「ダ・ヴィンチ・コード」と聖ヨハネ、「最後の晩餐」とイエスの教え

05/4/28

だらだらと書いていたら、話がどんどん離れていって、何を書いているのか分からなくなった。それでタイトルをどう付けていいかも困り、だらだらと並列したタイトルにしてしまった。

 

「ダ・ヴィンチ・コード」はでたらめだ、と、読みもせずに書いたらブーイングが来た。…わけがなく、何一つ来なかった。

読んだ人はどう思っているのだろうと思って、グーグルで検索してみたら、「インディ・ジョーンズ」のような作品、アメリカ人らしい作品という、素人らしい人の評があった。
わりと冷静に読まれているようで、ほっと胸を撫で下ろした。

作者が若いアメリカ人だということは知らなかったが、アメリカ人が、ヨーロッパ文化を取り上げようとしたら、このようになるのだと納得した。

ダン・ブラウンの上手な点は、レオナルドを扱って、ベストセラーになるだけのストーリーテリングで、引っ張っていく筆力があったということだろう。
美術史家がレオナルドについて大発見をし、それを世に著したとしても、これほどのベストセラーにはなるまい。

 

これは言わば、アメリカ式のエンターテインメントなのだから、その書かれている内容が事実であれ、嘘であれ、面白い、ということが最大の価値なのであろう。

考えてみれば、レオナルドとか、最後の晩餐とか、テンプル騎士団などの、使い古しというか、誰もが知っているモチーフで新たな謎を組み立てることは、それなりの才能だろう。

日本で言えば、卑弥呼と邪馬台国の謎のような、ある意味、歴史ミステリーの定番なのだ。または、高木彬光の「じんぎすかんの秘密」のようなものか。

レオナルドとか、キリストとかいうのは、外国(特にアメリカ)ではミステリーや謎解きの格好の題材なのに違いない。なぜなら解明されていない謎が多いからだ。

日本の古代史が謎に満ちているために、日本のミステリー作家の多くが、古代史を舞台にミステリーを書きたがるのと同じ道理だ。

 

日本でも時々、「キリストの聖骸布は本物か」などというのが、UFO特集と一緒に放送されたりするが、ああいう類いなのかもしれない。

十年一日のごとき、同じネタでは飽きられるからか、最近ではあの聖骸布はレオナルドが作ったものだ、という流れになっている。
ここでもレオナルドかよ…。
レオナルドとキリスト、というコンビは最強のミステリー・タッグなのかもしれない。

そのうち、あれをネタにダン・ブラウンが何か書くかもしれない。

ひとつだけ言うけれど、レオナルド、或いは絵を好きな者なら、当然ダ・ヴィンチではなく、必ずレオナルドと書くはずだ。ダ・ヴィンチと書くと、とてもぶしつけな気がして気になる。ヴィンチ村の…というのは、名前でもなんでもないのだから。

***

 

ところで、もう一度、「最後の晩餐」におけるキリストの弟子、ヨハネについて書いておこう。

ひつこい、と思われるだろうが、こうなりゃ意地だ。

 

まず、美術を好きな人なら誰でも知っていることだけれども、レオナルド以前の画家が書いた「最後の晩餐」では、裏切り者とされるユダが、テーブルの前面に一人ぽつん、といる、という構図になっている。

よくレオナルドとセットで紹介される、ギルランダイオとカスターニョによる「最後の晩餐」では、それぞれそのように描かれている。

 

「最後の晩餐」を描く時には、中世のころからの決まりごとがあり、ユダは裏切り者であるから、目立つように描く、という暗黙の画家たちの了解があった。

「最後の晩餐」は、ユダが裏切り者だということをイエスが宣言する場面である。だから、そのような図柄になったのだ。
レオナルドも、下絵の段階ではユダをテーブルの前面に一人だけ置く、という構図で描いている。

本画の壁画を描くにあたってその決まりを廃し、ユダがどこにいるのか、ひと目では分からないという、リアルな場面作りをレオナルドがしたのは、よく知られていることである。

 

レオナルドの下絵段階ではまた、弟子ヨハネはイエスの横で突っ伏しているという図柄になっている。

これは、カスターニョの壁画と同じ図像である。

 

この前のエッセイで、ヨハネは一番若く、少年として描くのが決まりだった、という風に書いたが、同時にヨハネは、「最後の晩餐」の図像の中ではイエスのすぐ横にいることが決まりだった。
これは、ユダを手前に置く、というのと同じような決まりごとだったのだ。

