Temple

東寺1
(教王護国寺)

南区九条町

Toji

invited on 04/9,04/11

05/1/23

東寺は、京都の有名なお寺である。京都の象徴のような五重塔があることで知られる。新幹線などで京都に来る時、この五重塔が見えて来たらああ、京都に来た、と、京都人ならああ、京都に帰って来た、と感慨を抱く。京都のランドマークである。
そのわりには、改まって訪れる人は少ないのではないか。
京都においては少し浮いている。そんな不思議な寺が東寺である。

 

東寺はまた、弘法市で有名である。毎月21日が弘法さんの日(月命日)として、東寺の境内にさまざまな露店のテントが並ぶ。
実は、私はこの年まで弘法さんに行ったことがなかった。京都人の恥。何考えて生きてるんだ。
だって、骨董とか、興味ないんだもん。古いジェニーとかバービーが売ってるなら行くけどさ。
でも、このまま弘法さん知らずで一生を終えるのはしのびない。というわけで、ある日のこと、弘法さんに行って来た。

この間、初弘法(1月21日)があったのだが、それではない。行って来たのはもう去年のこと。
初弘法は寒いし人が多い。ローカルでは新聞テレビのニュースになるのだけれど。

私は仏狙いなので、秋の特別展が開催されていた時に、それ目当てで行って来たのであった。普段見ることの出来ない寺宝が公開されるのだ。


このようにテントが並ぶ東寺境内

東寺は正式には教王護国寺と言うが、平安遷都の2年後、官寺として西寺と対で建立された時はそのまま東寺と言ったと思う。
嵯峨天皇の時に弘法大師空海に下賜され(823年)真言密教の根本道場となった。とかや。

その後西寺はすたれ、廃寺となって東寺だけが残った。

東寺そのものも、何度も戦火、炎上、落雷等の災厄に合い、創建当時の建物は残っていない。
現在のものは、桃山時代から江戸初期の建築だ。

 

東寺へは、京都駅から近鉄奈良線で行くのが良い。というか、それがスタンダードな行き方である。近鉄京都からたったひと駅だが、歩くとなるとちょっとキツイ。

私の家からも歩いて行けないことはない。でも、ちょっと躊躇う、微妙な距離である。

いつだったかの紅白歌合戦で、京都で勉学する女性歌手が東寺から生中継で歌っていた。
それを見ながら、「あそこやん。近所やん。今行ったら間に合うで」などと言っていた。
でも、歌を歌っている間の3分ほどでは、歩いては行けない。近鉄に乗っても無理だ。京都駅まででも10分はかかるんだから。
というわけで、近そうで遠い、それが東寺なのだった。

なぜ東寺が遠いと思うのか、それは東寺が京都駅の裏にあるからでもある。
だから京都の裏手という感じがどうしてもしてしまう。

市内から市バスで行くとしたら、駅をぐるりと遠回りして、駅の高架下をくぐるしかしようがない。近いわりに時間がかかるのだ。

東寺を京都の裏にしたのは、実は秀吉である。それはまあ、さておいて、東寺へ行くのに近鉄に乗るというのは、なかなか利にかなっているのだ。

近鉄東寺駅で降りないで、そのまま乗っていると、奈良へ行く。
東寺は、奈良への入り口のようなものだ。
京都の裏であり、出口であり、奈良への入り口なのだ。

東寺は、奈良っぽい。京都にありながら、仏が奈良めいている。
平安京が出来たとほとんど同時に創建されているから、王朝文化というよりも、奈良の仏教文化を引きずっていることもある。
それにも増して、私的には、近鉄によって奈良と直結している、という事実が、東寺を奈良と密接にさせている要因だと思われるのである。


東寺の南門
 東寺南門前というバス停もある。提灯が、なかなか情けなくてステキ(^_^;)

近鉄東寺駅で降りると、一番近い東寺南門から東寺に入れる。塀の周りをお堀が取り囲んでいるのは本願寺と一緒だけれど、お堀の水が枯渇気味(^_^;)

東寺の近くに来ると、五重塔がいかにも高くそびえていて、どぎまぎする。こんな平地に平然と建っているのは、何だか違うような気がするのだ。
五重塔というのは、どこか山奥の、山の中腹にそびえていて、ぜいぜい言いながらやっと辿りつき、拝み見てこそありがたいという気持ちになるのではないか。
こんな街中にいきなりそびえていても…。何か場違い?

