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Lucas Cranach The Elder
500years of the Power of Temptation

クラーナハ 500年後の誘惑

2017/3/28

2017年1月28日~4月16日
国立国際美術館 大阪

 

ルーカス・クラナハはデューラーとともにドイツ・ルネサンスの代表的な画家だが、日本ではメインの
回顧展は今まで開かれなかったようで、意外な気もするが、今回が日本初と銘打たれている。

その独特の肖像表現は、北方の暗い情念のようなものを感じさせる画家だ。

 

肖像画家として、また稀有な女性の身体表現の画家としてのクラナハの代表作が勢ぞろいしている。

ただ、これも代表作の帽子を被ったヴィーナスとキューピッドなどの魅惑的な絵画群は来ていないのが、
少し残念。

 

それでも肖像画家としてだけでなく、版画家としても活躍した画家の、工房を構えた規模の大きい仕事ぶりが
たいへんよく分かる展覧会だった。

イタリアとはまた違う、まったく違うドイツ・ルネサンスの姿が浮かび上がる。

 

会場は大阪の国立国際美術館というところ。建物がまだ新しく、モダンなデザインで、良い環境にある。
 この広さが羨ましい…。

 

会場内もゆったり。広いのでもう一つの展覧会も同時開催。ただ別料金なので行かず

次回がブリューゲルとは…う、羨ましい

正義の寓意をフィーチャーした看板 女性の表情がコワい

エントランスがとても広いのだ 

ユディットの顔ハメまである ちょっとどん引き

 

記念のチケット!やはりユディット

 

展示は6章からなり、

1. 宮廷画家としてのクラナハ
2. 肖像画家としてのクラナハ
3. 版画家としてのクラナハ
4. 裸体表現の諸相
5. 誘惑する絵━ 「女のちから」というテーマ系
6. ルターを超えて

という形で、まず宮廷画家としてのクラナハから紹介される。 

ルーカス・クラナハはドイツ・ルネサンス期にウィッテンベルクの宮廷で歴代のザクセン選帝侯に仕えたという。

それでまずザクセン選帝侯の肖像画から展示が始まる。

 


ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公 1515年ころ

 

あまり大きな絵ではなかったが、まずこの襟(首巻?)の毛皮の質感に驚かされた。

ものすごく鮮明で、写真のようにビビッドで、北方の油絵の威力に唸ってしまう。

ただごとではない画力をこの小さな肖像画から感じ、今までクラナハと言えば、あのヴィーナス、
くらいしか連想しなかったが、クラナハが肖像画家として大変すぐれていたことがよく分かった。

 

 


聖カタリナの殉教 1508ころ

 

また宗教画家でもあったことが紹介され、いくつもの宗教絵画が展示されている。

注文に応じて、工房で数々の宗教画も描いたものだろう。

 

当たり前に聖母子などの絵もあったが(それでも聖母の髪の色が燃えるような赤毛である
ところなどに 独特のものを感じる)、

その中でも、やはり聖カタリナは異色だ。

 

普通の聖カタリナは車裂きの刑に処されたため、
大きな車輪と共に描かれるのが普通の 聖カタリナのパターンだと思うが、
この絵は聖カタリナを取り巻く兵士たちが妙にクローズアップされていて、 かなり破調の聖カタリナだ。

聖カタリナを責める兵士も、神の(天使の?)怒りに触れて倒れる兵士も当世のルネサンス期の装束で、
まるで当時の兵士の装束や馬の装飾を描きたいためにこの絵を描いたかのようなにぎやかさ。

クラナハはやはりかなりユニークな視点を持っているようだ。


ただ、あとで気がついたが、北方では、このように兵士たちが派手なルネサンス調の装束で、
聖カタリナよりも目立って描かれているものがけっこうあった。

北方では、このクラナハ風の描き方が流行っていたのかもしれない。

 

 

 

クラナハは50年間歴代のザクセン選帝侯に仕えたそうだが、その庇護の下で大規模な工房をかまえ、
生涯裕福な暮らしをしたという。

肖像画家として重宝されたので、この実物大かもしれないくらい大きな夫婦の肖像画も、
貴族の注文によって描かれたのだろう。

鮮やかでびっくりするくらい精細をきわめた装束の模様や、リアルなモデルの表情など…、
大きいので迫力満点だ。

 

