Figure Skating Super Stars
テレビ中継について
フィギュアスケートのテレビ中継については、毎度物議をかもす物のひとつであり、せんどあれこれ言われている。私もここぞとばかり、ひとつ言いたいことを言っておこう。
言いたいのは、民放の放送についてである。
以下、ケーブルテレビ、スカパー等お持ちの方には分からない心の痛みである。
どうして、民放はあのように十年一日の如く、よけいな選手インタビューや、訳の分からない無駄な前フリや、どうでもいいゲストを招くことを止めないのか。
特に何の関係もないゲストを客寄せのために招き、そのために貴重な時間を割くなど、一体局は何を考えているのだろうか。
フィギュア・ファンは、そのスケートとは何の関係もない場面を見ては、そんな時間があるなら、1組でも多くスケーターの演技を見たいと思っている。*
私は長野オリンピック中継の時、恐れていたことが現実となり、ひとり震撼とした。リレハンメルの時はすべてBS1だったフィギュアの中継が、長野の時は案の定、男子シングル、女子シングルのフリーなど、フィギュアのメインと言える放送がすべて民放に取られていた。
殆ど一手に放送をしておきながら、こんな肝心な放送を民放に取られて、NHKは一体何をしているのか。そのように叫びたくなるほど、私は憤慨していた。
BSで放送されるのと、民放で放送されるのとでは、テレビ中継を見る者にとっては死活問題といっていいほど、それは重大な問題なのである。
ある民放で放送された、フィギュアの各選手の意味不明なキャッチフレーズづけは、今でも語り草である。
氷上のディカプリオ(?)だったかはまだしも、氷上のセクシークイーンだの、ほとんど笑いをとりたいのか、というような暴走ぶり。しかし、こんなのはまだご愛嬌だ。
CMで分断される生放送、よけいなおしゃべり、多すぎるゲストはもとより、長野の時は、ミシェル・クワンとタラ・リピンスキーの対決が話題だったが、その楽屋にまでカメラを持ち込んで、対決を煽る演出などはまるでワイドショーののり。
どうして静かに中継が出来ないのか。
*
私は長野の時、思った。
オリンピックが日本で開かれるのを喜ぶことにヤブサカではない。
しかし、ことテレビ中継においては別だ。地元であることが、かえって災いなのである。別の国で開かれるオリンピックであるなら、生中継は真夜中などになるかもしれないが、かえってNHKBSでコマーシャルもなく、殆どすべてをちゃんとフォローしてくれるし、ビデオで撮っておけば後で見られる。
なまじ日本で開催され、民放がしゃしゃり出て放映権を獲得した日には、悲劇である。
CMや、何も分かっていないゲストタレントのほか、絶叫のアナウンス、選手の演技そっちのけの自己本位な解説、無駄な前フリVTRなどに私たちフィギュア・ファンはテレビの前でいらいらしなくてはならないのだ。
こんなことなら、外国でオリンピックをやってくれたほうがはるかにいい。
どっちみち見に行かないのなら、出来るだけたくさん放送してくれる、良心的なBSでゆっくり見るほうが精神衛生によいではないか。BSは静かである。必要な最小限の解説。上品なアナウンス。選手の演技を見ている私たちの注意を妨げない配慮。そして、フィギュアの場合、へたくそな、下位の選手からでも平等に放送してくれる。これがいい。有名選手だけでない、どんな選手でもちゃんと時間を割いている。
ああ、テレビ放送のオアシス。
*
そんなわけで、長野の放送でうんざりした民放体質は、今も変わらず健在だ。どころかますます増長しているのではないか。そんな危惧を私はひとり持ち、暗くなっている。
なぜこういうことが起こるのか。私には分かっている。
それは、民放が、フィギュアの放送を無理やりゴールデンタイムにのせようとするからだ。
ゴールデンタイムだから視聴率を稼がなくてはならない。
だから客寄せにつまらないタレントを招く。で、何の関連もなく彼らに歌を歌わせる。
出てくる選手の説明をくどくどとする。
インタビューをする。選手のオフを取材する。うんざりだ。
フィギュアの放送は、もう深夜でいいではないか。無理にゴールデンタイムにしなくても。
フィギュアの放送で視聴率を稼ごうという発想にそもそも無理があるのだ(こんな事を言うと大会を開くスポンサーがいなくなる)。何の時間的制約もない深夜ならどんな選手でも長々と放送してくれるだろう。それがいやならNHKに任せてくれ。頼むから。
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