Figureskating Superstars

最近のアイスダンス Icedancing Programs 06/2/7


最近のアイスダンスについてちょっと証言しておきたくなった。

最近のアイスダンスのみならず、最近のフィギュアスケート自体が、何やら昔と様変わりして来た。

特に今年(2005-2006年シーズン)から新たに設けられた新採点方法によって、選手たちの演技が大きく変わったような気がする。

それはアイスダンスでも同様だ。

新採点方法について、書き記しておこうかと思ったのだが、私自身よく分かっていない。プログラムコンポーネンツとか何とか、煩雑でいけない。
理解が出来たらメモとして書き残しておきたいとは思っているのだが。

 

さて、アイスダンスは、フィギュアスケートの中で私が最も好きな競技だ。だから、いつも一番注目しているし、楽しみにしている競技でもある。

だけども、最近のアイスダンスは、言いたくないことだがつまらなくなった。

以前にここに書いたことがあるが、新採点方法により、競技内容が変わってきたことが原因だと思う。

ツイズル、ストレートラインステップ、なんとかリフト、ペアスピンなど、入れる要素が決まっており、それらを必ず入れなくてはならない。

またリフトして滑る時に(男性が)ストレートで一度、カーブを描くのが一度などと細かい取り決めがあるようだ(リフトの回数も決められている)。

これらの細かい要素を守りながらプログラムを作っていくので、はっきり言うと、どのカップルも同じことをやっているように見える。

決められた要素を演じている間に4分半が過ぎてしまう。
だからどのカップルの演技を見ても、やっていることは同じでただ音楽が違うのみ、のような気がするのだ。

誰がどう演じてもストレートラインステップ、ペアスピン、ツイズル、リフト何回と、同じことばかりだ。こんなにつまらないことはない。

新採点方法で、確かに誰が誰よりどう優れているのかが、明確に分かるようになったのだろう。
きちんと優劣の分かる採点をしないと、誰がどの部分で優れているかが分からない。

けれどもその代わりに、それぞれの選手の演技の個性が殺されてしまったような気がしてならない。

あれほど好きだったアイスダンスの演技を見ていても何となくつまらない、わくわくしない、ましてや震えるほどの感動は、なくなってしまった。

思えば、アニシナ・ペイザラーのソルトレイクの「自由」(正確なタイトルは忘れた)は、アイスダンスが素敵だった時代の、最後の輝きだったのかもしれない。

彼らの演技にはひとつのコンセプトがあり、他の誰ともまったく違う、ユニークなものだった。

それは、競技でありながらひとつの作品でもあった。そして、それを滑る彼らは選手でありながらアーティストでもあった。

 

現在のアイスダンスの選手はみな、選手でしかない。

それは、考えてみたら当然のことなのだが、―フィギュアスケートも優劣を競う競技なのだから―、それでも、アイスダンスの過去の、すばらしい「作品」を思い出すと、アイスダンスはただ単に競技というだけでなく、確かに「作品」でもあった、と思ってしまうのだ。

私は結局、それらの「作品」としてのアイスダンスに憧れ、惹かれ、熱心に見続けて来たのだと思う。

単にステップの優劣を競い、技をどれだけ正確に繰り出せるかだけのものだったのなら、こんなにアイスダンスに入れ込むことはなかった。

 

*-*-*

 

トーヴィル・ディーン組が、アイスダンスの新たな地平を開いたということになっている。

現在行われているアイスダンスの要素などの取り決めは、彼らが開発した技に負うところが大きい。

彼らが登場する以前は、リフトの技は、アイスダンスには相応しくない下品なものとして、敬遠されていたはずだ。
それは専らステップを競う社交ダンスのフィギュアスケート版であった。

ところがイギリスから登場したトーヴィル・ディーン組は、当時アイスダンス王国であったロシアに、正攻法ではとても勝てない、何としても彼らなりの個性のある、独自の方法で対抗しなければ勝てないと考えた。