なぜなら、ヨハネはイエスにもっとも愛された弟子であり(ヨハネ伝)、最後の晩餐の時には、イエスのとなりにいた、とヨハネ伝に書かれているからである。

だから、ヨハネは必ずイエスの横に置く、というのが中世以降の画家たちの決まりになった。

 

ヨハネが突っ伏して寝ている、という図像は、ヨハネ伝の、ヨハネがイエスの胸によりかかって…、という描写と、最後の晩餐のあと、ゲッセマネの園でペテロ、ヤコブ、ヨハネが、イエスがお祈りをしている間、眠りこけていた、という聖書の記事をごっちゃにして解釈したからではないかと私は思っている。

そういうわけで、「最後の晩餐」でのヨハネは、イエスのとなりにいて、突っ伏して眠っている、というのが、聖画でのスタンダードなパターンであった。

そのほかにイエスの胸にもたれて眠っているヨハネを描いた「最後の晩餐」の図もある。さきほど言った、ギルランダイオのものがそうだ。

ヨハネ伝で、ヨハネがイエスの胸にもたれて(!)、裏切り者は誰か、と聞く場面があるからだ。

つまり、イエスが、晩餐のさなかに、この中に裏切り者がいる、とぶちまける。するとペテロが、イエスの横にいたヨハネに、「イエス様が仰った裏切り者とは誰のことか、聞いてくれ」と尋ねる。
ヨハネはイエスにもたれかかって、「主よ、誰のことですか」と聞くのである。

 

レオナルドが描いたのは、ペテロがヨハネに尋ねた、まさにその瞬間である。

ペテロは、通常、図像としては老人の姿で描かれる。なぜか、画家たちにとっては、ペテロはイエスよりも年寄りの老人と解釈されており、それが継承されている。


ここから、レオナルドの「最後の晩餐」の場面を見て行こう。

ペテロがイエスの横にいたヨハネの肩を叩き、今仰った裏切り者とは誰かを聞いてくれ、とヨハネに言っている。
だから、ヨハネはイエスの胸から身を引き離している。

熱くなったペテロの右手には、ナイフが握られている。

なぜなら、ペテロは気が短く、すぐに熱くなると解釈されていたからだ。
(それは、イエスの逮捕の時の、聖書の描写による。ペテロは、イエスを逮捕しようとするローマ兵士の耳を切り落とした)

 

そのペテロのすぐそばで、テーブルに右腕をついているのがユダその人だ。

彼はイエスの言葉に、内心では非常に動揺しながらも、うわべでは冷静をとりつくろおうとしている、そんな形だ。

レオナルドが、ユダをテーブルの内側に置いたのは、その不自然さをなくすためであり、自然な、「最後の晩餐」という緊迫したドラマを構築したかっただからだろう。

 

つまり、レオナルドの「最後の晩餐」では、ヨハネとペテロとユダという、最後の晩餐における重要人物たちがひとつのグループにまとめられていて、そのことにより、より緊迫したドラマを作り上げているのである。

*12弟子たちを、3人ごとの4つのグループにまとめている、というのはレオナルド「最後の晩餐」鑑賞における基本だ。

もう一度言うと、ヨハネとペテロとユダという、イエスの三人の弟子は、「最後の晩餐」というドラマにおいては、欠かすことの出来ない重要人物たちなのだ。

イエスが主役とすれば、きわめて重要な副主人公たち、と言えるだろう。

「忠臣蔵」に例えるとすれば(例えられるのか)、ヨハネは浅野内匠頭の役割に相当すると言ってもよい(ホントか)。
「三国志」で言えば趙雲とか、周瑜クラスだ(ホントか)。

イエスと、彼を巡る三人の弟子たちの心理のせめぎ合いが、「最後の晩餐」という絵の、重要な要素になっているのだ。

 

もし、このヨハネとされる人物が実はヨハネではなく、女性だったとして、それならばヨハネはどこへ行ったのか。

これほど重要な人物をレオナルドは描かずに、その代わりに女性を描いたとするのは、何とも無理な、子供のような自分勝手な、我侭な解釈だと言わざるを得ない。
というよりも、見た目が女性的だということだけが要因の単なる思いつき、としか言えないだろう。

「最後の晩餐」というテーマ自体が無効になってしまうのであり、「最後の晩餐」を描く理由が、そもそもなくなってしまう。

 

レオナルドの「最後の晩餐」は、ユダが裏切り者である、ということを告発したいがためのものではない。
そう言ったことによって、弟子たちが大騒ぎをし、混乱する中で、ものごとのうわべだけに終始する人々の間で、ひとり孤独であるイエスという人物の、底知れない悲しみを描きたかった。
そういうことではないのだろうか。

