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Exhibition Preview

手のひらの美
ミニチュアの世界展

〜小林礫斎を中心に〜

 

2001年8月16日〜27日 大丸ミュージアムKYOTO
2001年9月6日〜18日 大丸ミュージアムKOBE

01/9/18記

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どうして人は小さいものに惹かれるのだろうか。

日ごろ見慣れているものが、そのまま圧縮されて小さいサイズになっている、というだけで人は喜び、目を輝かす。
なぜなのだろう、という疑問の答えの一つが、この展覧会にあるのではないかと思う。

 

これは8月に京都で開かれ、次に神戸で行われたもので、私が見たのは京都でなのでだいぶ前になるが、アップする機会がなかったもの。
しかし一見の価値があると思うので、ここで紹介しておこう。

****

まず展示の中心となっている小林礫斎という人について、少し説明する。

礫斎は明治17年生まれ、始め煙草入れや指物を製作していたが、その高度な技術から極小の世界への挑戦を始める。
作品は多くが礫斎が下地を作り、蒔絵などの細工は専門の職人が加工した。
また工房を持ち、分業で仕上げたとも言う。

礫斎の作品は、当時(明治から戦前にかけて)薬屋(?)の店先で販売されていたのだと言う。
裕福なコレクターがそれらを好み、オーダーで礫斎に注文する事もあったという。
コレクターの中には、ヘレン・ケラー女史も含まれていたという。

戦中から戦後にかけて、手の込んだ細工品は贅沢品として生産できなくなり、礫斎もしばらくは煙草入れなどを作ってしのいでいたらしい。
戦後は技術を継ぐものがおらず、このような工芸品の生産はされなくなった。

 

ミニチュアの碁盤
碁石は推定2ミリほど
現代のドールハウス作家も作っているが、
礫斎の作品は全て本物の素材

 

↑京都展のちらし

 

さて、礫斎の作品は、小さければ小さいほど良しとして、まるで小さいものへの挑戦ででもあるかのように、極小の世界を究めて行く。

たとえば瓢箪の中のさいころであるとか、独楽であるとか、算盤であるとかだが、その小さいものへの挑戦のもっともたるものは、お米に書いた文字と、百人一首だろう。

この画像では殆ど何が何だか分からないが、実物を見ても良く分からないくらいなのだ。
大きさは7.4cm×5.7cm、私たちが普段持っているスケジュール手帳をもう少し小さくしたくらいの大きさと言ったらいいだろうか。
その中に百人一首の全ての札が描かれているのだ。
もちろん読み(5、7、5の歌である)も書かれている。

この小ささの中に、百のかるたが描かれているのだ。
そのすごさが分かるだろうか。

また米は、虫眼鏡で覗くようになっていたが、大きさは0.7cm×0.4cmくらい
その中に絵や、文字が描かれている。
礫斎は米粒にいろは48文字を書けたといわれるが、すさまじいものだと思う。

↑0.6×0.3センチ

鳥追いの図と都都逸が書かれているという
「粋なお前に謎かけられて
とくにとけないしゅすの帯」
はっ、粋だね なんて言っている場合ではない
米粒に筆で書いてあるのだ

 

作品の多くは、しかし硯箱だとか、ミニの屏風、衝立などの指物関係が多い。
それらは皆木箱入りで、銘が入っている。
豪華な蒔絵や象嵌などは一流職人のものだが、箪笥など、土台は礫斎が作るのだ。

ちょっと欲しいミニの算盤セット
象牙製の、象嵌が施された箱の中に、硯や筆、
朱肉などがセットされている
大きさは忘れたが、大体5センチくらいのものだろう

また画像はないが、瓢箪が幾つか展示されていた。
これは当時無病息災を願って細工されたという、縁起物。
大きさは3.5センチ×1.2センチくらい
その瓢箪の中に小さいさいころと、独楽が沢山入っているのである。
独楽や、さいころの大きさは0.5センチ以下
もちろん独楽は回るし、さいころは目が書かれている。

 

このような極小への挑戦は、また礫斎のコレクターなどの好事家の好みでもあった。
彼らはより小さいものを好み、礫斎がより小さいものへ挑戦することを楽しみにし、期待していたのだった。

これは礫斎のものではない
小さな関節人形 5センチほどだと思う
手足が動く(!)

展示の最初には、礫斎以外のミニチュアも飾られていたが、こうしたミニチュアは、礫斎の登場以前から、日本人の嗜好には潜在していたのだ。
それは雛飾りに象徴されていると思う。江戸時代のお姫様の雛飾りなどは豪華であり、精緻であって、当時の一級の指物師の手でなければ出来ないものだろう。
日本では元来、細かい仕事がこのように珍重されていたのだと思う。

これは礫斎の作ったキリンビール

今でこそドールハウスのアイテムになっている
ビールなどの瓶もの
当時はラベルをコンピューターで出力するなどという
技術はなかった
多分ラベルは手書きだろう

 

この展示では、現代のミニチュアも出品されていた。

多くのドールハウスも展示されていたが、それらはドールハウス関係の書物でおなじみの磯貝吉紀氏の作品であった。

いつか、ドールハウスの雑誌で見た、プラモデルや模型のショップのドールハウスが展示されていたのが嬉しかった。

これらのドールハウスは、ハウス全体がとても大きく、最早ホビーの範疇には属さないような、立派で重厚な、小さめの建築物という赴きである。
ドールハウスの世界は、手軽にトライできるホビーとしてのものと、本格的な高度な技術のものとの二極化に進むのではないかというような気がした。

 

サンフランシスコ・ヴィクトリアンという外観

***

さて、なぜ人はミニチュアに惹かれるのだろうか。

或いはまったく興味のない人もいるだろう。
しかし、そんな人でも礫斎の技術には感嘆して、驚きと興奮を感じることだろう。

ミニチュアサイズのものには、小さいものとしての可愛さ、楽しさと同時に、それを作る者の技術が介在している。

それを見る私たちは、こんな小さいものに、生活にはあまり役に立たなさそうなこの小さいものに、技術を惜しみなく投入する、技術者の無心の努力に喝采を送りたくなるのではないだろうか。

確かにこうした技術は、生活には役に立たないもので、また生み出されたミニチュアも生活には何の貢献もしていない。
それにも関わらず、その技術を称えたくなる。

小さいものほど細工がむつかしいのに、その役に立たない小さいものに挑戦する技術の素晴らしさに、私たちはある種、無償ということの尊とさを感じるからかもしれない。


参考 ミニチュアの世界展ちらし

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