そこで、彼らはリフトや回転(女性が逆立ちするなど)のアクロバティックな技を多用し、ルールぎりぎりで勝負をかける方向に出た。

そのアクロバティックな技と芸術性が最上にブレンドされた結果がサラエボ・オリンピックでの「ボレロ」であったことは、前に書いた

その結果、ラヴェルの「ボレロ」はアイスダンスの名作として伝説となり、永遠に語り継がれることになった。

旧採点でのアイスダンス選手の誰もが、何かしら「作品」を目指したのは、こういう経緯もあったからなのではないだろうか。

技として高級であり、作品としても人の心に残るものが最良のもの、というあり方である。

 

この「ボレロ」は今にいたるまで、アイスダンス界ではタブーとされていて、この曲を使うカップルは、これまで現れなかった(シングル選手ではプルシェンコなどがいた)。

それは、トーヴィル組のそれがあまりにも素晴らしすぎたから、比較されるのが困るという理由と、もう一つ、偉大なカップル、トーヴィル・ディーンに敬意を表して、彼等の神域を侵すことを、後輩のカップルがよしとしかなったからだと、私は解釈する。

「ボレロ」を使うなんて、トーヴィル組に失礼だから…と。
まさにタブーだ。

 

そのタブーを破るカップルが今年登場した。一組はどこの国か忘れた(タンゴ風にアレンジしたものを使っている)。もう一組は、イスラエルのチャイト・サフノフスキー組である。

テレビの解説では、チャイト組のボレロを、トーヴィル組とはまた違って素晴らしい、などという評価が与えられている。

けれども私は、チャイト組のボレロが、テレビが言うほど優れたものだとは、どうしても思えない。

先ほども言ったように、現在のアイスダンスのカップルが目指しているのは、要素をより正確に決めることであり、決められた時間(4分半)以内にそれらをすべて盛り込んで演技をすることである。

チャイト組がしているのは、いかにその要素をクリアして上手にダンスをするかということであり、そのためにたまたま「ボレロ」という曲を選んだというに過ぎない。
つまり、彼らの演技を見る限り、「ボレロ」という曲を選択した必然性は何もないのだ。

言いかえれば、チャイト組の演技はボレロでなくてもどんな曲でもいい。ただ曲に合わせてステップを刻んでいるだけなのだから。あえてボレロにしなければならなかった演技ではない。

それに比べ、トーヴィル組の「ボレロ」は、まず曲が先にあった。

そしてその曲に合う振り付けを選び、曲のイメージをダンスで表現しようとした。

その曲を表現する情念、曲から紡ぎ出されるストーリーを彼らは演じた。そのために、独自に開発したテクニックを使った。

彼らの技は有機的に曲の音のひとつひとつと結びつき、この曲のこの部分ではこの振り付けでないとならない、というのっぴきならなさがあった。
音がひとつひとつの振りつけを誘発し、彼らの演技と音楽は一体となっていた。

まるで「ボレロ」は、彼らのダンスのためにラヴェルが作曲したのかと思えるほどだった。

それが、「作品」ということなのだと思う。

チャイト組だけでなく、どの組も現在のカップルは同じこと、曲は何でもいい。

ツイズルも、ストレートラインステップもダイアゴナルもやっていることはどの組も同じ。

曲はあとづけで、ただ技を繰り出すために曲を選んでいるだけ。

 

現在、アイスダンスでトップにいるのがロシアのナフカ・カスタマロフ組で、彼らは、ソルトレイク・オリンピックの時には10位だか何だか、そのくらいのところをうろうろしていた。
その後徐々に順位を上げ、現在ではトップの座は揺るぎがない。

私はかれらのことをずっと非難して来た。
しかし、本来、彼らのことを非難する謂れは全然ないのだ。

どこにも欠点がなく、ダンスは美しく、表現も豊かで、何一つくさす部分がない。

でもそれゆえに私には彼らのダンスがつまらなく思えるのだ。

どういうわけか、彼らのどのダンスを見ても心が湧き立つことがなく、ただそつなくやっているなという感想しか出て来ない。

彼らの今期(05-06、オリンピックシーズン)のプログラムは「カルメン」である。

このカルメンも評判が良く、テレビの解説では、今期のナフカ組は「カルメン」でオリンピックに挑みます!と感慨深げだ。

だが、ナフカ組の「カルメン」は、テレビの言うほどに心に残るぶっちぎりのプログラムであるのだろうか。

 

