Exhibition Preview

特別展観 文化庁海外展帰国記念

18世紀京都画壇の革新者たち

2006年3月25日〜4月9日
京都国立博物館

06/10/7

すみません。これもはるか昔にあった展覧会の報告です。

とても良かった展示なので、このまま報告しないのはしのびない。そう思い、何としても書き上げなければと頑張ってみた。

 

まあありていに言えば、今まで国立博物館で特別展示して来たもののお残りというか、アンコール展示というか、残りもの展示というか、そういう性格の展覧会である。

展示場は本館ではあるが、常設展示の特集陳列に毛の生えたみたいなものといえるだろう。
その証拠に私は無料で見た。

 

案内のパンフレットによれば、18世紀の江戸時代の絵画は、元禄時代と文化文政の間の谷間とされて来た。
しかし、18世紀の京都画壇はじつは、日本画の黄金時代であった。

池大雅、与謝蕪村、呉春、応挙、長澤芦雪、若冲、蕭白などの名前を思い浮かべれば、むしろ日本絵画が最も光彩を放った時代だった、と書いてある。

これは、博物館館長の狩野博幸氏の言葉である。

むむ、確かに。説得力のある言葉だ。

我々は何か思い違いをしていたのではないか。私は今まで日本絵画そのものにあまり興味がなかったので、思い違いも何もないのだが。

 

出品されていた画家は、渡辺始興、与謝蕪村、呉春、池大雅、円山応挙、長澤芦雪、曾我蕭白、伊藤若冲というメンツである。

日本画に詳しくない私には恥ずかしながら初めて知る名前もあったのだが、一度見てしまえばお馴染みさん。この人たちにはすっかり詳しくなってしまったのである(かどうか…)。

再びパンフレットによれば、米国サンフランシスコ・アジア美術館での展覧会「18世紀京都画壇の革新者たち」というのの里帰り展示であるという。

好評を博したということだが、サンフランシスコ・アジア美術館という美術館は聞いたことがない。そんなマイナーな海外美術館での展覧会?と疑問も無いわけではないが、展示品はなかなかであった。
私のような日本美術に詳しくない者にとっては入門として見ても悪くなかった。

 

まず、与謝蕪村だが、文人画家であり、それ以上のことはあまり知らない。

文人画という概念もよく分からない。何となく風流な手遊び、枯れた侘びさびの世界…かな?などと想像する。
蕪村の名は有名だが、個人的にはそれほど好きでも思い入れもないのだ。

しかし展示品の中に「奥の細道図巻」があり、感動した。

芭蕉の「奥の細道」を蕪村が書き写しながら、それに場面場面で挿絵を添えてある。

芭蕉の名作を、蕪村の筆で読む(読めないが)のも風流なら、それに添えられた挿絵を見るのもぜいたくな気がした。

エピソードのどの場面を絵にするか、に蕪村の個性が現れるであろう。見ていると、ああ、奥の細道の旅はかくもあっただろうなあと、あたかも蕪村が旅に随行して描いたドキュメントのような気がして来る。

蕪村は芭蕉が好きだったらしく、自分で芭蕉関連のイベントも計画していたらしい。

 

次に記憶に鮮烈に残っているのが呉春の襖絵。

呉春の屏風と、襖絵が展示されていたが、その中の「泊舟図襖」がすごい。

これは墨絵で、何がすごいかと言うと、襖が4面あり、そのそれぞれの下方に小さく帆を下ろしたちっぽけな船がいくつか海に停泊している。

大きな襖の画面の中に、ちっぽけな船をいくつか描いてあるだけで、あとは何にもなしの、おそろしく手抜きの仕事。
たしか、襖4面全部に描いてあるのですらなく、何も描いてない襖もあったような気がする。

しかも経年で墨が薄れているので、目を凝らして見なければ、描いてあるのかどうかさえ分からない(ちょっとオーバー)。

これは醍醐寺三宝院が所蔵しているらしいが、注文した醍醐寺も、作品が出来上がって来て、それを見た時にしまった、失敗したと後悔したのではないか。

同じ料金を払うなら隅々まできっちり描いてくれる応挙あたりに頼んでおけばよかったと思ったのではないか。

こんな手抜きでもオッケーなのだから、画家なんてちょろい商売だったのだな。
と、いくら何でも手抜きだよと展示されている襖を見ながら、そんなことを思った。

けれども、意外にもこの絵はわりと有名らしく、呉春の代表作ぽいから分からないものだ。

 

池大雅も名前だけは知っているが私にとっては未知の画家。

屏風かなんかの隅に、人間が小さく大量にモブシーンで描かれている。そのひとりひとりの表情が面白おかしく、軽妙な筆致。

モブシーンが得意なのかなと思った。

 

円山応挙もよく分からない。

名前だけはよく知っているが、彼の絵はとりとめがないような気がして、画題も、画風も覚えられないのだ。

大きな屏風に大きな図柄が描いてあると、へえー、応挙ってこんな大きな絵も描くのか、と思うから、自分の中ではちまちました描写をする画家というイメージがあるのかもしれない。

 

曾我蕭白はよく分かる。

誰にでも分かりやすい。一度見たら忘れられない。良い方にも悪い方にも。

けども、グロテスク過ぎて好きではない。それが持ち味であることはよく分かる。

誰彼となく話しかけるおっちゃんのお客さんが博物館にいて、私にも蕭白について聞く。
気持ち悪いと私が答えると、それが蕭白の狙いなんだよと得意げに話す。

博物館でこの前やった、蕭白展のミニアンコールのような感じだった。

 

長沢芦雪はこれまで知らなかった。

が、この特別展に展示されていた芦雪作品より、少し後の常設展示に展示されていた「花鳥遊魚図巻」が私にとっては衝撃的だった。

それは巻物のような長さの習作みたいな図巻で、花鳥だけでなく、動物がいろいろ描かれていた。スケールはばらばらで、魚がやたらに大きかったりしたが、その中に子犬が描かれている部分があった。

白い子犬が何匹かいて、じゃれ合っている様を写生している。その子犬たちが殺人的に可愛いのだ!

あまりにも可愛いので、ガラスケースをばんばんと叩きたくなり、フロアを駆けずり回ってかわいいー!と叫びたくなって、自制するのに大変な苦労を要した。

それほど可愛い子犬たちだったのだ。

日本画では、子犬の描写にはある程度の決まりというか、定形があるようだが、それを守りながらも、それをうんと可愛くしたような感じだ。

以来、長沢芦雪の名前をしっかり覚えた。

 

トリはすっかりおなじみの伊藤若冲。

アンコールで「石灯篭図屏風」(灯篭が点描)「百犬図」(子犬が一杯)「石峰寺図」「果蔬涅槃図」「花卉双鶏図」そして「菜蟲譜図巻」が展示。

圧巻は「菜虫譜」だった。これは始めて見た。

とにかく色合いがきれい。

薄いグレーに緑を足したような色をバックに、野菜と蟲が浮かび上がるような縁取り(?)の手法で描いてある。

野菜のすぐ次に虫はどうよ、と思うが、若冲の中では気持ち悪くも何ともないのだろう。

色使いがとてもシックでモダン。題字の入ったオープニングからサインの入るエンディングまでトータルデザインされていて、粋なデザインセンスだ。
デザインし、絵を描きながら一人で悦にいっていたのではないかと想像出来るような、若冲らしいマニアックな画巻だ。
これを見ることが出来たのが、最大の収穫だった。

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