彼の愛する(とされている)ヨハネでさえ、彼の胸から身を引き剥がし、彼の孤独を知る由もないのだ。

そこに分からないように女性を潜ませたり、何らかの暗号を付したり、暗示したりするような必要性はどこにも、ない。

*

 

ここから、ちょっと雑談めいた、聖書の解釈をしてみる。

 

イエスにとって、誰が裏切り者であるかを告発し糾弾することは、目的だったのではない。

 

イエスの弟子たちは、殆どが文盲(であると思われる)の、農民や漁民といった、教養のない労働者である。教養はないが、純朴だった。イエスは、そんな彼らの純朴さを愛した。
貧しい労働者たちは二重の重税にあえぎ、神への高価な貢物をしなければ天国に入れない、と、ユダヤの指導者たち(パリサイ人)に教えられたとおりのことを信じていた。

イエスは、そんな彼らに、貧しいからこそあなたがたは天国に行けるのだと言った。高い貢物さえすれば天国へ行けるのではない。神を信じ、愛することで天国へ行けるのだと説いた。
それがゆえに、貧しい者たち、社会からはみ出た者たち、社会から相手にされなかった(病人など)者たちがイエスに従った。
彼らは、純粋にイエスを愛した。けれども、彼らは無教養であった。

彼ら(イエスに従った者たち、弟子たちも含む)がイエスに求めたのは、奇跡によって病気を治してくれるような現世利益であり、ローマからの独立を実現してくれる政治的リーダーとしての役割であり、要するに、貧しい生活からの脱却であった。

イエスが説いたのは、そのようなことではなかった。ユダヤ人が貧しく、独立が不可能であるからこそ、それら現世的なものを求めるのではなく、むしろ心を豊かにしなさい、ということであった。
けれども、そのようなイエスの教えは、弟子にさえ理解できるものではなかった。

イエスは孤独だった。

盲目的に彼について来る民衆や弟子たちを、愛してはいるが、彼らに理解してもらえない苦しみを抱えていた。彼らはイエスを愛してはいるが、理解していなかった。

 

ペテロは、イエスが最後の晩餐で、裏切り者がいる、と告白した時に、私は死んでも主を裏切りません、と言った。
イエスは、あなたは鶏が鳴くまでに(世が明けるまでに)3度私を知らないと言うだろう、と言う。

ゲッセマネの園で、祈りを捧げたあと、眠りこけている弟子たちを見て、イエスは私が祈っているほんの短い間でさえ、起きていることが出来ないのか、と歎息する。

イエスは弟子たちを見限っていたのではない。彼らがごく普通の善良な人間であることを知っていた。だからこそ、彼らの弱さをも理解していた。人は、弱いものなのだと。
だからこそ、彼らが自分を理解出来なくとも、彼らのことを愛したのだ。

*

 

レオナルドの「最後の晩餐」を見ていると、これら、聖書の文句が自然と思い浮かんで来る。

レオナルドは、「最後の晩餐」の、この一枚の画面の中に、イエスのこの孤独、どれだけ愛していても、弟子たち(民衆)との間にある埋め難いギャップ、自分が、とうとう彼らに理解してもらえなかった悲しみ、などを凝縮して描いたように、私には思われる。
ここには、福音書に描かれてあるすべての物語が、人間ドラマとして凝縮されているように思える。

そうして、そのために、この絵を見て感動するのである。

 

さらに言えば、キリスト教とは、この、イエス(の教え)を理解することが出来ず、(弟子たちが)イエスを見殺しにしてしまった、というところから始まる。

イエスがその教えのために死んだことによって、弟子たちは目覚めた。

イエスが死をも厭わずに彼らを愛し抜いたことが、彼らを変えた。弟子たちは、イエスの死によって初めて目覚め、以降、イエスの教えを広め、そして、そのために師よりもひどい迫害にあい、それを甘受し殉教するほどの、激烈なキリスト者となってゆく。

一粒の麦がもし死ななければ…。イエスは文字通り、死ぬことによって、その教えを広めたのだ。

イエスの苦しみや、悲しみが、だから無駄ではなかった、と、ボンクラな弟子たちだったが、彼らはいずれ、師の教えを悟り、全世界に師の教えを広めるだろう。

だからレオナルドの絵の、イエスのはるか後ろには、明るい陽が射しているように見える。

*

 

レオナルドは、聖書に描かれた「最後の晩餐」の場面を、忠実に絵にした。これまでの画家が誰も描かなかったほどの忠実さで。

その「最後の晩餐」そのものが、歴史的事実かどうかとは関係なく。

絵画の真実とはそういうものだろう。

イエスのころのユダヤ人の食事では、テーブルがなかったという説もある。

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