Exhibition Preview

ウィーン美術史美術館名品展

2003年1月11日-3月23日

京都国立近代美術館

03/3/24

 

母がNHKテレビでウィーン美術史美術館展の宣伝をしているのを見ていて、行きたそうにしていたので、行こか、と訊くとうん、と素直に頷く。
それで一緒に行くことにした。

今まで母は展覧会になど興味はないだろうと思っていた。
事実、父の生前はそのようなものに行ったことのない人間だった。だが父が亡くなってから、友達のおばさんに誘われて時々見に行くようになり、そのせいで興味が出て来たようだ。

 

映画や絵画などにおいて、本当に見たいものは一人で見に行く。
他人がそばにいると気が散って見た気にならない。
気が小さいので、横にいる者の反応や、ペースを気にすることなく見るには一人で見るのが一番なのだ。

だから母とであっても、一緒に行くのにはためらいがあった。
しかし母が一緒に行きたそうにしているので、とりあえず二人で行くことにする。
母ひとりでは到底行くことが出来ないだろうからだ。
それに、母が中央ヨーロッパの選りすぐりの絵画を見て、どういう反応を示すかにも少しばかり興味があった。

母は、驚いたことに、一つの絵画について推定約1秒見たら次に移り、さっさと進む。

絵を見ているというより、絵の前を通っているだけである。目くるめく早さだ。

そして「あーしんど」と言って中央のソファに腰かける。
腰かけてぽつねんと私を待っている。

 

誰かと一緒に絵画展を見に行くと、絵を見るペースが自分と合うかどうかがまず気になる。

私が苦手なのは、私よりも見るのが遅い人だ。
私は見てしまったのにいつまでもじっとその絵の前に佇み、動かない。

私はもしかして見逃した細部があるかしらんと心配になって戻る。
戻って見なおしても、つまらない絵であり、時間をかけて見る必要のある絵とはとても思えない。
それでも相手は動かないので、どうしてだろうと不安になる。
そんなよけいなことを考えていると絵に集中出来なくなり、上の空で見続けることになる。

それに比べれば、私より早く見る人ははるかに楽だ。
私より先に見て、座って待っているのなら、こちらは待ってもらったままゆっくり見ることが出来る。

母は幸いこのタイプだったので、予想していたよりずっと楽に、集中して見ることが出来た。
私は絵の前で逐一説明しなければならないかと思っていたのだ。
それもまた楽しかったかもしれないが。

展覧会は、いきなりクライマックスで始まる。
ヴァン・デル・ウェイデン、クラナハ(父)、そしてデューラーの「若い娘の肖像」、
僅か3枚目でもうデューラーの代表作だ。

それからも次々と画集やネットでおなじみの絵や、有名画家の絵がふんだんに展示されている。
贅沢な展覧会である。さすがウィーン美術史美術館だと思う。

ルーブル美術館ならもっとすごいことになるのだろうけれども、それでもウィーンの絵の渋さ、マニアックさは得難い。
ハプスブルグという名門の重みを否応無しに感じ取れるコレクションだ。

 

門外不出の作品も展示、と宣伝していたが、それでもブリューゲルの一連の作品は全く来ていない。さすがの美術史美術館も、この画家については駄目出ししたようである。
ブリューゲルを見たいなら見に来いというわけだ。
以前にも美術史美術館の展覧会というのを見たことがあるような気がするのだが、その時もブリューゲルは来ていなかった。
察するところ、ブリューゲルは美術史美術館の最後の砦であるらしい。
私は「バベルの塔」などを少しばかり見たかったのだ。

しかしそれにも関わらず、展示は贅沢で見応えがある。

ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ベラスケス、ルーベンス、レンブラントという有名画家から、アルチンボルド、カラヴァッジョ、ヴァン・ダイクなどのマニアックな画家まで、それぞれの代表作がずらりと並んでいるのだ。
しかも、それでも今これらの絵が出払っている本館ヘ行っても、きっと何の支障もなく平常通り絵を鑑賞できるのだろうと想像すると、ヨーロッパの財産の豊富さを思い、つくづく羨ましくもなる。

母の感想は、「どれも上手に描いとかはるなあ」だった。

私にはお馴染みの画家の、おなじみの絵だけれども母にとってははじめて見るものばかりだ。
膨大な絵を見てのひとことがそれであった。爆笑する。

アルチンボルドは気持ちわるかったやろ、と言うと、えっと言う。
見たことを全く覚えていない。

あんなに突出して気味の悪い絵なのに覚えていないというのは、やはり絵を見ていたのではなく、絵の前を通りすぎていたに過ぎなかったのだ。

いやー、見ているうちにしんどなって、暑うなって、人が一杯やはるさかい、ずっと座ってたんやとか言い訳する。

行きたがっていたわりには、あまりきちんと見ていないようだ。

しかし、家へ帰って来てから
西洋の絵というのは、どれもこれも見ていたら圧倒されて、疲れて来るんや
と言った。

母は、絵に関して知識も教養も何もない素人だ。
しかし、素人だけにその素朴な観察は的確というか、ずばり真中を射抜いていると私はいつも思うのだ。

友達のおばさんと見に行って来た展覧会のことも私にいろいろ感想を言うが、その感想を訊いていると、すかたんなようで実はとても的確だったりする。
それだから私は母と見に行き、母の感想を訊くのが楽しみだったのだ。

