功している。

浮世絵版画に賭けた情熱は素晴らしいと思った。作品の見事さにそれが結実している。

 

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