同じく女性の肖像画、おそらくザクセン公マリア

クラナハの特異な黄金色の当世流行の裕福な貴族のドレスと、細かいアクセサリーの描写、
流行のヘアスタイルをいろどる髪飾りのきらきらときらめくような鮮やかな色彩。

そして北方特有の女性の顔がやはりクラナハ流にこわばっていて、イタリア系の女性の美しさとは
また違う女性の表現。

 

+++++++++++++++++++

 

 

クラナハはデューラーと同じくらいの時代でもあり、ちょうど宗教改革のさなかの画家でもあった。

宗教改革の推進者マルティン・ルターと仲が良く、彼の改革にも共鳴していたようだ。

ドイツが宗教改革によって、これまでの宗教絵画の宗教表現を否定し、カトリックと対立し始めると、
クラナハはこれまで大量に生産していた宗教絵画から、女性のヌードなどの、宗教とは切り離された
絵画へと一大方向転換をしたという。

そしてまた、女性と、女性の裸体をテーマに描くことで大成功を果たしたのだという。

 

第4章で「裸体表現の諸相」というタイトルで、女性のヌードのコーナーが。

 


泉のニンフ

 

左上のプレートには、この眠りを妨げるなかれ、と書かれているそうだが、このニンフ像は
当時のザクセンで大流行し、クラナハの工房が類するものを大量生産したという。

明らかにイタリア、ヴェネツィアのジョルジョーネやティツィアーノのヴィーナスの裸体像に
影響を受けて 描かれたものと思われるが、

まず右端の木には弓矢がかけられ、 ニンフはネックレスなどの装飾品をつけたまま、
そして脱いだ衣服を枕代わりに寝そべっているという、
しどけなさが目を引く。

そして女性の裸体は通常の均衡から外れ、ヴィーナスと同じようにパースペクティブが狂っているのに、
全体としては無理なく頭から足へとつながっているという未成熟にも見える女体。

 

だが、この北方の裸体の女性の顔があまり美しくない。

イタリア・ルネサンスの女性を見慣れていると、このドイツの女性の顔の表現からは
やはり南方とは彼らは違う人種なのだと感じてしまう。

 


ヴィーナス

 

この名高いヴィーナスは、非情に小さい画面に描かれていて、それがおのずと、
隠された目的で描かれたのだろうと思わせる。

けれども、黒い背景から浮かび上がるヴィーナスの白い肌は宝石のように輝いていて、
赤い髪の毛を纏める髪飾りのきらびやかな黄金の輝きや、手に持ったうすい、透けたベールの、
現実にはありえないだろうのに、ため息の出るような、驚くほどリアルな質感、
そして白い肌に身につけた装身具のきらめき、

ただひたすら美しくて、邪念が浮かばない。
そのことに驚いた。

女性の顔が独特なのに、これほどきれいな絵だったのか…、という驚き。

サイズからしておそらく寝室に飾られていたものだろうのに、それはきっと宝石のように、
寝室で輝いていただろう。

 


ルクレティア

クラナハが好んでいたらしいルクレティアの女性像。

人妻が凌辱されたために自ら命を絶つという、その瞬間の場面を描いた図がいくつか。

屈辱と恨みに歪んだ表情、衣服をはだけてまさに短剣が胸を貫くという瞬間、だがそれよりも
ルクレティアの身につけているゴージャスな毛皮のついたマントや、黄金にキラキラと輝く
アクセサリーなどが当世の流行のもので、その贅沢な豪華さに目が行ってしまう。

この奇妙なアンビバレンツがルクレティアの特徴なのだろう。

 

 

こちらも同じルクレティアを描いたもの。表情はより一層歪み、屈辱をあらわにしていながらも、
身につけている装束がやはり当時の富裕な貴族の豪華な衣装。そして贅沢な装身具。

今まさに胸に突き刺さろうとしているナイフの切っ先はあまり現実味がなく、
これも奇妙なアンビバレントをかもし出している。

ルクレティアのテーマは当時非常に好まれたそうで、クラナハの工房は何枚もこのルクレティアを
量産したらしい。

 

 

美術館の解説によると、クラナハは様々なルクレティアを描いたのち、だんだん衣服をはぎとり、
最後はこのような完全なヌードの状態のルクレティアを描くことに落ち着いたという…

上のヴィーナスとほぼ同じ、破調の裸体に透明のベール。

ただ、その胸に細いナイフが今突き刺さろうとし、屈辱と苦痛に歪んだルクレティアの表情。

凌辱され歪んだ表情の恨みがましさと、ヌードとの不釣り合いな均衡…

凌辱された裸体を一糸まとわぬ姿で晒し出すという、何ともエロティックなシチュエーションを
描き出している。

 