過去、「カルメン」をテーマに滑ったダンス・カップルは何組かいた。

その中で最も印象に残っているのがベステミアノワ・ブキン組のものだ。

ベステミアノワ組は、ちょうどトーヴィル・ディーンと同時期に活躍していたカップルで、そのせいで世界大会でも、オリンピックでもなかなか優勝出来ない、万年二位と言われていたカップルだ。

女性のベステミアノワが大変に恐い顔で、私にはとても恐ろしかった。
だからあまり好きなカップルではなかったが、恐いだけあって(何度も言うなよ…)、表現力が並外れていた。

ベステミアノワの「カルメン」は、ドン・ホセを魅了し、翻弄し、捨てたあげくに刺し殺されてしまう、因果応報の炎のような女であった。彼女はそのようにカルメンを演じ、恐いほどだった(だから何度も…)。
好き嫌いに関係なく、鮮烈な、情念のカルメンだったと言えるだろう。

のちの、クリロワ・オブシアニコフ組も「カルメン」を演じていたと思う。

クリロワも表情の豊かな、表現力が抜群の選手で、カルメンを演じるに相応しかった。ほとんど顔で滑っている、と言っても良かったのではないか。

このように「カルメン」を演じることは、女性選手にとっては、その魔性や情念を表現するということが必須だと私は思っていた。

ところが、ナフカのカルメンは、そのような情念とも魔性とも関係がない。

ただ、要素を満たすために技を繰り返しているだけだからだ。

つまり、チャイトと同じく、曲は何でもいい。ただ、「カルメン」という曲を選んだに過ぎない。

ナフカ組も、ただ技術を披露するだけのカップルにすぎないのだ。だから、ベステミアノワやクリロワなどと比べると、明らかに見劣りがする。
たとえ、技において、現在の方がむつかしいことをやっているとしてもだ。

 

ナフカ・カスタマロフのコーチは、スケートファンなら有名な話だが、アレクサンドル・ズーリンである。

彼は、ウソワ・ズーリンの片割れで、ウソワ組は、アイスダンスのカップルで、私が一番好きな美しいカップルだった。

ウソワ組のダンスは、それこそ、ウソワの美しさを前面に出した、彼女の個性に合わせたエモーショナルなものだった。
ズーリンとはそのころ夫婦であった。

今ズーリンはいろいろあった挙句にナフカの夫になっている。

ナフカは、ナフカ・ギャザリアン時代に長野オリンピックに出ていて、その時10位以下であったが、プログラムは面白かった。他のカップルに比べ、明らかに個性的なダンスだった。その振り付けをしていたのがズーリンだった。

そのころのナフカのプログラムはズーリンの個性が濃厚に出ていたのかもしれない。

それなのに最近は、ズーリンの振り付け(なのだろう)であるにも関わらず、面白くなくなった。
おそらく新採点に向けて振り付け方法を変えて来たのだろう。

勝ち進み、メダルを取るためにはそうしなければ優勝ラインに届かないのかもしれない。
ナフカのような美女ならば、どれだけのドラマティックなダンスが映えるだろうかと、むしろ残念に思われる。
あるいは、ナフカに情念を演じる技量そのものがないのかもしれないが。

 

私が現在のカップルで唯一、面白いことをやっていると思えるのが、デンコワ・スタビスキーだ。

彼らの演技はオーバーで、個性的で、二人のキャラクターによく合った、良く言えばドラマチック、ありていに言えばがむしゃら、むちゃくちゃ派手、なダンスだ。

しかし彼らは今期、怪我のため調整に失敗した。オリンピックに出られるのか、出てもメダルに届くかは微妙だ。

彼らは旧採点の時から活躍していたカップルだ。
一つには、その演技が旧採点向きだからということも言えるだろう。

彼らの個性は、新採点方法ではうまく発揮出来ないのではないか。新採点は、個性を殺す方式だからだ。

デンコワ組は双方が美男美女の、ルックス抜群のカップルで、だからこそ私はその雰囲気がとても好きなのだ。
こういうカップルがその良さを発揮出来ないような新採点方法は、クズだとあえて言いたい。

何も欠点のない、優等生のプログラムよりも、欠点だらけだが面白い。そういう演技の方が心に残るのかもしれない。


★選手の名前の表記については、私の好きな感じで、自分勝手な書き方をしています。
★技の名前が間違っているかもしれません。ご存知の方はご教示を。

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