Figure Skating Superstars

再びテレビ放送について 02/3/25

だんだんひどくなって来た世界選手権の放送。その是非を問う!

 

私のところは関西系毎日放送なのでエキジビジョンを見られなかった。
しかしそのエキジビジョンで、驚くべきことが起こったという。


 

TBSの世界選手権の放送について、案の定批判が殺到した。

私は民放の放送はこんなものだろうとサトリを開いていたため、こんなものだろうと少しのうろたえもしなかった。
民放のフィギュアスケートの放送を見るのには、高度の精神の鍛錬と訓練が必要である。
それをしないでいきなり放送を見るのは健康に良くない。
くれぐれもそのことに気をつけなくてはならない。

私はソルトレイクオリンピックの時にテレビを買い換えたが、残念ながらBSデジタルではないので、世界選手権は地上波のTBSでしか見る事が出来なかった。
もしアニシナ組が出場していたら、チューナーを買っていたかもしれない。

それはともかく、こんなことならけちらないでデジタルにすれば良かったと、後悔の臍を噛むほどの放送であったことは、のちのちにも語り継がれなくてはならないだろう。

つくづく思うのだが、もし柔道の世界選手権や、テニスの世界選手権(そんなのがあるのか知らないが)や、スキー、ジャンプの世界選手権などであったなら、こんなふざけた放送は決してしないだろうということだ。

*

 

それは、フィギュアスケートではしばしば、選手がアイドル的な人気者として扱われることに関連しているかもしれない。

日本では、おおむね1年に一度しかない(NHK杯のこと)競技なのに、なぜかファンはその時になるとこぞって先を争ってチケットを取り合い、お目当ての選手に横断幕をはり、花束を投げかける。
演技が終わるといっせいにリンクサイドに駆けつけ、握手をねだる。
その有り様は日本のアイドル歌手や、ロックスターに対する現象と殆ど変わらない。
1年に一度しか会えないアイドルなのに、ファンはそんなブランクなどなかったかのように熱狂的に振舞うのだ。
それが常々不思議なことなのだが…。

それはともかく、フィギュアスケートの選手には、そのようなアイドル的要素がある。

オリンピック放送の人気投票をすると、フィギュアスケートは必ず上位になる。
一番人気があるのは男子シングルである。
これは、女性が多く投票をするからでもあるが、フィギュアの人気が女性ファンに支えられていることを示していると思う。

女性はいつでも美に敏感で、すぐに反応する。女性がフィギュアスケートを好むのは至極自然なことと思う。

フィギュアスケートはスポーツであるけれども、普通のスポーツと決定的に違う点は、美を追求する点にある。このことは否めないと思う。

トリプルジャンプを飛ぶには高度な運動能力が必要だが、ただ飛んでいたのでは駄目で、フィギュアスケートにおいてはそれは美しく飛ばなければならないのだ。
ジャンプの着氷は美しく流れなくてはならない。
手先にまで神経を張り詰めさせて演技をしなくてはならない。

100m走で美しく走れとは言われない。
もちろんトップアスリートの走る姿は美しいだろうが、美しさが目的とはされない。
けれども、フィギュアスケートは、美しさが目的の一つであるのだ。

だからフィギュア選手はどちらかというとスポーツ選手というより、バレエのダンサーとか、演劇の俳優のような存在感を見るものに与える。
見る者はあたかもダンサーのように、俳優のように選手をとらえ、憧れさえする。

このような、スポーツとしては特異な部分が、フィギュアスケートにミーハー気分の人気をもたらしている要素と思う。

*

こうした現象があるものだから、フィギュアスケートをよく知らない民放の番組編成は、フィギュアはゴールデンタイムで視聴率を稼ぐことが出来るかもしれないと誤解するのではないだろうか。

或いは放送権がとても高く、ゴールデンタイムでどうしても視聴率を取らなくてはならないので、無理くりあのようなふざけた○×対決、というような図式で視聴者を煽らなくてはならないのかもしれないが。

ゴールデンタイムの番組は娯楽であって、視聴者にとってはそこに登場する人物たちは、誰であろうと、我々の日常には見かけない、まったく別の世界の珍しい見世物の一種である。

スポーツであれ何であれゴールデンタイムでは、それは、珍しい、興味深い見世物でしかないのだ。
私たちは娯楽としてそれを茶の間で楽しむのである。
そのために、…より楽しく見るために、退屈しないで見るためにショーアップが必要なのだと、恐らく番組編成は考えるのだろう。

他のスポーツなら、野球やサッカー以外でゴールデンタイムに放送されることはあまりないだろう。
フィギュアスケートはゴールデンタイムで放送するに値する娯楽であり、見世物だという判定をいただいているのかもしれないが、そのために、フィギュアスケートもスポーツだという認識が、残念ながら欠落しているのだ。

私はフィギュアを殆どスポーツとしては見ていないと思うので、あのようなショーアップには何も文句を言えないかもしれないが、だが、はっきり言えることは、横でお節介にいろいろ言ってくれなくても、黙ってくれていても、フィギュアスケートは立派な娯楽であり、見世物だと思っているということだ。

ごてごてした余計なお飾りなどなくても、じゅうぶんに素材だけで極上の味わいのフルコースなのだ。
いちいち説明してくれなくてもいい。

私が不本意だと思うのは、あのようなごてごてしたふざけた演出がなければフィギュアスケートが楽しめない、と番組編成に考えられていることだ。

だが…

*

8年前の、94年の幕張での世界選手権の時は、確か同じ放送局系(毎日放送)でエキジビジョンまできちんと放送してくれたし、今回のようないやらしい演出もなく、真っ当なスポーツ放送だった。

