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仏像を見るということ

2018/2/2up

 

仏像は、本来はお寺のお堂に安置され、それを拝むために作られたものだから、

実際のお寺へ行って、その本堂へ行き、そこでありがたく拝む、というのが正しい仏像のあり方だとは分かっている。


けれども私は罰当たりな無信心な薄情者、なので仏像を作品として鑑賞する、見たいという願望が大きい。


人々に拝んでもらうために、仏師が心を込めて作られたよく出来た仏像は、鑑賞にも耐えられる芸術作品でもあると思うからだ。




仏像を見る時、いつもこの信仰する(拝む)ということと、鑑賞するということのはざまで悩むことになる。


つまり仏像のもっともよい見方は、本来、安置されているお寺で見るのが最もよかろう。

人々が信仰して来た仏のあり方として見るのが最もよい見方だろう。

そこで、まつられているのを見るのが、鑑賞としても最もよい見方だろう。





ところが、本尊でなく脇侍の場合、時々お寺そのものではあまりよく見えないということがある。


お寺ではあくまで本尊が主役なので、脇侍は当然ながら脇役扱いで、したがって本尊の端っこに見えにくく置いてある。

あくまで主役を立てるために目立たないように置いてある。

しかしその脇侍が実はすごい仏像だったりすることがある。



東寺の五大明王などは、後ろにある明王たちはよく見えない。

後ろの方にあるから、しかも暗いし、よく見えないのだ。

でも見えないけれどそれで意味のある置き方をしているのだからしょうがない。


そういう脇侍を本当はじっくり見てみたい。

お寺へ行ってもよく見えないから、よく見えるところで、まじまじと隅々まで見てみたい。


そういう欲望にかられることがある。





あるいは、これがもっとも重大なことだが、

たとえお寺にもともとそこにあった仏像が今もあったとしても、その仏像が文化財に指定されている場合、
それがかなりの数がある場合、お寺本堂とは別に収蔵庫なり宝蔵館なりを作り、
そこで文化財として劣化しないように保存しておかなくてはならない。


お寺なのに、本来あったとおりのお堂に祀るのではなく、収蔵館に展示して公開している、
これは展覧会や博物館の展示とほとんど同じ状態だ。



お寺にある仏像を拝みに行くのに、本来のお堂で拝むのではなく、文化財として展示されている仏像を見る、
という行為になってしまう。



こうなるとお寺へ行っても拝むというより鑑賞することの方が優先されることになる。


お寺へ行っても本来の拝むという行為がむつかしくなっているのだ。



六波羅蜜寺や千本釈迦堂の宝蔵館へ行っても、空也上人像が本来どのような形でどのお寺にあり、
どのように拝まれていたか、

千本釈迦堂の六観音が本来はどのような安置のされ方をしていたか、

そこへ行って、それらを見てももう、知りようがないのだ。

興福寺の国宝館でも、阿修羅像は作品として展示されていて、そこは博物館と何ら変わりがない。


六波羅蜜寺には平清盛像や伝運慶像もあり、それらになると果たしてもう仏像と言えるのか、
拝む対象だったのか、

そして鎌倉時代はすでに作家が自己の表現として作品を作っていた、という気もする…。


ということは、それらは、我々は作家の作った作品として、鑑賞物として見てもよいのではないかという気にもなったりする。





結論としては、多分本来はこうだっただろう、もともとはああだったのだろうと想像しつつ、
その寺に来た由来も想像しつつ、寺の宗派や寺の歴史も俯瞰しつつ、

その上で多分そういうわけでここにあると考えられる限りの想像で思いを馳せながら、

そしてそれを作った仏師の、仏への思いにも馳せながら目の前の仏を鑑賞する…、

ということがもっとも望ましいのではないかと考えた。




そんなの私にはむつかしすぎるぜ…おい…

単純に見るしかないぜ…



というわけで、信仰とは一応切り離し、不誠実にも仏像は見る、という態度を取りたい私。


どこの寺へ行っても拝みもしないし賽銭も入れないのだから…実にけしからない人間だ。

我ながら地獄へ行くであろう。





閑話休題そこでこんどは
このたび運慶展と言うのが開かれる。

東京都国立美術館で開かれる運慶展というのが…
これがかなりすごいのだった。



どうにもこうにもほぼ運慶の代表作ずらりというものすごい展覧会…





展覧会で仏像を見る、果たしてこれはどうなのか。

でももうそういう時代になっているのだ。

そして運慶は立派な芸術家で、その仏像は芸術作品として愛でられている、
そういう了解があるのだ。

阿修羅像もひとつの芸術として我々は愛でている。



かつて和辻哲郎が古都を思いを巡らせながら逍遥して歩いた時から、いや、

フェノロサが救世観音を発見した時から、いずれそれらは見ることに重きを置かれる運命だったのだ。



仏像ももはや作品として愛でられる時代になった。

そういうことではないだろうか。


2017/9/29

 

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