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新選組!展

京都文化博物館
2004年6月5日〜7月19日

04/7/10

新選組については、あまりいい印象がなく、私はどちらかというと、今まで嫌いだった。
とにかく殺し合いばかりしているし、とくに同士討ち、仲間を殺してばかりいる。そんなの、連合赤軍と同じだと思っていた。

母も同じような気持だったらしく、新選組は殺伐としているからなァ、と言い、時代劇が大好きで、毎年NHKの大河ドラマを楽しみにしているわりには、今年の大河・新選組は気乗りがしないようだった。
しかし、毎週見ているうちに、何となく情がわいて来たのか、文化博物館の「新選組展」を見に行こうと言う。

母は、芹沢鴨の佐藤某がお気に入りみたいだ。
あの人が死ぬと、何となくしまりがなくなるなあ、などと言っている。

 

そんなわけで、文化博物館に行って来た。
予想に反して、おっさんばかりである。

キャピキャピのギャル(死語)も、約数名いたが、ほとんどはおっちゃん。推定50歳以上。70歳以上、とくに多し。
幕末を駆け抜けたモノノフたちの煌く青春に思いを馳せる、現代の武士の末裔たちなのだろうか。

展示は、テレビドラマと同じく、天狗の鼻をしたペルリ(^_^;)の来航から始まり、桜田門外の変、浪士組の結成、池田屋事件…と続く。

私は歴史にはからきし弱く、はっきり言ってよく知らないのだ。
幕末の尊王攘夷運動とか、明治維新とかは、ややこしくてむつかしすぎる。
私はやっと、日本の歴史の古代を、どうにかマスターしたかしないかなのだ。幕末まではまだまだ遠すぎる。

けれども、権威ずり落ちの幕府を信じ、何とか盛り上げて行こうとする派と、幕府を倒して新政府を作ろう、という派に分かれていた、ということだけ、頭に入れて何とか切りぬける。


袖章

池田屋事件で名を馳せた新選組は、しかし、そのあと悲惨である。鳥羽・伏見の戦い、五稜郭の戦い、そして…。

さんざん人をあやめた殺戮集団新選組が、今こうしてこれほど人気があるのは、そこに滅びの美があるからだという。

私は、新選組を、明治維新へと動いてゆく世の中の流れに取り残された、時代錯誤集団だとも思っていた。
けれども今は、それだけとも言えないかもしれないと思うようになった。

明治維新というのが何となく、日本の文明化であり、日本がやっと列強の仲間入りをしたということだと思っていた。江戸時代という古い体制を打ち破り、新しい体制を築き上げた。そのことは、とてもいいことだと思っていた。

けれども、それまで武士として幕府に仕えていた人たちはどうなるのだろう、どう思っただろう、それを考えると、いや、明治という時代を、あまりにも理想化している自分に、ちょっと待てと思うようになった。

近藤勇は、板橋で投降し、処刑された。そしてその首は、アルコールにつけられて京都に送られ、京都三条河原でさらし首にされた。獄門である。

さらし首の刑は、明治に入っても続けられたという。


近藤勇さらし首の瓦版

 

日本では、革命(維新)が無血で行なわれたというが、そんなはずもなかった。明治に入ってからも、たびたび旧武士勢力の叛乱が起こったことがそれを証明している。けれども、それも往年の武士の力を思えばあまりにも微々たるものだったのだろう。

近藤勇を始めとした新選組の人々や、坂本竜馬など、幕末の志士たちは人気があるが、伊藤博文や大熊重信などの新政府派に人気があるとは聞いたことがない。

明治新政府とは、倒幕というだけでなく、天皇を神とし、富国強兵をはかり、列強の仲間入りをするために大陸の侵略を始め、神の国・日本であることを理由にして、その侵略を正当化しようとした。
昭和、いや太平洋戦争にまで至る、日本の軍国化・神の国化は、明治新政府が決定づけたものだった。

徳川幕府を否定するのに天皇はアマテラスの子孫の現人神だとした新政府の蒙昧と、どちらがより罪が深いのか。
歴史を知らぬ私にはこれ以上何を言う権利もなく、ただ歴史という哀しみだけが心に棲む。

 


近藤勇所用 鉄扇

 

