L●UVRE
ルーヴル美術館展
2005年7月30日〜10月16日
京都市美術館
05/10/29
膨大なルーブル美術館のコレクションの中から、アングル、ダヴィッドからドラクロワ、ジェリコー、コローといった、要するに新古典主義からロマン派に至るあたりのフランスの画家たちの作品を集めた展覧会である。
ルーブルと言ってもあまりにも範囲が広いため、一体どのような展示になるのか、と心配(?)していたら、ちゃんとそれなりに統一は取れていたのだった。
作品は、チラシに載っているアングルの「トルコ風呂」から、同じく「オイディプスとスフィンクス」「泉」、ダヴィッドの「マラーの死」、ナポレオンの肖像、とにかく有名作品が目白押しだ。
オリエンタリズム、風景画など、主題別に分かりやすく展示されているが、展示の傾向としては、始めに有名作品をどしどし展示しておいて、進むにしたがって息切れ、最後の風景画などは無名画家作品ばかりでスルー率高し、という尻切れトンボ状態といって良かった。
絵画好きとしては、「トルコ風呂」「マラーの死」「スフィンクス」あたりを目の当たりに出来ただけでもじゅうぶんモトは取った、という気分に浸れるコストパフォーマンスの高い展覧会だった。
さすがルーブルである。実力のケタが違う。
パイパン〜…(^_^;)とにかく、やたら人が多かった。
時間が悪かったのか、期日ぎりぎりで行ったのが悪かったのか、入場制限をしている。入り口でわんさと人が溜まって動かず、入場をじっと待っている。こんな情景を美術館で初めて見た。
整理のための人員が何人も出ているし、柵がしてあって、そこを支持に従って順番にゾロゾロと進まねばならない。
老いも若きも、絵を分かっているのか好きなのか、何だか良く分からない人たちが来ている。オマエラ、本当に絵が好きで来ているのか?と思わず疑ってしまうくらい、あらゆる階層(?)の人がいる。
ようやっと切符を切ってもらい、中へ入ったら入ったで1枚目の絵画の前に鈴なりの人がいて、何重にも人垣が出来ていて良く見えない。じっくり見られない。人垣で先へ進めない。
どういうこっちゃねん。わずか2つ目で、重要な絵があったのだが、それを、人の頭の後ろから見ているおじちゃんが、「えんみ…えんで…えんでい…」と、絵の横の札を読んでいる。
「エンデュミオン」だったのだが、それは全裸の美しい青年が、悩ましいポーズで野っ原で眠っている図であるのだった。
「エンデュミオン」だから眠っているのは当然なのだ(ギリシア神話がモチーフである)。けれども我ら日本人には、どう見てもすっぽんぽんで、アレをほり出し、いかにもソレ目当ての、あやしい全裸青年の図としか見えない。
おじちゃんは何もご存じなかったろうし、主題が何かも知らないに違いない。ただ、ルーブル美術館の絵だからありがたいものだと思っている。
そんな純真な人々に、こんな絵を見せていいものか。私はひとり顔を赤らめ、惑ったのであった。
おかげで、麗しい「エンデュミオン」を心ゆくまで見尽くすことが出来なかった。
大体、こんなにたくさんの人が、本当に美術好きであるかどうか疑わしい。
一体なぜ、こんなに人が集まったのだろう。今もって謎だ。けれども、絵を見終えて帰る頃には、入り口の列は無人になっていたし、どうやら私の行った時間が、一番混雑していた時間だったらしいのだ。
シャセリオーの絵が何枚か来ていたのは収穫であった。
どちらかというとロマン派、という認識を持つが、新古典派とロマン派を融合させようとした、と通常評価されている人だ。
大人しい画風なのであまり目立たないが、フランス国内では定まった評価がされているのではないだろうか。
そしてそれとグロ、プリュードン、ジェリコーあたりが重視されているのが、いかにもという感じだった。
「アモルとプシュケ」が女性に人気だと評判だった。絵葉書や、一筆箋などのセットが良く売れているのだという。さもあらん。
久しぶりで華やかな、楽しい、気楽に見れた展覧会ではなかっただろうか。
人混みに揉まれ、人いきれの中で、頭の向こうにある絵を背伸びしながら眺めるのもまた一興であると。