西洋の絵を見ていると疲れる、というのはとても鋭い意見だ。

隅々までこってりと隙間なく絵の具を塗りたくり、影をつけまくり、、実物と寸分たがわぬものを紙の上で実現しようとし、肉を食べ、宝石を身につけ、金の衣装を着る西洋。日本の、墨でひとはけ、ふたはけさらっただけで侘びの世界だとする日本のつつましい粗食の世界とあまりにも違いすぎる。

淡白な庶民の日本人には、西洋絵画は貪欲な肉食の権化に他ならないのだ。

 

国立近代美術館は、京都・岡崎の市立美術館の向い側にあり、市美術館が重厚な昔風建築であるのに比べ、近代的なスマートな建物である。
近年改築されたから内部の設備も整い、いっそうモダンな風情になった。

美術館の中にレストランがあり、食べることも出来る。
母がくたびれたので案の定そこに入ろうと言い、そこで美術展を開催している間出している特別メニューだという「ウィーンセット」とかいうケーキセットを頼む。

ケーキセットのくせに、ケーキがあまりにも小さくて非常に不満が残った。
しかし母が奢ってくれたのでご機嫌になった。

一人で行く美術展もいいが、誰かと行くのは格別の楽しみがあるものだ。
奢ってもらったからではない。


付記

展示されていた絵画の感想を何も書かなかったので、ここでせめて大好きなベラスケスについて書いておこう。

ベラスケスの絵は、バルタザール・カルロス王子の絵と、上のマルガリータ王女の絵とが2枚、来ていた。
どちらも王族の絵である。
ベラスケスが仕えていたスペイン王フェリペ2世の、それぞれ息子と娘である。

まず王子の絵が先に飾られているが、一目見ただけでもう、違う。
まったく違う。
違いすぎる、と心の中で叫んでしまう。

何が違うかというと、他の絵と全く違うのだ。

それまでずっと他の画家の絵をずらずらと歩きながら見て来て、カルロス王子の前に来ると、即座に違う、と思ってしまうのだ。違うとしか言いようがない。
笑ってしまうほど、違う。

もちろんその筆力、表現力、対象を見る目の鋭さが圧倒的である。

しかしとにかく絵に対する意気込み。プロフェッショナルとしての矜持。テクニックは勿論、情熱というか、画家としてのプライド。俺はここまでやれるぞ、という自信。にも関わらず、まるで鼻歌でも歌いながら描いたような自在さ。
それに圧倒される。
絵を見たら、たった一瞬でそのようなことが読み取れてしまう凄さ。
それがベラスケスなのだ。

 

となりのマルガリータ王女の絵は、実は私のこのHPのベラスケスの項で引用している絵だ。
これが美術史美術館蔵だとは失念していた。そしてここでお目にかかれるとは思っていなかった。
ベラスケスの絵がなぜウィーンにあるかといえば、ウィーンの宮廷がスペイン王家と親戚で、お見合い写真をウィーンに送ったようなものだからだ。

この王女の絵は、ドレスの質感が見どころである。
私には一つ謎があったのだが、それは王女の右手が未完成のようにいい加減に描いてあることなのだった。
実物を見てもいい加減だった。
だがそういう影になる部分はいい加減で、光の当たっている王女のドレス部分には異様に力を注ぐなど、そのコントラストがすごい。

ドレスの描写に対する力の入れようが、どうだ、これでもかという感じだ。
俺は肖像画でここまで出来るんだぞ。そう言わんばかりの迫力である。

腕利きの仕事である。

私は時々、ベラスケスはすごく長い筆を持っていて、2メートルくらい先からキャンバスに描いているのではなかったかと思ったりする。
近くに寄ってみると、単に白い絵の具を乱暴に塗ったとしか見えないのに、遠くから見るとそれが光の反射であることが分かる(そのためしばしばベラスケスは印象派のさきがけと言われる)。

遠くから見ないことには見分けることができないはずの光の点描を、どうして描くことが出来たのか。謎である。

ベラスケスは生涯宮廷画家であった。
描くテーマは宮廷に住む人間たちに限られていた。

それでもなお、絵を描くということそのものに対する情熱、絵へのあくことなき探求、絵にぶつけられたやる気、などはとても並みでない。尋常ではない。
肖像画に命賭けてるな、というか、命張ってるな、というのが丸分かりの、やる気むんむんの人なのである。

それが、そこらへんの普通の宮廷肖像画家との違いなのだと思う。


註)

美術展に行ったのは2月下旬、文章を書いたのは、美術館展については3月上旬。
ベラスケスについては3月21日です。よって美術館展は戦争前に書いたもの。

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