いや、それは、開発の波にさらされ、周囲がつまらない都会の風景になったからだろう。
それでもこの辺はまだ碁盤の目状が続いている。私はこの京都の碁盤の目というのが好きなので、それだけがまだしも救いだ。

 

下の案内図にあるとおり、バス停の東寺東門前で降り、東門(慶賀門)から入ることも出来るのだが、先に言ったように市バスでは不便なので、やはり近鉄で行くのが主だろう。近鉄から慶賀門は遠いので、おのずと南門から入ることになるのであった。


見取り図。ちょっと見にくい?

五重塔は、東寺の南門を入ってすぐの右側にある。そして、塔の北側に庭園が広がっているのだが、寺のシステム上、門を入ってすぐには塔に行けない。

東寺は、古い寺院の形式をそのまま残しているので、配置としては、門を入ると、真中に金堂、講堂、食堂(じきどう)、と、南から順番に行儀良く並んでいる。
金堂より南の右側に五重塔があり、その北に庭がある。
講堂などの左側には、小子房とか、大師堂とかいう良く分からない怪しい(?)建物が建っている。

東寺の見方としてはまず、金堂・講堂のすぐ左側を歩いて北上し、講堂の北にある拝観受付へ一旦行ってチケットを買い、それから南下して講堂や金堂を拝見させていただく。そのあとで、五重塔へ行く。というような順路である。
有料区域には柵が作ってあって入れないようになっているのである。


金堂。門を入ってすぐに見える光景。

弘法市の時はその限りではない。境内のあちこちにテントが張られるので、客は方向感覚がなくなり、自分が今どこにいるのか分からない。
柵も一部外され、自由に入れるようになる。その代わり金堂のすぐ手前で拝観料金を取られる。

K嬢が歌を歌ったその場所でお金を払うのだ。それもまたよし。


遠くから見た金堂
一度焼失し、1603年再建

金堂と講堂は、拝観料(二つで500円)を払うと常時拝観することが出来る。

金堂は、名前は金堂だがめちゃくちゃ古くてボロボロだ。古いだけに趣きはもう抜群で、鬼気迫る迫力がある。
文句あるか。いえ、何もありません、と平謝りに謝りながら中へ入る。

金堂は、弘法大師の時には完成していたというが、現在のは豊臣家の援助による再建だという。
1486年、土一揆で炎上したというのがすごい。
お寺を土一揆で破壊するというのは、そのころ、すでに東寺が勢いを失っていたということだろうか。

いずれにしても長い歴史のある寺ならではのエピソードであることよ。

 
古さが実にかっこいい金堂。木造建築の美しさたっぷり。

金堂の中は薬師如来が本尊で、日光・月光菩薩が脇を固める。
みものは薬師如来がお座りになっている台座の周囲に、十二神将が配置されていること。台座なので小さいが、主人公よりもこちらの方がクローズアップされること多し。


金堂の中。
薬師如来の台座の下に注目
小さくひしめき合っているのが十二神将。

さて金堂のとなりにすぐに建っているのが講堂。近すぎてちょっと(位置の)計算を間違えたのではないかと思ってしまう。
創建当時のもともとは金堂のみで、講堂はあとになってからのものなのだろう。

再建されたのは講堂とそんなに違わない時代だと思うが、金堂が国宝なのに対して、講堂は重文と、少し差をつけられている。
見た目からしても、金堂が迫力があるのに対し、講堂はふーん、という感じだ。

しかし、講堂を侮ってはいけない。講堂は外側よりも、中身で勝負なのだ。


講堂 ふーん。というわけでここにあの立体曼荼羅が。

何だか、長くなってしまったので、ここで急にやめて、前編と後編に分けます。すみません。中途半端ですが(>_<)。

次回、講堂の中身へご期待を!(^_^;)


参考 東寺 リーフレット
    「週間古寺をゆく」(小学館)3・東寺 

  *仏像の画像は「週刊古寺をゆく」の写真をデジカメどりしたもの。堂内は撮影禁止です。

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