それはともかく、気を取り直して展示に進もう。

幕末と、時代が近いこともあって、資料は山ほどある。近藤勇、土方歳三、沖田総司らがしたためた手紙(年賀状含む)がそれぞれあった。
特に近藤勇のものが多い(細君のつねへの手紙もある)。
非常に達筆で、教養の深いことが感じ取れた。

もともと新選組は、江戸の近藤周助が開いた天然理心流という剣法の道場から始まる。勇はその近藤の養子だった。
恐らくその道場で土方らと出会い、そして学問もしたのだろう。
展示は、天然理心流からカバーしている。

それは単に剣をつかう剣法というだけではなく、精神をも鍛えるためのものだったようだ。おそろしく志の高い、高邁な精神性を要求するものだった。

近藤らの手紙にあるのも、おそろしく理想を追求した、厳しく、高邁なものである。
人にきびしく、そして自己にもきびしい。
彼ら新選組は、まさしくあふれるほどの高い理想を掲げた、志の武士だったのだろう。

 

もっとも目立ったのは、東照大権現と大書きされた巨大なのぼりだった。それを見ると、とてつもなくやるせなくなった。

今の時代、徳川家康はタヌキおやじくらいの認識だろう。けれども幕末、そして新選組の彼らにとっては、家康は犯すべからざる神だったのだろうか。そんなものを信じ奉っていたのか。

 

私には分からないけれども、刀も沢山展示されていた。
おじさんたちは、おおかたそれが目当てなのだろう。美しく研がれた、工芸品のような刀だ。飾ってあると、それで人を殺めるなど到底思われない。
それを装備して、彼等新選組が市中見廻りに赴くところを、おじさんたちは思い描いていたのだろうか。

私が一番気に入ったのは、近藤勇の妻が刺繍したという、ドクロの稽古着(剣道の)だった。
まるで中居君の絵のようにひょうきんな骸骨だが、これは、死をも賭すという彼等の決意の現れだったということだ。


つねの刺繍入り近藤勇着用稽古着
グッズショップではドクロTシャツも売っているので大笑い

 

池田屋事件は特別に舞台を使い、80センチほどの人形(紙のピラピラ)を使ってそれぞれの隊士の位置を説明していた。
テレビではセット撮影になるのだろう。
(テレビではもっとロケをして欲しいところだ。)

その他展示としては、新撰組・隊長近藤勇と大書きされた旧前川邸の雨戸だとか、近藤筆の屏風だとか、さまざまな沢山のものがあった。
逆賊(?)として、殺されたのにも関わらず、実に多くの物が残っている。

京都には、実際に彼らの過ごした跡、八木邸、旧前川邸、壬生寺、西本願寺、池田屋騒動の址、など市内のいたるところに、思いがけないところに、数え切れないくらいの彼らの足跡が残っている。
私が普段、よく通るあんなところにも、何気なく石碑が。

近藤勇の享年は35歳、若くして理想のために散って行った、彼らの人気を、私も少しは理解出来たかもしれない。


池田屋の内部

 

最後に、近藤の手紙の中で、新選組の内部で最近男色が流行っている、と近況をしるしたものがあった。
してみると、司馬遼太郎の「前髪の惣三郎」(「御法度」の原作)などはあながちフィクションのみとは言えなかったのかもしれない。

***

この展覧会は、NHKが協賛、というより主催で、NHKの宣伝を兼ねている。
ので出口には、テレビ出演者のサインがずらりと並べてあるというサービス。
もちろん、近藤役の香取君のものをはじめ土方、沖田、芹沢役各氏のもの、女優陣そのほか主だった出演者のものが並んでいた。ぐっさん、オダギリくんもあったぞ。
香取君の「勇」というヘタウマ字が印象的であった。

京都文化博物館HP


特別展示


国重(斎藤一) …といったって分からん。

実はこれは武(もののふ)という食玩の1/6フィギュア。
全6種類(+シークレット)。近藤、土方、沖田、永倉、斎藤、藤堂というメンツ。
(シークレットはもしかして坂本?)
展覧会ではこのように、握りの部分なしで展示されていた。

はじめ斎藤一というのが出たのでがっかりしたが、オダギリジョーだったので、嬉しくなった。

ジェニーも演じています 新撰組マリーンへ(新選組と新撰組、どちらが正しいのか、私には分からないがタカラは新撰組と表記している)

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