Exhibition Preview

京琳派
神坂雪佳展
―宗達、光琳から雪佳へ―

2006年10月4日〜16日
京都高島屋グランドホール

06/11/29

神坂雪佳は明治から昭和にかけて、京琳派を継承する日本画家・工芸デザイナーとして京都で活動。
近年海外で評価が高まり、これまで国内で無名であった彼が再認識されつつあるという。

この展覧会は、雪佳の作品を多く有する細見美術館の所蔵品を中心に、雪佳だけでなく、琳派の源流である宗達や光琳から、中村芳中の作品までを展示したもの。

雪佳は絵だけでなく、着物や茶碗、文箱などもデザインしたので、そのような品も展示されていた。

琳派の伝統が、近・現代にまで見事に継承されていることを証明した、目からウロコの展覧会だった。

 


光琳・乾山の合作陶器と、光悦書、宗達下絵の扇面。

まず、琳派の源流である、宗達や光琳の工芸品から始まる。もちろん、ほとんどが細見美術館のもの。

光琳や乾山、抱一まであったから、百貨店の展覧会とはいえ、侮れない。お得感たっぷりの展覧会だった(その分、同時期の細見美術館は江戸琳派特集なのにちょっと物足りない)。

 

宗達はおおざっぱな下絵の色紙など。この宗達のおおざっぱさが私は大好きなのだ。けれども、もとは金と銀を贅沢に使った豪華な色彩だっただろう。

光琳と乾山の合作の角皿は、寒山拾得を描いたもの(光琳筆)。とぼけた、冗談みたいな人物像で、これもリラックスした筆遣いが何ともいえない。

乾山が描いたという掛け軸なども展示されていた。

ここで、なんと酒井抱一の扇面貼り交ぜ屏風も展示されていた。貼り交ぜ好きな私はウホウホ。

粋で上品でセンスの良い抱一の作品は見ていると気分が良くなる。

そうしてメインの雪佳特集になだれ込む。

彼は実に多彩な作品を残しており、日本画だけでなく工芸品が沢山あった。

まず日本画では有名な「金魚玉図」があるが、意表を突いた構図というより、金魚をシンメトリーにあしらったのではないかと思う。デザイン的なのだ。
いい感じに古びているから、トンデモ感はなく上品だ。

明治時代の画家であるが、光悦の光悦村?(今ちょっと名前を忘れている)を想像で描いた図があった。
おそらく、雪佳は光悦の開いた芸術村に憧れていたのだろう。彼にとってはそれがおそらく理想郷だった。
芯から琳派に心酔していたと思われる。

また、門跡寺院の襖絵を担当していたとも。展示されていたのは、今ちょっと記憶があやふやだが(こればっかり)確か青蓮院の襖絵で、バックにSの字にうねっている川の流れが描かれているのが琳派らしい。

日本画家らしい仕事をしていたのだなあと感心。

 

工芸の部門では、着物の柄や、窓のカーテン、焼き物、鉢、着物を入れておく箱などのデザインもの、時にはインテリアのデザインもしたという。

今でいうテーブルセンターが展示されていたが、雪佳のモチーフのひとつである蝶々をあしらったデザインだったがその文様を見て驚いた。

雪佳は近年、海外で特に高く評価されたというが、この正方形の布の文様は、まるでエルメスのスカーフそのもの。

蝶々の散らし方、背景の色の入れ方、これを縮小してエルメスとして売り出しても通用するだろう。

雪佳の作品が、エルメス発行の雑誌に取り上げられたというが、押して知るべしというか、なるほど納得というか、感覚が一緒なのだからエルメスが好きになるはずだと思った。

自分の娘の結婚式のためにデザインしたという着物も圧巻であった。それをのち、孫娘(?)のために留袖に作り直し、その時にさらに柄に手を入れ書き加えたのだという。

雪佳の愛情が感じられ、さらに、一度作ったものを大事にリサイクルしてゆく精神に敬服した(着物の扱い方としては当たり前のことだろうけれど)。

さらに版画集「百々世草」(ももよぐさ)からいくつかの原画と、版画が展示されていた。

今回のポスターやチラシにデザインされている有名な子犬の絵はこの「百々世草」からのものである。

このわんこは可愛いが、版画集「百々世草」はそれだけではない。

着物の柄の見本として作られたらしいが、膨大な量のデザインが、どれを見ても粋で、しゃれていて、精緻で、色の使い方の小粋なこと、見ていて楽しく飽きない。

原画はさらりと描かれているが、版画にする時にはかなりの苦労があったようだ。特に琳派が用いるぼかしの手法(たらし込み)を版画で再現するのはむつかしかっただろう。

 

そのほかに、江戸琳派を継承したという中村芳中の作品がいくつか展示されていた。

ラフな筆で漫画のような絵があり、どちらかというと、漱石の挿絵を担当していた中村不折に似ているような気がした。

同じ姓なので関係があるのかと思ったがないようだ。

芳中は、粋で上品な雪佳よりもかなり大雑把で、たらし込み技法もたらし込みすぎのところがある。
(私は見ながらおい、いくら何でもこれはたらし込みすぎだぜと突っ込んでいた)

 

最後のコーナーにビデオモニターの部屋があり、NHKが製作した雪佳の特集映像を上映していた。

晩年は京都・嵯峨野に広大な屋敷を持ち、隠居後はひっきりなしに来る来客の相手をしていたそうだ。金持ちだったらしい。

雪佳の孫だという上品なおじいさんがインタビューに答えていた。

京都の出版社(漢字変換しないので名前が書けない)が、雪佳の「百世草」の出版をした。その時の、原画から版画にする時の苦労などが語られていた。
雪佳がプロデュースした(?)清水焼には、今も琳派模様が用いられている。

京都には、今も雪佳の作品が息づいているのだと。そう言えば、今年の高島屋のお歳暮の宣伝には雪佳のイラストが用いられていた。

 

神坂雪佳の弟の祐吉という人は漆芸家で、雪佳との共作もいくつか展示されていた。あたかも尾形光琳・乾山兄弟の共作を髣髴とさせるかのように。

雪佳自身、それをじゅうぶんに意識し、分かっていて弟に手伝わせたのだろう。

それはまさに、江戸時代の光琳・乾山の再来、リバイバル、リインカーネーションそのもの。

雪佳自身が光琳や琳派にリスペクトしていたからにせよ、それにしてもこの見事な琳派の再現と復活に、琳派が回りまわってどの時代にも復活して来るのかもしれない、不思議にも次の時代へと受け継がれてゆく技法なのかもしれないと、つくづく思った。

琳派は、形式ばった芸術ではない。

生活に根ざしたデザイン、生活の中に用いる、実用のデザインでもある。

生活の中で、実用として使うものながら、単に無機的なものではなく、生活に潤いをもたらす、生活を充実させるためのデザイン。

生活の中に根付く美への追求。それが、総合的に琳派と称するものなのではないか。

暮らしとともにあるから、それはいつまでも廃れずに生き残っていくのだろう。

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