その裸体は、イタリアの絵のような均衡のとれた理想的な女性の体ではなく、
写実的に描こうという意図はもはやないようで、明らかに歪んでいて、
身体の描き方としては狂っている。

実物の女性の身体とはまったく異なった、クラナハのみが所有していた、
彼が頭の中で描いた究極の女性像なのだろう。

 


正義の寓意

ポスターにもなっている「正義の寓意」

むっとした女性の顔がこわくて、あまり好きな絵ではないのだが、

この絵の女性の冷たい、にこりともせずに裸体をさらしながら、シンボルである剣と天秤をさし示す
この異様なほどの凄み。

赤毛を髪飾りできっちりと結い上げ、女性には似合わぬ剣や天秤を手に持ち、
豪華な黄金のアクセサリーを身につける。

その身体は、イタリアの女性像とはまったく違うクラナハ独自のパースペクティブ。

クラナハ得意の女性表現。

 


アダムとイヴ(堕罪)

 

ルクレティアの前にこの絵があったが、アダムの肩に右手をかけて、まるで誘惑して引き寄せるかのような、
態度のでかいイヴ。

右手で枝を手づかみする後ろには誘惑の象徴の蛇。

まるでイヴが誘惑しているかのような、わるーい女の印象が…

このあたりから何となくこわい女の不穏な雰囲気が漂う…。

 

**********************

 

第5章は 『誘惑する絵━「女のちから」というテーマ系』

というタイトルで、ここからさまざまな、つよく、こわい女性の姿がいよいよ登場する。

 


不釣り合いなカップル

このテーマ「不釣り合いなカップル」は、このころの風俗画の定番で、クラナハ一人ではなく、
いろんな画家が描いている。
 

老人が若い女に手玉に取られているという図、若い女にうほうほ喜びながら指輪をはめる老人。

老人は歯の抜けた自分の年齢も考えず、若い女を手に入れたと悦に入っているのだろうか。

指輪をしてやったりという感じで、嬉々としてはめてもらっている、
豪華な当世風の装束に身を包んだ若い女性の、薄笑いを浮かべたしたたかな表情が
すべてを語っているようで、 こわい

 


サムソンとデリラ

力自慢のサムソンの唯一の弱点が髪の毛、髪の毛を切られると、その怪力が消えてしまう。

そのサムソンを酒に酔わせて人事不省にし、髪を切って無力にしてしまう女がデリラ。

西洋でよく好まれた画題で、オペラにもなっている。

古今の画家がこの画題を描いたが、クラナハの女はやはりほくそ笑んで、サムソンを膝枕までして、
眠りこけている彼を軽く手玉に取っている。

女の膝枕で何も知らないサムソンが気の毒になってしまう…

 


ロトとその娘たち

 

旧約聖書に出て来るエピソード、ロトとその娘たちは、子孫を絶やさぬため、
実の老父をその若い娘たちが誘惑するという、禁断の近親相姦テーマの絵だが、

その若い娘の一人がこちら側を向いて、にんまりとほほ笑んでいるのだ…。

そして例によって、いつもの宮廷で身に纏っていたような当世風の豪華な衣装。

禁断のテーマもここに究極の表現に至れりという感じ…

 


ヘラクレスとオンファレ

この「ヘラクレスとオンファレ」はこの展覧会でもけっこう見所だった。

 

やに下がっているヘラクレスの脇の、絵の一番右側に立っている女性、

この豪華なドレスをまとった女性の、少し顎を上げて、フン、男なんて、
と薄笑いを浮かべているこの尊大さ、

いじわると言ってもいいくらいなこの視線の刺すようなえげつなさに、呆れるような戦慄さえ覚え…

 


洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ

 

サロメはとびきりに着飾った若い女が、得意げにヨハネの首を皿に掲げ持ち、わずかに微笑んでいる。

無邪気なこの微笑みがあまりにもすごい。

 

サロメが、こうした悪女のテーマとして登場して来るのは、ルネサンス期にすでにもうあったのだ。

多分、フィリッポ・リッピが一番早い例かもしれない。

デリラ、ロトの娘たち、ユディット…、その一人として扱われたようだ。

そして世紀末に再びファム・ファタルとして再脚光を浴びる…


ホロフェルネスの首を持つユディット

 

この作品は、本当に見ごたえがあった。

本当に鮮やかな色彩で、きらきらと黄金に輝く装身具や、当世の豪華な衣装、そして女性の肩へと垂れる
赤毛の美しさなどの描写にまず目がひかれ、残虐なテーマを扱っているのに、
その美しさに思わず見とれてしまう。

