RUBENS UND SEINE ZEIT
ルーベンスとその時代
2000/10/28
2000年8月29日〜10月22日
京都市美術館
実は私はルーベンスが好きではない。
茫洋とした女体、工房による大量生産、とりとめのない構図…と、私の好きになる要素が何一つとしてないのだ。
特に、あのお尻も太ももも、お腹も異常に膨れ上がった巨大な女体を見たらうんざりする。
あの時代、あの地域(17世紀フランドル)の、女性に対する美の観念が今とはだいぶ違っていたのだと思う。あの時代は、恐らく太った女性が女性美のもっともたるものだったのだろう。
女性美の規範は、時代や場所で随分変わるものなのだ。また、ルーベンスは大きな工房を持っていて弟子たちに描かせたので、大量の壁画などはルーベンス個人が描いたというより、弟子たちに指示して描かせた、という方が正しいと思う。
だからルーベンス個人のものではない、ということが、展覧会を見る時のネックになるから、どうも興味が今ひとつ持てないのだった。
だが何度も言うとおり(言ったか?)、私は展覧会が好きだ。
どんなきらいな画家でも発見がある。
そういう信念、自分の感のようなものがあるから、今回のルーベンス展にも、楽しみにして出かけたのだった。
展示室はいきなり画家の作品から始まり、工房の作品、コラボレーション作品、風景画、静物画…など、当時のフランドルの流行絵画へと進む。
もちろん、壁画はない。
わざわざ今回の展示のために、教会の壁を削ってくるわけにはいかない。そこでルーベンスといってもやや小品のもの、壁画の下絵などが展示されていた。
大体、今回の展覧会は、ウイーン美術大学絵画館というところの所蔵品が中心なのである。
これは、有名なウィーン美術史美術館とは異なる。
名前が違うからである。さて、ルーベンスの絵の最良の部分は、構成であった。
私は、この展示を見るまでは、彼の構図が、人物がとりとめもなく、大量にただ配置されているだけで、取っかかりがないような気がして、好きになれなかった。
しかし、私が発見した事は、ルーベンスとは装飾画家である、ということだった。
大量に配置された人物は装飾的であり、装飾だと思えば、きれいな構図で配置されているということが分かる。
当時、教会の壁を飾ったり、貴族や王族の居間の壁を飾ったりするのは、絵画を作品として鑑賞するためではなく、装飾が主な目的だっただろうと思う。
そういう意味で、ルーベンスは、画面のどんな片隅でさえ手抜きをせず、いっぱいにデータが詰め込まれた作品を提供した、依頼主に非常に忠実な、仕事きっちりの、良い画家だったのだ。
そう考えれば、ルーベンスの無駄に濃厚な画面が、大変忠実な仕事に見えて来る。
そして、じかに見ると、それは美しい。
ボレアスとオレテュイア確かに描かれている女性の体はかた太りで、プロポーションもお世辞にも美しいとは言い難い。
しかし、その女体に使われた色、つや、画面全体の構図から浮かび出て来る女性の存在は、画面の中で、際立った光りを放っている。というより、やはり画面全体が、装飾として美しい。
女体は、画面の一要素として配置されていて、全体の美しさを引き立てているのである。
壁画の下絵として、とても小さい、色の少ないスケッチ(といっても板に油絵)が数点展示されていたが、…これをもとに弟子たちが壁画を作成するのであるが…、その小さな画面が、既に気品を湛えていて、完成度の高い世界を現出させているのにも、瞠目させられた。
エステルとアハシェロスとはいえ、相変わらずルーベンスは好きではないのだが…、
ただちょっぴり理解はできたかな、と思う。
そして展覧会はやっぱりとても好きだ。
追記)
フランドルお得意の静物画や、風景画(イタリア風の架空の風景を描くのが当時流行ったのだと言う)も展示されていて、静物画好きの私には楽しかったことを付け加えておこう。
マニアックなくらいの細密な世界は、驚きと興奮に満ちているし、「だまし絵」が一枚展示されていたが、これまた私の大好きなジャンル。
サミュエル・ファン・ホーホストラーテン
静物グレードの高い筆致で、真面目に描いているのが好感が持てた。
10/24