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Ryokai Mandara

 

東寺曼荼羅・両界曼荼羅図(西院本) 平安時代初 9世紀

 

 


胎蔵界曼荼羅

 

 

私が東寺で見た、平安時代のわが国で最古の曼荼羅図は、パブリック・ドメインで流通している彩色が派手などぎついものではなかった。

 

折り目がついていて、それは儀式に実際に使ったものだったからだろう。

 

儀式のあとはそれを折りたたんで仕舞っておいた、そのために折り目がついてしまった。

 

そして折り目の部分に描かれている仏の図は、折れていたために絵の具がすり減ってしまい、
もう何を描いてあるのか分からないくらい、顔料が飛んでいた。

 

それが逆に生々しく、これが決して鑑賞のためのものではなく、使われていたものであることを示していた。

 

 

そして全体の曼荼羅図も決して赤々しくはなく、落ち着いた、というよりは甚だしい褪色に見舞われていた。

 

無理もない、もう千年も前の顔料なのだ。それでもそれが現代にまでも残され来た、そのことのすごさにまず感動した。

 

 

それでもそこに描かれている仏たちの生き生きとした図は、千年経った今でもみずみずしくその姿を保っていた。

 

絵の具がすっかり褪色しているにも関わらず、それでもみずみずしい。

 

そのことにどれだけ見ても見飽きない、それが胎蔵界曼荼羅を見た私の印象だった。

 

 

 


大日を中心にして、おそらく如来陣がまわりを取り囲み、下には五大明王がいる
下の五人の右端が不動明王であることが確認出来る

 

 

 

曼荼羅図には密教独特の様々な決まりごとがあり、約束事があり、見方がある。

 

見るというより、これは儀式で使用されたものだから、その儀式用の意味があるのだ。

 

 

だけれども私はそのような密教の知識はまるで知らない。

 

だから曼荼羅図を見る時、それはいろんな仏がいろいろなポーズをとって大日の回りを賑わしている、
その面白さのみで見ている。

 

おそらく、いや確実にそれは邪道的な見方だろう。

 

けれども私は単に仏の絵としてしか曼荼羅図を見ることを知らない。

 

そうして、そこに描かれた仏の姿を楽しむだけなのである。

 

 

仏の絵が描かれているのは、胎蔵界・金剛界のうち、胎蔵界で、こちらにはびっしりと、隅から隅まで、
ありとあらゆる仏の像が描かれている。

 

端の方にはものすごく小さな図で、もう名前も知らないような仏が隅々に描かれている。

 

それらを見て、仏のポーズを面白がったり、端っこにいる仏などは小さく小さく、けれどもひとつひとつ
生き生きとその姿が描かれているのを見て喜んでいる。

 

そのかなりリラックスした描かれ方をしているのを見て喜んだりしているのである。

 

胎蔵界曼荼羅図の面白さは、この小さな仏たちの生き生きとした姿、

儀式や決まり事を知らなくても仏たちのポーズを見て楽しめる、喜べる、その面白さだ。

 

多分こんな見方はしてはいけないのだろう。
でも私にはこのような見方しか出来ないし、おそらく密教の本質に迫る深遠な見方は出来ないだろう。

 

だけどこれが素人の見方、これ以外の見方を知らないのだから、これでいいのだと思うことにしている。

 

 

 


金剛界曼荼羅

 

 

金剛界曼荼羅図は、胎蔵界に比べてかなり観念的で、ほとんどシンボルをあしらったものになっている。

 

したがって、あまり仏の具体的な像は描かれておらず、図案化されたものになっている。

 

だから素人としてはただ図案を見るだけの感じで、あまり面白味はなく、人気もあまりないのだ。

 

図案にいちいち意味があり、密教的な教えに基づいたものなのだろう、
それを秘して伝えるために図案化されたものだろう。

 

だから非常に観念的で難解だ。

 

 

やはり具体的な仏の図として説明してくれる方が分かりやすい、

それはいつの日にも変わりない人々のありかただと思うのだ…。

 

 

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