 

ユディットは、キラキラ輝く装身具を身につけ、ベルベットの赤い上等の帽子をはすに被り、
大きな剣をどんと机の上に置き、首ですが、それが何か?…

冷酷と言ってもいい無表情で、刺すようにひたすらこちらを見つめ続け、

涼しい顔で戦利品の首を、指輪をはめた見るからに豪華な皮の手袋をした手で
ぐいとこちらへ突き出す。

 

このあまりにもな衝撃的な作品群のつるべ打ちに、頭をガンガンと連続して殴られたような感じ。

肉食満開の女性たちに、辟易するほど、げっぷが出るほど満腹したのだった。

 

*******************************

 

このような絵は、誰の依頼で、どのような需要があったのだろう。

とにかくクラナハのこれらの絵はとても好評を博し、工房で沢山の模倣作が制作されたという。

 

やはり、注文をしたであろう裕福な貴族や、宮廷などでこのような「こわい女」のテーマが好まれたのだろうか。

北方での女性の地位や、社会での扱いはどんなものだったのだろう。

女性の人格などは認められていたのだろうか。

 

彼女たちの、現実では決してあり得ない行為だからこそ、このような男性の願望?として、
こわい女たちの絵が求められたのだろうか。

男性が、女性に踏みにじられたいという密かな欲望があって、クラナハがそれに応えた、
そんなような気がしたりする。

 

マルティン・ルターの友人でもあったクラナハは、ルターの肖像画も沢山描いた。

宗教改革にも共感し、ルターの改革運動に協力したという。

的確な表現でルターを描写している。きびしそうな表情がいかにも。

肖像画家としても手慣れたクラナハの一面が感じられる。

 


マルティン・ルターとカタリナ・フォン・ボラ

ルターとその夫人の肖像画。夫婦ともにドイツ人らしい質実な顔つき。

この夫人の襟の毛皮が、また緻密で、質感が見事で、やはり見応えがあるのだった。

 


子供たちを祝福するキリスト

クラナハの宗教画から。

イエスを描いた宗教画は夥しいものがあるが、このような子供を祝福する図はきわめて珍しいそうだ。

 

*********

 

クラナハはルターと親しく、宗教改革に共感していたというのに、カトリックの教会から頼まれれば、
カトリックの宗教絵画もよく描いていたのだという。

大きな工房を構えて、大量生産の体制を取っていたので可能だったことなのかもしれないが、
今日の感覚ではなかなか分かりにくい人だ…

偶像崇拝などを否定するルターのプロテスタントに共感し、しかもカトリックのためにも同時に宗教画を描く。

職人として、宗派のこだわりなどはなかったのかもしれないが、どうしてもなかなか理解しにくい事実。

それにしてもルターもそれを承知していたのだろうか。

 


デューラー 騎士と死と悪魔

 

クラナハは工房で、版画制作もしていたというので、版画作品もかなり展示されていた。

同時代のデューラーのエングレーヴィングも、参考作品として展示されていた。

この精密で、精緻なデューラーの銅版画を思いがけず見られたことは、嬉しい驚きだった…


デューラー メランコリアⅠ

 

クラナハの工房では版画制作も数多く行われていたが、

最後のコーナー、第6章に マルティン・ルターがドイツ語に翻訳したドイツ語の新約聖書を、
クラナハが木版画で制作したものが展示されていた。

大きく、とても立派な聖書で、ドイツ語で書かれた、そして見事な挿絵つきの聖書だった。

最後まで見応えがあった。 

 

クラナハのとびきり脂っこい、こってりの極北ともいうべき北方絵画を見て、
すっかりあてられてしまった展覧会だった。

西洋の神髄がここにある。
思ったよりずっとクラナハにハマってしまった。

***

 

修復がされたそうだが、500年も前の絵というのに、色がとても鮮やかで、
素晴らしい発色が少しも褪色しておらず、きらきらと輝くばかりの色彩が保たれている。

当世の女性の豪華な衣装と、そして特に金色のネックレスなどの装身具がキラキラで、
目もあやな見事な金の質感。

そして女性の髪の色。

金髪というよりは、すべて赤みのかかった赤毛。

この赤毛がキラキラと美しく頬や肩にまとわりつく、その髪の毛の描写が、それはもう鮮やかで鮮烈な印象。


やはり西洋の油絵というのは、何百年も耐え得る、すごい発明なのだと思った。

 

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