(毎日放送で)エキジビジョンがカットされたということは、あのころから比べて、フィギュアスケートの人気が下降して来て視聴率が取れなくなったからだろうか。
また今回のようなふざけた演出がなされたのは、そうでもしないと以前のような視聴率が取れなくなったからだろうか。

以前に比べて、フィギュアスケートは、人気が出ているのか?それとも下降しているのか?
疑問はいろいろある。

なぜ、フィギュアスケート中継がこのようなふざけたものになってしまったのか。
だんだんひどくなって来て、見るに耐えないものになってしまったのか。
世界選手権という、選手にとっては真剣で、大事な競技大会がこのような扱いをされていいのだろうか。

疑問は尽きない。

 

しかし、一つの推論がある。

8年前からするとテレビ放送の形態は大きく変わって来た。

デジタル放送が参入し、衛星放送も分野別に専門化しているようだ(?)。

それに伴ってテレビを見る側も、より専門的に細分化され、マニアックに楽しみたい人は、そのような専門のテレビチャンネルを選択するということを、だんだん取り入れるようになって来た。

テレビを見る側のニーズが細分化され、好みが細かく分かれて来たことにより、地上波ではフォロー出来なくなった部分を衛星放送なり、デジタル放送が補助する、という形がオーディナルになりつつあるのだ。

そのことが、逆に地上波放送を卑小で劣悪なものにしてしまうという悪影響も出て来てしまっている。
それが、今回のフィギュアスケートの世界選手権に象徴的に現れてしまったのだと思う。

 

地上波の民放はタダである。
だから、放送される番組に対して、見る側は文句の言いようがない。
タダで見せてもらうのだから文句を言うなという態度が各民放にある。

今後デジタルなり衛星放送なりがますます専門化されるに従って、地上波の民放は、場当たり的な、刹那的な、その時間帯の視聴率が取れればいいと言うだけの、どぎついエンターテインメント*に傾斜して行くのではないだろうか。

*元来エンターテインメントとは、優れた娯楽のことを言うのだと思うのだが…。

茶の間で気楽に地上波の民放を楽しむ人々が望むのは、退屈凌ぎであり、その場しのぎの面白おかしい画像の垂れ流しに過ぎない。
視聴者が求めているのは、よりどぎつい刺激である。
刺激的でさえあれば、いっときの退屈をしのげるのであれば、何でもよいのだ。

もし真剣に、真面目にテレビを見たいというのならば、NHKなり、デジタル放送なりを、お金を出して見ればいいのだ。

…少なくともテレビ局の番組編成は、そのように視聴者をなめて考えているのだと思う。

*

誰かが、見たい番組はお金で買う時代、と言った。

確かに、視聴率を取るために、番組にどぎつさと刺激をプラスすることしか考えていない地上波放送は、コアなものを求めるこだわり派には向いていない。
本当に見たいというなら、努力をしないといけないのだ。

フィギュアスケートを見るのに一番理想的なのは、世界選手権の行なわれる長野(あるいは、余所の国の都市)に1週間泊りがけで出かけ、チケットをすべて取り、ホテルに泊まって毎日スケート会場へ行くことだ。
そこまで努力すれば、満足のいく見方が出来るだろう。

そこまでコアでないならば、デジタル放送か、スカパーを導入することだ。

タダで世界選手権を見ようなどというのは、もはや卑しい考えなのだ。
タダで楽して見たいのならば、あのようなどぎついふざけた放送で我慢しろ、と各民放は言うのだ。

 

考えてみれば、プロ野球中継や、サッカー試合でさえ完全に放送されることは少ないではないか。

プロ野球でさえ30分の延長はされるが、それ以上に試合が延びるとよほどの試合でない限りカットされる。
巨人の試合以外はカットされる。消化試合は放送されない。
日本で一番人気のあるスポーツでさえ、このような放送なのだ。

今のところ、日本で唯一、試合が完全に放送でフォローされるのは高校野球だけではないか。

*

 

テレビの放送には時の流行りというものがある。

いっときはお笑いタレントが何かに挑戦する、という感動ドキュメンタリー(?)が流行った。
トーク番組でタレントの喋りをテロップするというのがはやり、定着した。

スポーツ放送の生中継や実況にも流行があるのだ。
テレビ番組のはやりも、いびつなフィギュアスケート中継が行なわれた一因だろう。

去年の世界水泳において、イアン・ソープが泳ぐ時だけ、なぜか古館一郎(字が間違ってる…)が起用され、意味のない実況を続けた。
視聴者は、そもそもあれから変だと感づくべきだったのだろう。

スポーツ放送は、限りなくフィクション化される方向にあるのだ。

 

さて、長野世界フィギュアのエキジビジョン。スルツカヤのアンコールにモーニング娘の曲が流され、彼女はその曲で滑らされたという。
本田選手による3本じめも行なわれたとか。
それはまあいいとして、深夜放送で視聴率をとやかく言わないでも良さそうな時間のエキジビジョン放送だったにも関わらず、スタジオ映像が多かったと聞く。

 

放送局には良心も、倫理も、節度もないらしい。
民放の放送にサトリを開いたはずだったが、どうやらもろくも、そのサトリは崩れ果てた。

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