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Exhibition Preview

横尾忠則ポスター藝術
2000→1965
2000年5月17日〜6月11日
美術館「えき」KYOTO

2000 6/4

 

横尾忠則といえば、70年安保前後の新宿アングラ文化が条件反射的に思い浮かぶ。
唐十郎のテント劇や寺山修二の天井桟敷などと同時にその名前が思い出され、サイケデリック、ドラッグ、ヒッピーなど、アメリカのカウンターカルチャーの、日本化された「若者文化」に強烈な印象を残した。
あの時代と、その名前はとても切り離しては考えられないほどだ。

UFOやインド文化への傾倒、そしてそののち、横尾忠則は1980年代にグラフィックデザイナーから画家に転向、油彩の世界で独自の画風を築いていたが、90年代になると、再びコンピューター・グラフィックを使って新たにポスターデザインに取り組み始めた。

その仕事は常に刺激的で、挑発的であり続けている、と思う。

最新の作品には、グレイの10万人コンサート、市川猿之助の「新三国志」などがあり、そして、70年代アングラ文化の盟友大島渚の最新映画「御法度」も、彼の作品だ。

今回の展覧会は、この横尾忠則の65年から現在までのポスターの仕事を振り返るもの。

横尾忠則のポスター作品はまずイメージとして、或いは先入観として、彼自身で絵を書くというよりもコラージュが殆どなので、感性のままに、やりたい放題のサイケデリック、緻密な計算とは程遠い、自分で絵を書く手間を省いて楽してデザインしているな…、というようなものだったのだが。…

だが、膨大な作品群をこうして俯瞰してみると、野放図さは確かにあるものの、実は、構図や配色、そして絵柄の決定など、そこにあるのは、意外なほど実直で、勤勉な、そしてものすごく緻密な仕事ぶりであった。

 

ひとつのポスターの中に込められた情報量が異様に多い。

非常に破天荒で破れかぶれ的に派手であるが、実はその構図はものすごく厳密に考えられ、計算され、数学的で、破綻がない。

使う色も極彩色であるのに、全体として見たら、どの色も浮いているということがない。

これほど沢山の色とマテリアルを用いながら、整然としたデザインに仕上られるのが、いっそ不思議なくらいなのである。

また、私は横尾忠則は、何故か、何となく楽してデザインしている、という先入観を持っていたのだが、それはとんでもなかった。

コラージュの場合のテーマに合ったマテリアルの選び方、配置の仕方、一枚の用紙の中に、その細かいマテリアルを敷き詰めていく気の遠くなる作業を思うと、例えば、町で見かける観光ポスターや、宣伝ビラなどの、何倍の労力がかかっているだろうかと、改めていやというほど気づかされる。
横尾忠則の仕事は、あまりにも細かく、労力のいる作業だったのだ。

そこには、巷でもてはやされたサイケデリックで野放図な横尾忠則とは全く別の、地道な作業によってこつこつ作り上げられた職人の技のようなものさえ感じられた。

A4判くらいの大きさの、色指定のための現物(?)が何点か展示されていたが、それは、ポスターの原画(小さい)の上にトレーシング・ペーパーがのせられ、そのトレペに、下の絵の色を指定してあるというもの。

眩暈がするほど細かく指定してあり、例えばポスターの下の隅にある小さな人間の目の色にまで、指定がしてあるのだ。

デザインをしたあと、色をつけて行く時、デザイナーは、このようにこと細かく指定していくのか。
印刷やさんにこのように細かく指示を出すのかと、今更ながら、なんと緻密な仕事なのだろうかと驚くばかりだった。
一枚の宣伝ポスターに、ここまで凝らなくてもいいではないか。
素人はそんなふうに思ってしまう。

しかし、この濃密さが横尾忠則の魅力なのだろう。
これを魅力と感じて、企業やアーティストが、横尾に宣伝を依頼するのだろう。
反面、横尾忠則を採用する企業は太っ腹だとも思う。
たとえば宝塚のポスターが少なからずあったが、宝塚に、本当にあのデザインのポスターが貼られているというのは、勇気のいる決断のような気がする。

昔も今も、横尾忠則の仕事は刺激的で、挑発的だといえるだろう。

横尾忠則がビートルズを好んでいたということは、一般に知られているのかどうか分からないが、レコード会社の依頼により、ビートルズのポスターをデザインをしたこともある。

このポスターは、確か4枚のデザインの内の一枚。
いつもはごちゃっとした濃密な世界を展開しているのに、この作品のみ、シンプルで、意表を突いたようにあまりに何もないので、かえって横尾忠則の作品の中でも異彩を放った作品になっていると思うのだが。

写実的な4人のイラストを見ていると、横尾忠則が写生もいかに達者であったかが分かる。

私は昔このポスターの本物を持っていたが(レコードの特典だった)、今は多分もうないだろう。

 

今回の展示を見ると、横尾忠則には、自分自身のポスターが非常に多い事にも気づいた。
自分自身を素材にしたというか、自分の作品展のポスターである。
初め私は、あまりに横尾自身を扱ったポスターが多いので、大変なナルシストなのだと感じた。
そう思わせるニュアンスは、三島由紀夫への関心などから伺うことができるのだ。

だが、よく考えれば、本人自身のポスターが多いという事は、彼の展覧会が開かれれば、確かにポスターはほかの人間には頼まないだろう。自ずと自分でデザインするに決まっている。
つまり、横尾自身による横尾忠則のポスターが多いという事は、それだけ過去に彼の作品展が多く開かれたということなのだった。

70年安保時代と切っても切り離せない。…そういうイメージを持っていたけれども、横尾忠則はそこだけにとどまらないエネルギーや創作意欲を持っていた。その証だろう。


参考資料 「横尾忠則ポスター藝術」ちらし

6/19記

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