Philipe Candeloro 2  長いです              00/1/24


フィリップ・キャンデローロの「ゴッドファーザー」は、私にとって、それは革新的なものだった。

演技の途中でリンクの手すりに寄りかかる、手をぶらんと下げてしまう、そして氷の上に座って回転するキャンデローロスピン。
最後まで一時も目の放せない、スリリングな演技。
まるで芝居を見ているようなパフォーマンス。
さらに、演技が終わった後の挨拶。ゴッドファーザーを意識した垢抜けたコスチューム。そして片耳だけのピアスも。

(註)当時、髪をくくったヘアスタイルと共に、ピアスをしている男子スケート選手など、金輪際見たことはなかったのだ。

トータルで見て、何もかもが斬新で、かっこ良く、粋でスマートだった。
スマート。これが、今までの男子スケーターにない部分だった。
フランスのエスプリ。フランス人だから、このように言ってもいいかもしれない。
頭の先から、つま先まで、プログラムの始まりからエンディングまで、徹頭徹尾ダンディズムに貫かれている。
それが衝撃的だった。

これまでの男子選手は垢抜けとは程遠かった。
垢抜けとは真反対に位置しているのが、男子フィギュア選手だったのだ。

私はキャンデを見た日から、この男子選手に対する認識を改めた。
それはもう、カルチャーショックと言って良かったのだった。

***

 

さて、今日、男子フィギュアは、4回転を飛ばないともはや上位には食い込めない時代になって来た。4回転は、もう男子で当たり前のことになっているのだ。

でも、いくら何種類もの4回転が飛べても、それで4分半がもつわけではない。あとの4分は何をしているのか。
いくら4回転が飛べようと、見ていて退屈なものは退屈だ、と私は思う。
ジャンプ以外は何の面白味もない、という選手が増えてきたように思える。

私はジャッジではないから、フィギュアを見る時、技がどうのなどとむつかしいことより、ただ、4分半を退屈せず見ていたい、と思っている。
私はただそれだけで、フィギュアの演技を見ている。
ジャッジではないのだから、それで十分だ。

そう思うとき、やはり、キャンデの存在は大きい、と思うのだ。

キャンデローロを語る時、ジャンプよりも演技力、という言い方がよくされるが、でもそれは正しい言い方ではない。
彼は、ジャンプも飛べ、そして表現力もあるのだ。
もっと正確に言えば4分半を1秒たりとも退屈させない。ジャンプを飛ぶ時も、ただ、リンクを流しているだけの時も。そういう選手だったと思う。

キャンデローロの時代は3回転半のトリプルアクセルが最も難技だった。キャンデは、たぶん、トリプルアクセルが主役だった、男子シングルの最も幸福な時代の選手なのだと思う。

 

4回転を飛び、トリプルアクセルを飛び、他の5種類のジャンプを飛び、もう一回、4回転かトリプルアクセルかを飛び…。そんなことをしていたら、ジャンプの練習だけで日が暮れてしまう。
(実際には、4回転を飛ぶ選手は、すべての5種類のジャンプは飛ばないようである。いくつかのジャンプはすっ飛ばしているような気がする。)
プレゼンテーションは高いが、アーティスティック・インプレッションがさっぱり、という点数が思い浮かぶ。
4回転が主流になってくると、そんな風になっていくのではないか、と私は想像する。
表現力を練習する暇も、4分間の演技の中で、表現力を披露する暇もなくなってゆくだろうからだ。

私はそんな、技だけが見どころのフィギュアスケートは見たくない。
たぶん、そんな選手の時はチャンネルを変えてしまうだろう。
何度も言うように、そういう演技は退屈だからだ。

4回転をするなら、まず表現力も養って欲しい。
そうでないなら、私にとっては、トリプルアクセルが飛べれば十分なのだ。
表現力があるのなら、アクセル(2回)だけでも十分。
4回転で退屈より、その方が私には楽しい。きっと。

***

 

フィリップ・キャンデローロのプログラムは、なんの気なしにジャンプを飛ぶといったプログラムではない。
すべてのジャンプには意味があり、4分半のプログラムのストーリーの、重要なポイントでジャンプを飛ぶ、という構成になっている。

たいがいの選手が、ジャンプの難易度によって、4分間のどこで飛ぶかを決めているのに対して、

たとえば、中間で少しお休みパートがあれば、その次むつかしいトリプルアクセルの2度目を飛ぶというように、選手のコンディションで、ジャンプする場所を決めている。
ミスを少しでも少なくするためだろう。

しかし、キャンデの場合はそのような計算はない。
プログラムがひとつのストーリーであり、そのストーリーの山場でジャンプを飛ぶのだ。
したがって、もしジャンプを失敗すれば、ストーリーの盛り上がりもとたんに台無し。
非常に危険な、やはりジャンプがきちんと飛べなければアーティスティック・インプレッションまでがたがたになるという、危ない橋を渡っているやり方だと思う。
ある意味、ジャンプに自信がなければやってはいけないやり方だ。

それは、しかし見る方にとっては、素晴らしく感銘を受けるものだった。

ジャンプを今飛ぶぞ、飛ぶぞ、という男子のプログラムの中にあって、ジャンプがスケーティングに溶け込んでいるキャンデのそれは、見ていて溜飲が下がったというか、これまでの男子シングルに対する私の不満を、一気に晴らしてくれるものだった。

彼を演技過剰だ、という意見もあった。
そうかもしれない。

でも、私のように長年フィギュアスケートを見てきて、その上で、やっと感銘を受ける男子選手が現れた、と思った人間がいることも、忘れて欲しくない。

ジャンプ、ステップ、スピン、点数を取るために、適当にそれらをプログラムの中に並べ、ちりばめておけばいいという、これはコーチとか、振り付け師の問題かもしれないが、そんな風な、面白くも何ともないプログラムが多すぎる。

私は、再三言うが、ジャッジではないし、フィギュアスケートを楽しむためにテレビを見るのだ。
ジャンプをいつ飛ぶか、そればかり気になるプログラムはストレスが溜まる。
できうればキャンデローロのような選手がたくさん出てくることを望むのだが、先言したとおり、男子は4回転の時代に突入してしまった。
私の思いは、時代の波にかき消されてゆくのだろう。


It is not the end of the story.
キャンデローロはまだ終わらなかった(^_^;)

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